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一度だけ

人生で一度だけ、後頭部を鈍器でどんっとやられたような文章を読んだことがある。「頭を殴られたような」って比喩はこういうときに使うんだろうなと思った。 

生まれて今日まで数千冊の本や漫画、ほかにも教科書や広告、SNSなどたくさん文章を読んできたけど、あんな体験は一度きりだけ。

それは大学時代、実習中に見つけた新聞のスクラップ記事だった。なんの気なしに手に取り読んだものの、脳天をガツンとやられてしばらく立ち尽くしてしまった。目の前がぼやけて、心臓もどくどくしていたのを覚えている。

実習先の人に呼ばれて作業に戻ったけど、揺さぶられた気持ちはなかなかおさまらなかった。

それは、Coccoさんが書いた「もしも願いが叶うなら」という文章。あのあとこっそりコピーをとって持って帰った記事だけど、調べてみると「東京ドリーム」というCoccoさんのエッセイ集に載っていることがわかった。今では本として手元に置いてある。

きっとこの文章が響いたのは、私のバックグラウンドがあってのことだと思う。Coccoさんがこの文章を書いた背景は、私の生活の一部だから。そこに関わる人たちや、今でも解決しないこの島の問題に、同じく苦しくなることがあるから。たくさんの人のエゴと苦しみと歴史と差別と愛が複雑に絡まり合っている問題。大きなものに踏みつけられて、声すら届かない現状。

そんな中読んだCoccoさんの文章からは、彼女の本気を感じた。比喩でもなんでもない、彼女は本気だ。だからこそ、私は揺さぶられたんだと思う。

今でもときどき本棚から取り出しては、読み返している。Coccoさんは"今"を、どう見ているんだろう。

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