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神は知性を試された

あまり気にしていなかったが、感染症は常に私たちのそばにある。
重篤なものから、風邪のような比較的軽微なものまで(とはいえ、風邪で死に至ることもある)、人を介して病原体を受け渡しする現象は珍しいことではなかったのに、新型コロナの出現によって、それらがとても恐ろしく、私たちの生活を変えてしまうことを改めて体験してきた。

新型コロナが5類に以降し、そろそろこの3~4年に私たちがやってきたことを科学的に検証する時期に入ったのだと思う。

私は医療関係者ではないし、感染症に関しての知見はないに等しいから、この手の話を科学的アプローチで進めることはできない。
幸いにも母も私も感染することがなかった(少なくとも発症はしなかった)。そういう立場の視点しかないことを、予めお断りしておく。

この感染症を通して私が見たものは、極限状態におかれた人間の様相だった。
「マスク警察」なるものが現れ、地方では東京ナンバーの車に「来るな」と張り紙をされたり、ちょっとくしゃみや咳をしただけで他人から睨まれるといった事態に陥った。
そして今度は5類になったことへの反発だ。

今もって、持病のある方や高齢の方々にとってはやはり恐ろしい病気だ。
私自身は、もうマスクを外して良いと思う方だが、ヘルパーさん達を介して重篤になりやすい人たちが感染したり、あるいは介護事業所の業務が止まらないよう、場所や状況によってマスクをしている。
「5類になっても新型コロナが終わったわけではない」という言い分を、私は排除しない。

だが、「マスクを外せ派」と「マスクをせよ派」が、ぶつかり合っている姿は、心がギュッとなる。
コロナ禍の真っ最中だった頃から、あれだけ「他者への寛容性」が言われていたのに、人はまだ他者に寛容ではないのだ。

ヘッセの『知と愛』に、こんな場面が出てくる。

ぎょっとして相手はゴルトムントをじっと見つめ、それから息づまりそうな声でだしぬけに叫んだ。「ああ、やっと今、百姓たちがきのうぼくたちを村に入れようとしなかったわけがわかった。ああ、やっと何もかもはっきりしてきた。ペストなんだ!  たしかにペストだよ、ゴルトムント!  あんたはあんなにながいこと中にいたから、きっと死人にさわっただろう!  どいてくれ、ぼくのそばに寄らないでくれ、あんたはきっと毒を受けている。ゴルトムント、残念だが、ぼくは離れていかなくちゃならない、あんたのそばにはいられない」

ヘルマン・ヘッセ『知と愛』高橋健二 訳

放浪中のゴルトムントと、旅の途中で出会ったローベルトは、ある集落に入ろうとした矢先、住民たちから暴行されそうになる。その時彼らには意味がわからなかったが、別の集落に入った時、家の中で座ったまま死んでいる老婆や、繋がれたまま息絶えた犬、助けを求める術もなくただ死を待つだけの人などの悲惨な光景を目にして、それがペストだと気付く。
ゴルトムントは”妻”をペストで亡くし、それまで住んだ家を焼き払って、その地を去る。
舞台は近世ドイツ、16~19世紀くらいだろうか。

神は人間の知性を試された。

21世紀の日本にあって、私たちがやってきたことは、ペストの時代から何も変わっていない。
感染症に対する科学的知見は進歩したはずなのに、自分と異なる価値観・思想・行動を受け入れるという知性を、私たち人間はまだ獲得していないのだ。
「多様性」などと、安直なスローガンを掲げている場合じゃない。
私たちが学ばなければならないものは、まだまだ存在している。

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