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私の世界にその言葉はない

何をしたか、何を言ったのかは覚えていないが、私の態度や言葉が気に入らなかったのだろう。
便宜上、彼としておく。彼女でも、そのどちらでもなくても良い。


彼は「死ね」という言葉を私に向けた。

普通、人に対して「死ね」などという言葉を吐けば、親や教師が飛んできて注意をするし、時代が時代なら引っ叩かれる。
私の彼に対する態度が、彼にそれを言わせてしまう程に酷かったのだろうか。
それにしても、私が人にそんな言葉を投げたことは、これまでの人生でおそらくない。

その言葉が冗談の延長であるとしても、平然と使える世界圏に住む彼を、私はその時点で拒否するべきだった。
それができなかったのは私の弱さだ。
指摘することでその人との関係をギクシャクさせるのが嫌だったのだ。

普段から人の顔色を伺うことが生きる術のひとつである私にとって、人を拒否することは生きていく上でのひとつの選択肢を失うことでもある。
人から拒否されることもまた然りだ。
そんなこと考えずに、あなたはあなたらしく、自分と合わない人間とは付き合わなくて良いという考えももちろん認めている。
現実問題として、我が身を助けてくれる人間関係を一人でも多く保っていかなければ、生きることそのものは難しい。
そういう私の打算的な部分が、彼の言葉を放置しまった。

そしてまた、その言葉を放った彼を責めようとは思わない。
彼の世界には彼の言葉があり、私は私の世界の言葉で生きている。
彼はそんな言葉を平気で使える言語圏で生きているのだ。
ただ、私利私欲のために彼を拒否することが出来なかった自分が悪い。

同時に、そういう言葉を使う彼を、これまで叱る人はいなかったのだと、少し憐れにも思う。

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