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生きている実感が生まれる時

「生きている実感」というのは、いつどんな場面で生まれるのだろうか。

美しいものや素晴らしいものを見聞きした時、美味しい食事をいただいた時、誰かから愛されていることを感じた時、様々な場面で私たちは「生きてて良かった」と口にする。

だが、「生きてて良かった」と「生きている実感」は少し違う。
私が「生きてて良かった」と思う瞬間は、どこか夢心地である。
そしてまた、「生きてて<良かった>」という言葉通り、それはポジティブなものである。

しかし、生きている実感というのは、けしてポジティブなだけではない。夢心地なわけでもない。
涙が湧きおこったり、傷を作って痛いと感じたり、あるいは誰かの死に直面したり…。
心身が血を流している時に、ふと生きていることを実感する。
ハッピーとは逆向きのベクトルが働く時、生きていることを実感するものなのではないだろうか。

そうやって私は、生きていて良かった時と、生きている実感がある時とを行ったり来たりしながら、紛れもなくそれを「生」として受け取っている。

10年以上前の8月、仲の良かった友達が星になった。
その2年後、父が星になり、そこから数年して祖母もやはり星になった。
その瞬間、私は悲しみより先に不思議な気分に囚われた。
彼ら・彼女らは、生命維持機能を失った直後から、もうこの世のことは知らないのだと。
その時私は、彼ら・彼女らがもう知ることのできない1秒後を次々と過去にしていることを知る。
自分がまだこの世に残っていることを感じていく。
生きている実感はそうやって生まれる。


7月15日、我が家では盆を迎える。

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