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Thank you for your understanding
英語のアナウンスによくある"Thank you for your understanding."が好きである。(ちなみにJRのThank you for traveling with usも好きだ)
日本語だと「ご理解くださいますようお願い申し上げます」だ。
どちらも表現が違うだけで、言いたいことは同じなのだが、「ご理解くださいますよう」が理解が未然なのに対して、"Thank you.."の方は理解が完了していて、それに対し感謝を述べるというスタイルが良い。
ぶっちゃけ、理解してもらう前に「あざまーす」と、有無を言わさずコトを進めるその強引な感じが良いのだ。
車椅子で外出すると、1日何度となく、譲ってもらう・移動してもらう・何かをしてもらうことが多い。
以前は「すみません」と「ありがとう」を使い分けていたが、数か月前から、私は「すみません」を極力使わず「ありがとう」を使うようにしている。
それで世の中が変わるとか、人の意識が変わるとか、そんなことを期待しているわけではない。
どちらかというと、自分の意識を変えるためかもしれない。
「すみません」は便利な言葉で「ごめんなさい」も「ありがとう」も、これ1つで済んでしまう。
しかし、どちらかというと「申し訳ありません」的なニュアンスがないだろうか。
たとえばバスに乗る際、車内には優先スペースがあって、車椅子が乗り込む際は2人分のシートを畳み、そこに陣取ることが出来る。そのスペースに先客がいる場合は移動してもらわなくてはならない。バスの構造上そうなっているのだから、私のせいではない。「私が乗るせいでせっかく座っているのに移動していただくのは申し訳ないです」なんて思う必要はない。
だから「すみません」ではなく「ありがとう」だ。
街に出るとそういうようなことがたくさんある。
何かをしてもらった時に感謝の言葉は必要だと思うが、そこに”申し訳なさ”など感じる必要はない。世の中は、身体が自由に動く人たち用に作られているのだ。
不自由さを感じていない人たちにそのことに気づいてもらうためには、まず当事者が”申し訳なさ”ではなく、人として純粋に感謝する気持ちを伝える必要があると思う。
"Thank you for your understanding." 今日の外出もそう言おうと思っている。
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