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読むグレイス④醸造学の研究論文を読む「フェノール化合物に基づいたアルゼンチンのメンドーサにおける様々な産地のマルベックのテロワールとヴィンテージの判別」

ブドウ畑では、芽から葉が展開していく展葉期に入ろうとしています。

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今日は、久しぶりに海外の栽培醸造学に関する論文を翻訳していきたい思います。
今日、取り上げるのは、2月にNatureのウエブサイトに投稿された、テロワールに関する論文です。
コロナ禍になってからは、海外の醸造家仲間と毎日のようにグループでチャットをしているのですが、「テロワールを科学的に分析している」として発表されるとすぐ話題になっていた論文でした。
論文の執筆者を見てみると、かつてアルゼンチンのカテナサパタワイナリーで修業をしていた時代の同僚の名前が…!そんなご縁もあり、この論文を選びました。

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読み進める前に、少しだけ、カテナサパタワイナリーと、アルゼンチンを代表とするワイン産地メンドーサのマルベックのお話をさせてください。

論文にも書かれていたのですが、メンドーサは、アルゼンチンのワイン生産量の85%を占め、主要品種のマルベックは、アルゼンチンが世界一の生産量となっています。

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アルゼンチンのブドウ畑は、高い標高に位置することが特徴的で、修業時代には、2000m以上の畑も見かけました。野生ブドウならありえそうな話なのですが、ヴィティス=ヴィニフェラ(ワイン専用品種)では、恐らく世界で最も高い標高にあるのではないかと思います。ちなみに、日本やヨーロッパでは、1000m以上の標高になると、ワイン専用品種は寒くて生きられません。

また、ウインクラーによる4月~10月の有効積算温度区分インデックスI~Vを網羅する気候条件も、メンドーサ特有のものです。この指標だけ見れば、メンドーサという一つの州に、ブルゴーニュ、ボルドー、ローヌ、イタリア南部といった多様な気候条件が存在していることになります。

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私自身が、季節の巡り合わせを利用して、南半球のワイナリーと、日本の実家のワイナリーを行き来しながら、経験を積んでいた時代、2011年の3ヶ月間と、2012年の2ヶ月間にお世話になったワイナリーが「カテナサパタ」です。
アルゼンチン・マルベックのパイオニアとして名を馳せる家族経営のワイナリーで、現在は、医師のラウラ・カテナ氏がオーナーを務めていらっしゃいます。
カテナサパタを唯一無二の存在にしているのは、素晴らしいワインを造る一方で、ワイナリー内に「カテナワイン研究所」を設け、学生や博士号を持ったチームが、写真(↓)のような試験醸造を行い、論文として発表し、アルゼンチンワインの可能性を掘り下げているところだと思います。研究所のチームと、現場の醸造家たちは距離が近く、ラウラのヴィジョンを共に実現していく、ワイナリーの研究所の見本であるように感じました。

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それでは、読み進めていきたいと思います。
Terroir and vintage discrimination of Malbec wines based on phenolic 
composition across multiple sites in Mendoza, Argentina
「フェノール化合物に基づいたアルゼンチンのメンドーサにおける様々な産地のマルベックのテロワールとヴィンテージの判別」

執筆者は、以下の方々です。
Roy Urvieta, Gregory Jones, Fernando Buscema, Rubén Bottini, Ariel Fontana
Roy Urvietaさんは、カテナ研究所の一員です。

原文はこちらです↓
https://www.nature.com/articles/s41598-021-82306-0

「はじめに」を訳してみました。

『この研究では、アルゼンチンのメンドーサの12の地理的表示(GI)における23区画のブドウからマルベックのフェノール成分を分析した。
連続したヴィンテージ(2016年から2018年)の3年間にわたり、標準化された醸造が行われた。ケモメトリックスによる統合データ分析に基づき、さまざまなGIおよび区画からデータが識別された。
ヴィンテージの影響と特定のフェノール化合物は、いくつかのGIまたは区画に関連付けられた。同じように、地域の気候条件により、GI(および一部の区画)を部分的に区別することができた。ランダムフォレストにより、異なるヴィンテージの23区画のうち11区画が正しく識別された。この分類に関連する最も有名な化合物は、p-クマル酸、デルフィニジン3-グルコシド、カフェ酸、ケルセチン、ペオニジン3-グルコシドであった。
この研究により、フェノール成分を介して、区画の特性を識別できるようになる。これは異なるヴィンテージの様々なGI(および個々の区画)から造られるマルベックを特徴付ける最初のレポートである。
これらの結果は、ワインのテロワールの特徴と強く関連しており、消費者とのコミュニケーションやアルゼンチンワインの位置づけを位置づけるために役立つものである。』

内容を見ていきますと、この論文では、3ヴィンテージ(2016、2017、2018)に亘り、メンドーサ州にある3地域(イーストゾーン、ファーストゾーン、ウコバレー)、6郡、12GI(地理的表示:Geographical Indication) から、23区画のフェノール化合物量と成分をHPLC-DAD(ダイオードアレイ検出器を備えた液体クロマトグラフィー)により分析を行っています。

まず、それぞれのヴィンテージによる影響が述べられており、ANOVA(一元配置分散分析)、PCA(主成分分析)、PLS-DA(部分最小二乗判別分析)を使用した分析結果がこちらになります。

2016年(雨がやや多く特異的な年)チロソール、ペツニジン3-グルコシド等
2018年(平均的な年)マルビジン3-O-p-クマリルグルコシド、ケルセチン3-グルコシド

このことから、ヴィンテージによって異なるフェノール化合物が分類されており、複数のヴィンテージを分析しないとテロワールに関する特徴はつかめないということがまとめられています。

次に、フェノール組成とGIにおけるテロワールの特徴との相関関係ですが、PLS-DAとConfusion Matrix(混同行列)を使用した結果、地域では、イーストゾーンとウコバレーにおいて、また、GualtallaryのGIに共通してアントシアニン、ケルセチン、トランスピセイドなどが分類され、産地によっては、フェノール化合物が正しく判別されました。
ここでは、土壌の影響を受けるので、GI間の距離の近さは、似たようなワインの性質を表すわけではないということも付け加えられていました。

私たち醸造家にとって、赤ワインの色素として重要な「アントシアニン」の記述もありましたので、ここにまとめさせていただきます。

・標高(UV-Bと低温)の高さとアントシアニンには相関関係がある
・最適なアントシアニンの蓄積は、涼しい夜間温度(15℃)、適度な日中温度(25℃)で起こる。
・気温36度以上になると、アントシアニンの生合成の減少と分解が起こる

最後に、異なるヴィンテージの区画特性を判別する可能性ですが、クラスター分析を行ったところ、以下のように分類されています。
①イーストゾーンとLuj-Ug-Za-1(ファーストゾーン)
②GualtallaryGI
③ ⑴Lunlunta, Ugarteche
      ⑵Agrelo, Altamira, Cepillo, Chacayes, Los Arboles, San Jose

そして、ランダムフォレスト分析により、11区画が正しく判別されました。
このときの重要な変数は、p-クマル酸、デルフィジン3-グルコシド、カフェ酸、ケルセチン、ぺオニジン-3-O-グルコシドでした。

最後に、この論文の結論をまとめてみました。
・標高の高い産地で特定のフェノール化合物量が多かった
・区画によっては、フェノール化合物の成分により、ヴィンテージとは無関係に予想された
・高品質ワインを産み出す区画のフェノール成分の一貫性があった
・独自の特性を持つ区画の個別化の重要性


ここからは、論文を読んだ私自身の感想で失礼いたします。
この論文の面白さは、テロワールの概念を産み出したフランスよりも広範囲な区画の分析を行ったアルゼンチン業界の挑戦する姿勢にあると思います。
私自身、フランスで勉強をした後、新世界と呼ばれる南米やオーストラリア、ニュージーランドで研鑽を積んだのですが、旧世界と呼ばれるヨーロッパの盲点をつくのが、新世界のワインの魅力の一つだと感じています。

また、私は、毎日の畑仕事とテロワールにこそ真実があるのではないかと考えています。
ジャッキーリゴー氏が書かれた「テロワールとワインの造り手たち」はとても美しい本ですが、この本の中で、アルザスの生産者が「セパージュはファーストネーム、テロワールはファミリーネーム」とおっしゃっている通りに思います。また、既にアリストテレスがテロワールに似た概念として「フィシス(自然本性)」という言葉を用いていたとも書かれています。

ただし、テロワールを語るには、ワインの熟成が必要なんだと綴られていることも同時に興味深く、やはり、グレイスワインは産地を重んじた、熟成できるワイン造りという姿勢をこれからも大切にしていきたいと思います。

グレイスワインの産地特性を引き出した甲州のお話はこちらです。


そして、日本におけるワイン造りの魅力を掘り下げることの大切さも感じました。ブドウの生育期に雨が多いなど、嘆く時代はもう過ぎ去りました。
島国ならではの気候、多様な土壌特性、日本人のクラフトマンシップなど、日本の宝があるはずです。
そして、マーケティングではなく、改めて産地の個性を大切にしたまっとうなワイン造りへ向かいたいと思わせてくれる論文でした。


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