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自分には価値がないと思い込む病 〜 お金とパートナーシップの関係④

▼前回

今日は寒かったなー。
ということで、今回は「自己肯定感が低い」について考察したい。

最近は「自己肯定感が低い」とよく言う。
じゃあ、どうして低くなったのかというと、自尊心を傷つけ続けるからだ。
よく毒親というけれど、子どもの自尊心を傷つける親のことかなと思う。

けれど、自尊心を一番傷つけているのは親ではない。
自分自身だ。
よく、心理学では自分の頭の中にお母さんがいると言ったりする。

例えばそれはこんなことだ。

すごくおいしいけれど高いな、でもまいっか、コンビニのプリンで。
(いつも高いものを買った方がいいとかコンビニが悪いとかではないです)
こういうとき、「もったいない!」という母の声が聞こえたりする。
それは、こんな美味しいものを食べる価値が自分にはないとか、自分よりお金が大事だと自分にいうこと。

すごく素敵な異性と出会って、うっかり好きになる。
頭の中で、「自分なんて愛されるはずがない」「こんなひと相手にしてくれるわけないよ」「わたしみたいのじゃ釣り合わないよ」とか誰かの声が響く。
そうだよね、どうせうまくいかない、辛くなるだけだよねと同意する。
鏡に映った自分を見て、ため息をつく。
もっとかわいかったらな。
こんな風に、別に誰にも何も言われていないのに、自分を馬鹿にし続ける。
あるいは、自分には愛される価値がないという思い込みを強化し続ける。

これは、スピリチュアルではエゴといって、自分を傷つけないように自分を守る行動でもある。
すっぱいぶどう。
最初からなければ、失わない。

人によっては朝から晩まで、自分へのダメ出しは続く。
(数年前のわたしのことだ)
今日は時間通り起きられなかった、なんてダメなんだろう。
昨日飲み過ぎたからかな、こうなるってわかってたのにやめればよかった。
あー肌がボロボロだ、くまもすごいし、ブサイクだな。
気づかなかった、この服シワよってる、もうだらしないなー。
あれ、鍵どこ行ったんだろう、あー部屋汚い!
女としてだめだよなー。
…こんな風に、頭の中が忙しい。

ちなみに、上記はすべてわたしの脳内劇場であったことだ。
自分責めのプロだった。

我が家の娘わたしの師匠は、全く逆。
鏡を毎日見て、わたしって世界一可愛いよねとうっとりしている。
失敗をすればこんなところも可愛いよねとかのたまう。
自己肯定感が日々積み上がっていく。
こんな風にすればよかったんだと、日々学ぶ至らない母。

さておき、自分を傷つける行為というのはまだまだある。

新しいチャレンジをしないことは、自分に力がないと認めることだ。
自分に「あなたにはできないよ」と言って、自分の可能性を否定する。
性別や年齢、状況のせいにして、自分の未来を諦めさせている。
自分で自分に嘘をつく。
やりたいことを自分にやらせてあげない。
同じことを自分のこどもにはしないのに、なぜか自分にするのは普通。

断らないことは、それを要求する誰かを自分より優先していることになる。
いやだと言えないのは、誰かに嫌われるのが怖いから。
自分の気持ちを踏みつけて、自分じゃない誰かを大事にして、自分を我慢させている。
でも、本当にその誰かは自分にとって必要なのかというと、だいたいそうでもないwww
というのも、断らないひとは舐められるからテイカーばかり寄ってくる。
断れば、そんな自分を好きになってくれるひとは新しく現れてくる。

誰かを頼らないことは、自分には価値がないから誰かの時間や労力をもらえないと考えていることだ。
本当は弱い自分を曝け出すことは、相手を信用していることだ。

いやなのにやり続けることは、いやだという自分の内側のサインを無視し続けることだ。隣にここが痛いというひとがいたら「だいじょうぶ?」と聞くはずなのに、なぜか自分には聞いてあげない。

かわいいですね、と褒められたら、ものすごい勢いで否定する。
そういうひとは、相手からの好意を受け取れない。
そして、相手の気持ちを否定していることにも気づかない。

気づかないうちに、大人はだいたいこういうことをしている。
自尊心が傷つくと、その結果として、受け取れなくなる。
それが一番の問題で、お金とパートナーシップに直結する。

今日も、長くなったのでここまで。


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