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学び続けられる喜び

「神様感謝します!」と半ば興奮気味に一気に書いて前の記事を投稿したのが3か月前の9月末。

何に挑戦しているんだか、よくわからないぼかした表現をしていましたが、その結果がやっと今日届きました。

念願だった通信制大学院の合格通知!

ハレルヤ―!!
神様、感謝します。まだもう少し学びを続けていいというお許しがいただけました!

一次筆記試験にはなんとか通り、11月の二次の面接試験に進みましたが、当日は緊張しすぎて頭が真っ白に💦
いつも画面越しに講義を視聴している先生方を前に、自分の研究計画の甘さを突かれ、しどろもどろになってしまった私💦
当然ながら、消化不良な受け答えしかできず…💧

半分くらいあきらめの境地、死刑宣告を待つような気持ちで今日まで固唾をのんで結果を待ってました。

母マリアが、キリストの受胎告知を御使いから受けた時に、命がけで
「神様の御心の通りにこの身になりますように」と神様のご計画を受け入れたように、落ちても受かっても、それが神様のご計画だと感謝して受け入れようと、心に決めてはいたのですが、やっぱりはっきり結果が分かるまではどうにも落ち着かず、大学院の先取り勉強を始めてはいたのですが、あまりちゃんと身が入らない状態でした💦

もし落ちていたら、今のままの立場で地道に職責を全うしなさいということなのでしょうし(資格はなくても子どもたちのかたわらにいることはできるので)、もし奇跡的に合格したら、もう少し学びを深め、スキルアップして、さらに専門的な立場から心に問題を抱えている子どもたちや家庭に心理的援助ができるような仕事をしなさいということなのだと…

そして、神様は50も半ばを過ぎたような、こんな私を憐れんで、「もう少し学びを続けていいよ」と、チャンスを与えてくださいました。

せっかくいただけたチャンスなので、来年の春からは修士論文の執筆や実習が重なり、今まで以上に仕事や生活のスケジュール調整が大変になると思いますが、それは覚悟の上なので、老体にムチ打ち、感謝して学びを続けていこうと思います。

クリスマスに、うれしいプレゼントをくださった神様に感謝します!

コリント人への手紙 第一 8:1,2,3

「私たちはみな知識を持っている」ということは分かっています。しかし、知識は人を高ぶらせ、愛は人を育てます。
自分は何かを知っていると思う人がいたら、その人は、知るべきほどのことをまだ知らないのです。
しかし、だれかが神を愛するなら、その人は神に知られています。