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風日記① カミーユとサステナビリティ

生きるべきか、死ぬべきか、それが問題になる以前に、私は生きることにしか興味がない。

四半世紀と少し。生きるのが決して得意なわけではないけれど、私という人生を生きることはどうにかできてきた気がする。

15歳でフランスへ渡って、自由と責任を学んだ。

21歳で家出をした。それから23歳までの記憶は曖昧だ。

大学を休学し、とりあえず学費2学期分と少しの独立費をアルバイトで稼いだ。演劇、文学、社会学関係のテキストを齧るようになってから、舞台芸術業界と繋がるようになっていた。卒業論文は、劇作家イプセンの作品、日本の社会的呪縛、ジェンダー観について。就職活動はしなかった。この時期、衣食住に対する無頓着さは度を越していた。

23歳。ただ圧倒的な孤独と、まっさらな人生計画。そして野心。

まずは舞台芸術の窓から、世界をこの目で見抜きたい。そしてここまで生きてきた意味みたいなものが、あるのだとしたら、見つけてみたい。自立したい。自由になりたい。

ジリ貧ながら、生きることへの執着はあった。お金も何もないし、暴力的なまでに自分を追い詰めていた気がするけれど、生きたくて仕方なかった。

24歳、私は舞台芸術の制作者をしていた。マネージャーやコーディネーター、アシスタントプロデューサーと呼ばれる仕事だ。「公的な」「国際」芸術プロジェクトの担当者だった。

芸術ほど境界線が曖昧なものはない。そして当時の私の生活も。何もかもが公私混同。無理やり背伸びしたこの国の(inter)nationalityのダサさを、悲哀に満ちたまなざしで見つめる……なんて暇もなく、プロジェクトのために朝から晩まで働いていた。必死だった。

自分の名前がクレジットされる仕事。すべてが自分事。自己責任。業界全体が当事者意識とエゴの狭間でひりついていた。舞台芸術は生の人間が、その日/その場所/その時間でしかできないことをする。時空間を濃縮した、生々しさ。それが作品。そしてそこに携わるすべての人間の生活は、素晴らしい作品への「供物」となる。私はあの日々に自分の生命力を捧げていた。

でもそんな中で、決して人生を見失っちゃいけないのだ。当時の師である制作者・植松氏*は教えてくれた(*彼女のことはいつかしっかり書きたい)。

己を信じぬく。自分が何者かを焦って定義しなくていい。命の舵を誰にも渡さず、人生を楽しむ。踏ん張ることよりも、波に乗る。ユーモアとともに生き抜く。

そんな魅力的な仲間との出逢いもあり、運よく生きてきた。

2020年、COVIDの波とともに、私はGPSSに出逢った。
これまでとは違う形で、生と死に挑戦する。本質は変わらない。

でも、サステナビリティという課題に向き合うにあたって、精神と生活を人質に、自ら心臓に銃を突きつけながら生きることを語るのは、もうやめようと思った。

“If you can’t love yourself, how in the hell you gonna love somebody else?”
自分自身を愛せなければ、他人も愛せない。

そんな感じで、生きていくので、よろしくお願いします。

つづく


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