人生は必ず責任をとることになる 〜彼女と別れた体験から〜

4月のある日。朝6時頃にふと目が覚め、
LINEがきてたので確認すると彼女から別れたいとのLINEでした。

「ついに来たか。いま来たか」って感じでした。

一旦寝て冷静になろう落ち着こうと思ったんですが、2度寝できませんでした(3~4時間しか寝てないのに)

身体へのインパクト(腕と脚がプルプルして力が入りにくい震える感じと、腹の中が嫌にふわっと浮き上がってる感覚)はあるけど、

なぜだか不思議と悲しい、辛い、憎い、恨み、傷ついたなどの感情は湧きませんでした。

「まじか。今日か、いまか、いま来たか、」みたいな、そればっかりでした。

あとは感謝。本当に感謝しか出てきませんでした。
思うに、俺は本当に与えてもらってきたんだと思います。
たくさん本当にかけがえのないものを大切なものを本当に沢山沢山沢山与えてもらって教えてもらって学ばせてもらってきたんだと思います。

だから、体に衝撃はあるものの悲しい憎い傷ついたとかはなく感謝ばかりが湧き上がってくるのかなと感じました。

別れる原因を考えてみた時に出てきたことは結局2つで、

①責任を取らなかった、取ろうとしなかったこと。そしてそのことに責任を取らなきゃいけなくなった。

具体的にいうと、以前彼女が仕事で悩み地元に戻ろうか迷っていると打ち明けられた時、こっちに残ってほしいと言えませんでした。

なぜなら、それは俺のエゴだしそれで彼女に残ってもらったとしても、結婚せず別れることになったらその期間、俺と付き合ってくれている長い時間の責任を取れないと思ったからです。そして実際、結婚したいとは全く考えていませんでした。

つまり責任を取れない.取ることが怖い.取れるか不安.取りたくないと思ったからです。


その時に、アルファ(チャラ男)とかヤンキーは考えなしに思ったことや、今回で言えば残ってほしいとか自分の気持ち.感情.欲望を素直に言うんだろうな。

俺も責任とか考えずもっとわがままに無責任に思ったこと.気持ち.感情を言ったり、やりたいようにすりゃよかったのかなと一瞬思いましたが、

でも結局、その責任を結婚とかでとることになるか、もしくはそこからも逃げるのであればさらにまた別の形で結局はその責任を取らされることになってるのではないかと思いました。(責任の取らされ方は人によってさまざまで本人が全く予想してなかった取らされ方だと個人的に思ってます。)

自分の場合は今回、責任を取ろうとしなかったこと.取らなかったこと.リスクを取って行動しなかったこと.後述する「日々全力を出し切る.尽くし切ることをしなかったこと」に対する責任をとる時がきたんだなと思いました。


「責任を取らなかったことの責任を取ることになった。
責任って取らなくても、取らなかったというそのこと自体の責任を取らなきゃいけなくなる。
つまり、責任は取り続けるしかない。」

今回の出来事から自分はこのように学びました。

最近、虎さんに「仕事が仏教の教えに反する気がする」と相談させてもらった時に、「自分がそのことの責任を取るかどうか、自分でちゃんとケツ拭く覚悟があるかどうかだよ」と教えて頂きました。

その時からやはり自分は、「悪いとわかってるなら、その自覚があるなら悪いことはしたくない」と思ってましたが、それは単に悪いことをした結果が自分に返ってくるのが嫌だ.返ってきてほしくない.嫌な目に遭いたくない、自分でそのケツ拭きたくない、責任取りたくないヤダヤダヤダヤダって思ってたからで、

今回はこの考えが気持ちが間違ってるよってことを教えてもらうために、
自分にとってインパクトのある出来事が目の前に降りてきた、与えてもらったんだなと思います。

自分がやったことの責任も取るし、自分がやらなかったことの責任も取る。自分がやらなかったことによって産まれた現実も責任をとる。取らなきゃいけないし、取りたくないと逃げ続けても結局取らされることになる。

なので、これはよくない考え方かもしれませんが、どうせ必ず何らかの形で取らされるんなら、それなら積極的に取っていこうじゃないかという風にも思っています。


②日々全力を出し切っていなかった、尽くしきっていなかったこと

必ずくる別れに対していつ来てもいいように後悔しないように、会っている時は相手のために全力を出しているつもりでした。

でも、全力を出し切る、全てを尽くし切ることをしていなかった。日々、会っていない時間も相手のために全力を尽くすことはしていませんでした。(例えば筋トレ.トーク力.デートプラン.SEX向上など相手によりよい時間、気持ちを提供するための日々の努力、勉強、鍛錬等)


「小人閑居して不全を為す」
人としてできてない奴は暇を持て余すとろくでもないことをするという意味です。

初めて意味を知った時からこれおれじゃんとは思ってたんですが、今回はよりまざまざと俺は本当に小人だったじゃねえかと思わされました。

暇な時間はいくらでもあったのに、彼女のためや自分のためになる何かをしていなかった。

虎コンに入っていま3ヶ月が経ち、「いつもみたいにたるんできた.緩んできたな、面倒くさがりの自動思考にコントロールされているな」 と感じながら、

つい先日の東さんのセミナーで「強く強く本当は変わりたくないっていう別の自分がいるな」と気づいて観察し始めた頃だったんですが、

それよりも単純に俺が全力を出し切っていない。

痛い.キツい.苦しい.つまらない.明日に響くのが嫌だ。
虎さんに言ってもらったにも関わらずこれらのお気持ちが出てきて毎日全力を出し切ることをしてませんでした。

だからそれによってインテグリティが下がってパフォーマンスが落ちてきて、それが日々の中でなんでか原因も理屈もよく分からないけど、たるむ.緩む.なぜかとても面倒くさく感じるという形として表出してきただけでした。


もちろん彼女ともう会えないこと、そういう関係ではなくなることや彼女の優しさ.愛.心の綺麗さ温かさ. 彼女の肌の温もりに触れられないことに関してはなんだかこう残念とか悲しいともまた違った気持ちを感じますが、

それよりも、そんなことよりももっと、それ以上にもっと、今までにたくさん与えてもらった愛.優しさ.眼差し.温もり.言葉.気持ち.温かさに本当に感謝してます。

彼女からは本当にかけがえのないものを与えてもらったんだなとただひたすら感謝です。

真剣に付き合う相手が彼女でよかった。彼女と出会えてよかった。本当に沢山のものを受け取ったし、与えてもらったし、学ばせてもらいました。


また、別れることになっても悲しい憎い傷ついた恨みなどを感じないのは虎さんのおかげです。
なぜならそれは、自分が与えられまくってること、傷つくなんて実はないということを教えてもらえたからです。

昔だったら絶対ひねくれて、いじけて、こじらせてたと思います。
ひねくれやすい性格だったはずなのに自分が今回あまりひねくれてない気がして少し驚きました。

彼女と長続きしたり大好きな友達とずっと遊んでられるのも、虎さんが「長期的な人間関係を築きたいなら見返りを求めず与えまくることだ」的なツイートをして、教えてもらえたからです。

年末の忘年会で酔っ払いながらお礼を言ったらそんなツイートしたの覚えてないと言っていましたが、今回の彼女と昨日まで関わらせてもらい続けることができたのは、あの言葉のおかげです。ありがとうございます。

そして、これだけ沢山のものを与えてもらった彼女には今度直接会って今までのお礼と、彼女には心からこれから幸せになってほしいと思っていること、だから今後も悩みや困りごとがあれば協力するからいつでも連絡してほしいことを伝え、

彼女からなにか失礼なことや傷つけたこと、悲しませたことなどを教えてもらった際にはしっかり受け止め頭を下げようと思います。

以上。ここまでお読みいただきありがとうございます。

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