潜ってない溺れてるだけ

曖昧は自由
曖昧は時に正義だ
自分自身がオリジナルである

と言った人がいる。

私はこれを型にはまらないことだと思った。

最近、人それぞれだからと思うことで
自分を守ってきた気がする。


ここまでで書き留めた2020年1月
約2年前になる
久しぶりだねと再会のような気持ちになってくる
絶対なんて絶対ないと書いた先日のnoteに似ていてこの下書きの存在は忘れていたけれど、
根底にあるものはそう変わらないみたいだ
変わらず満員電車に揺られている
スーツ姿の私が窓に写っている
あの書き出しの感覚を持ったのは思考の幅が広がり
私の小さな世界が、この地球上でどれほど小さかったのかを実感した出来事があったから

現在の私を2年前の私は何も想像できていなかった
「変わったね」数年ぶりに会った友人の言葉
褒め言葉として受け取って良かったのか
分からなかった

ほら、まだ私は曖昧なことばかり
2020年1月も曖昧が何か分からないままだった
曖昧について語り出して留まって
時間だけが動いていた
分からないことで満たされた水中に沈んで
踠いても踠いても水面に顔を出せないまま
また1年が終わろうとしてる

曖昧は自由
だからこそ
その自由に責任を持つこと
その自由を正義だと自身の中で定めることが
どれほど重要なのか私はこの数年で体感した

正しさや明瞭の箱に閉じ籠りたい日だってある
それでも
曖昧の先を知るのは
もう少し先でいい

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