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そっと目を瞑る

今年。エアコンを2台新調することとなった。もう限界を超えたのに無理させてきたリビングのエアコン。これは替え時だった。5月の緊急事態前に決断した。お店も明日から暫く休業するタイミングでサービスも良かった。夏の始めで、今年はそこまで暑くなかったのか?と思うくらい快適に過ごせたと思う。

もう一台は夏の終わり。これは予期せぬ時に動かなくなった。涼しくなる季節だったが母親の体調が決断をさせた。もちろん暖房機能もある。僕は花粉持ちなのでどちらもダイキンにした。お財布事情も厳しいなかでかなりの出費だった。

寝起きが大変だろうと母親の6月の誕生日にはソファベッドもプレゼントした。携帯も新しくしたいとのことだったので付き添った。なんだかとても嵩んだが、ちゃんと支払えたのが不思議だと思う。

人の為に

すべてがそうだからなのだろう。お金って自分のために使うとなぜかどこかに引っかかる。けどそうじゃない場合。特に自分以外の事で使うのは清々しい。そして、使っても何故か減らない。実際には支払った分は少なくなっている。でも減ってない気持ちになる。

遺言なのかな

敬老の日に今後のことを母親とじっくりと話した。覚悟も聞いた。この一ヶ月体調は悪くなる一方で治せるものか検査を僕は望んでいたが、それは選ばないそうだ。それもいい。本人が決めるべき道と理解はする。もし、母親がいなくなると親は誰も居なくなる。僕はひとりっ子なので家系で最年長となる。また息子もひとりっ子だから数少ない身内が減ってしまう。

「ここのままここに居させて欲しい」

これが母親の想い。それを受け止めた。専門の介護や介助を求めずに日常の中で暮らすことを選んだのだ。僕はそれを尊重する。

父親

二十一年前に他界している。まだ僕自身が高校生の頃から父と二人暮らしのなかで、スリリングな生活を送っていた。父は病気で気を失うことしょっちゅう。救急車も一度や二度ではない。患者以外も容赦なく運ばれるので、救急車を呼ぶのも手馴れたりしていた。それでもなんとか十年以上生きて僕が二十八の時に家でひとりの時に動かなくなった。母親とは離婚していたので僕が葬儀の段取りや喪主を務めた。慌ただしかったが苦痛ではなかった。なので人が衰え亡くなるまでを一度体験している。だからなのか。母親の話はスッと受け入れられる。

寂しくなるかな

いろんな葬儀を見てきて参列もしてきた。自殺した身内もいる。そんな経験を望んで重ねたわけでは無いが、割と若いうちに続いたので少し感覚が麻痺しているのかも知れない。誰のお別れにも泣いたことがない。映画で泣く涙腺はちゃんと持ち合わせている。母のその時が来てもそれは無いと思う。自然の摂理ならば大丈夫だ。悲しくはならないけど少し寂しくなるな。

どう生きるかそして…

選べる。それは幸せなこと。どう終わるか。自分で決められること。そうじゃないことがある。希望を言える相手がいて、その状況を作れることはすごいことだと思う。どう生きるかは無限に選べる。でもどう終わるかを選べる人は少ないと思う。母は選べたのだ。


夕陽が差すバルコニー前の和室が母の部屋。四階から見える公園の紅葉や虫たちの声が季節を伝えたりする。そこで最後の時を静かな日常とともに迎えたいと願ったのだ。僕は賛同する。なぜかって?それは























母さん。息子と孫の側で少しでも長生きしてくだされ。




私事にお付き合いくださって
申し訳ございません

お読みくださって
ありがとうございます

トチロー

















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