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おじさん化待ったなし(禁煙11日目)

禁煙も10日を超え、禁煙という表現以前に、吸わない体になってきた。睡眠時間が短くても寝起きはよく、1週間を超えた頃から、毎日10km程度ジョギングしても息があがることもない。体調はすこぶる快調である。

肌の調子もいい。大人になってストレスか何か突如アトピーが出て、だましだまし付き合ってきたが、ここ数カ月はかゆみがひどく、掻いた跡が色素沈着を起こし、背中や脇がとても汚かったが、タバコをやめてから、かゆみがピタッと止まった。季節が変わり、空気の乾燥が落ち着いたこともあるだろう。ただ、ここまで禁煙と肌の回復のタイミングがピタッと重なると、再び吸う気は失せてしまった。

さて、タイトルと矛盾するように、体はここ2年と比べると若がっている気はする。一方で、心はおじさんへと着実に向かっている気がする。その一つが新たな音楽への受容だ。

過去に音楽に関わる仕事をしていた癖が染み付いているのか、そもそも好きだということもあるけど、自分が知らない音楽を探すことはライフワークだった。洋楽は月に何枚もジャケ買いして、求めていたテイストと違っても、それでもそのアルバムは愛おしかった。

音楽はサブスク全盛の今、無駄な行為と見えるかもしれないけど、1件2時間、3時間、レコード屋さんやCD屋さんを巡るのは、とにかく楽しかった。

サブスクアプリなら、好きな曲をため込み、リストの傾向に合わせて、お薦めを提案すらしてくれる。おかげで、簡単に自分の好きな音楽を楽しめるようになった。音楽の持ち運びが便利になり、いつでもどこでも好きな音楽を聴けるようになった。とてもいいことだと思う。

でも、それと同時に愛情はどこかに置いてきてしまった気がしてならない。レコード屋さんにもCD屋さんに足を運ぶことはなくなったし、音楽を聴こうと思ったら無意識にApple MusicとYouTubeを開いている。ぺらぺらとレコードやCDをめくる、出会いに胸がときめくチャンスはなくなってしまった。言ってみれば待ちの姿勢が骨身に染み付いてしまっている。与えられることに慣れてしまった。

怖い。いや、怖くないですか?

あと、好みの音楽を提案される怖さ。便利、本当に便利。でも、そのジャンルの音楽しか聴かなくなる、無意識に。確かに好きな音楽だ。ん?でも、"お薦め"してくれているから好きと錯覚している?好きになっちゃった?それはわからないけど、これすら、因果関係を考えてみないとわからない。

今の世の中はとても便利。だけど、自分の価値観がどんどん固定されていきそうで、アラフォー漢としては、自身の心がおじさん化しているんじゃないかと怖ろしいわけです。

そんな中、自身の殻を破る、柔軟な受容性を持っていると思うのは、鈴木雅之さん。マーチンさん、めっちゃカッコいい!!カバーアルバムで、YOASOBIの『怪物』をカバーしている。マーチンさんカバーは、スローで、怪しさ、大人のあでやかさを感じる。スピード感ある本家がネオン煌めく雑居ビル群から、霞の向こうに現れる高層タワーを見上げる、怪物に追いつめられるサイドからの歌に聞こえる一方、マーチンさんの『怪物』は、高層ビルから見下ろす怪物側の視点に立った、どこか余裕を感じる歌に聞こえる。山本耕史さんが見下ろしている感じ。不思議だ。どちらも好きだ。

この人の音楽に対する受容性は非常に柔軟なんだと思う。自分が成功を収めてきた世界から一歩踏み出して、そこでおそらくもがいてもがいてもがいて、新たなリスナー層から評価を得、今のポジションをつかみ取ったんだと思う。

あくまで、私の想像の域を超えないが、もしマーチンさんがもがき苦しんだんだとしたら、自分のことをおじさん化したなんて、おこがまし過ぎる。

はい、心の整理できた。また明日から頑張る!!!

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