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フリーダ・カーロ:自己表現と大乗

わたしはしっかり者なのよ、という声を電車でふと耳にしました。 気むずかしく見られて、誤解されやすいのだけど、と。 年配の方の声でした。ひとが自分自身をどう表現するのか、いままで何度も見聞きしてきたはずでしたが、その人の言葉はなにかちがう印象を抱かせるものでした。 耳にして「そうなんだろうね」と思いました。それは「あなたがそう思うんならそうなんでしょう」と突き放したふうでなく、「あなたはそんなところまでたどりついたんだね」という感心に近いものです。 そしてその印象は、私に

    • はじまりとおわりを引き受ける

      はじまるってことは、おわりがあるってこと。 あまりにも当たり前のことです。でも言葉にすると、とても不思議な感じがします。そもそも当たり前のことは、ふだん言葉にしないからです。 当たり前のことを言葉にしないといけないとき、たいていは、何か別のことが問題になっている場合が多いようです。たとえば、途方にくれているなかで、誰かに「真実」として当たり前のことを言われると、一切解決した感じがするものです。そういうやりとりを誰かとしたことがありませんか。 当たり前のことが、「問題」と

      • 「虫と歌」(市川春子)、生と死の受け入れかた

        少しずつ、目が悪くなっている気がする。50m先の電光掲示板もおぼつかない。メガネを買い替えたほうがいいかもしれない。 市川春子の「虫と歌」のエピソードを思い出していた。あらすじを紹介しよう。 晃(こう)と暮らす双子のきょうだい。晃は昆虫の模型づくりを仕事にしているらしい。きょうだいはそれを手伝いながら、高校生活を送っている。 あるとき、翅のついた男がベランダに飛来し、襲いかかる。晃がサナギとして深海に沈めていたカミキリムシだった。彼らは傷ついた彼を「シロウ」と名付け、一緒

        • 「つもった雪」、見えないものへの思い

          ずっと前に、この一節を引用したことがある。 当時、この「原田さん」という人がとても生々しく感じられた。原田さんがどうしようもない思いを抱えて、学問にすがっているのだと思っていた。他人事とは思えなかったのだ。 しかし、今になってこの一節を思い出したのは、少し違う気づきに手を引かれてきたからだった。 原田さんにとっての学問とは、風穴だったのではないだろうか。日常生活には現れることのない「異質」なもの。彼が「後生大事に拝んで生きている」学問は、もしかしたら「原田さんの言葉のやさし

        フリーダ・カーロ:自己表現と大乗

          「開かれていた」世界に気づくとき

          中井久夫という精神科医がいました。昨年2022年8月、88歳で亡くなったのですが――、「いました」と書くのが少しためらわれます。 もう直接会うことができない。その事実は、「失われた」という感覚や、事実を受け入れるときの戸惑いとなって、静かに広がっていきます。 受け入れにくい、呑みこみにくい出来事は、あまり多く起きるものではありません。 自分なりの解釈が定まらないと、今まで「閉じていた」と思っていた世界が、実は「開いていた」と気づくような感じが時々あります。この不安な感じ

          「開かれていた」世界に気づくとき

          「完璧な師」と呼ばれた人

          内田樹氏のレヴィナス論3部作は、昨年の2022年4月に第3部「レヴィナスの時間論 『時間と他者』を読む」が発行されました。できれば文庫版で入手したいのですが、まだそんな段階ではなさそうです。 * * * 内田氏の前2冊「レヴィナスと愛の現象学」「他者と死者 ラカンによるレヴィナス」では、シュシャーニという人物のエピソードが時折り紹介されます。レヴィナスは、彼だけを「わが師」と、しかも「完璧な師」とまで呼んだそうです。 「完璧な師」とは、いったい何でしょうか。ふだんはそんな

          「完璧な師」と呼ばれた人

          読書の「時間と自由」について

          本を読むことを楽しみにしている人には、もっと読みたい、と思っているのに、全然スピードが上がらないことに悩んでいる方もいるようです。 私自身、そんなに読むのが早くないので――自分ではむちゃくちゃ遅いといつも思っているのですが――、そう聞いた人の気持ちはわかる気がします。 速く読めない理由は、大まかに次のようなところでしょうか。本好きだという人ほど、こういったところにハマる気がします。 小説は速く読むとイメージできないし、登場人物の気持ちに入れない 初めから順に読まないとネ

          読書の「時間と自由」について

          手書きの「近さ」と「重さ」

          手書きの手紙を受け取った体験のない人も、そろそろ増えている気がします。 あるいは手紙からメールへ移っていった世代の人たちは、仕事で、あえて手紙を手書きでしたためるよう求めたり、求められたりしたかもしれません。 どうやら手書きには、用件だけで済まない事情があるようです。 たとえば、取引先へ「真心」を伝えるには、手書きがよいとも言われますね。しかもこういった主張がされるとき、“手書きは「真心」を伝えるための手段だ” という表現さえも避けられることがあります。私は、この微妙なニ

          手書きの「近さ」と「重さ」

          書に向かうとは、「時間」に向き合うことかもしれない

          自分の書く字は、日によって全然違う。そう思うことはありませんか。 私は夢日記をつけていた頃、目覚めた直後に書いた字があまりに読みにくかったのを思い出します。 そうでなくても、書き文字の形はそのときどきで姿を変えるものです。 いつもと変わらない日でも、書く文字がとても弱々しかったり、ときに堂々としていたり、我ながら満足するような流麗さだったり。自分では、それをうまくコントロールすることはできません。 また、じっさいにお手本を置いてみて、筆跡そのままに書くのはとても難しいこと

          書に向かうとは、「時間」に向き合うことかもしれない

          書道って、タイポって何だろう

          昔、習字の先生が朱筆で添削する字はバランスがよくて美しく、何となく人柄が現れている気がしていました。添削されるたびにモヤモヤしてはいましたが(笑)、どう書けば美しくなるか分かる感じは残り、一時期とはいえ習ってよかったと時々思います。 しかし、書には「きれいな字」「美しい字」と少し違う書き方があります。 書道部で出展される書を見たことがありますか。太い筆で叩きつけたり、カスレても続けたり、ゴチゴチの字体で漢字をならべたりと様々です。 当時、ああいった作品の捉えかたに戸惑って

          書道って、タイポって何だろう

          SFの原体験と「ソラリス」のこと

          前回に続き「ソラリス」について、あらすじから紹介してみます。 * * * 毎年数百もの星が発見されるなか、ソラリスは異常な軌道を保ち続ける惑星として注目されました。 理論上ありえない動きをするこの星に、研究者たちは調査に乗り込んだのですが、分かったのは、ソラリスの海全体が、ひとつの有機物質だということだけでした。以来100年余り、数えきれない研究と考察が積み上げられ、そして一切が徒労に終わりました。 主人公のクリスは、ソラリス上空のステーションに行き、奇妙な光景に出くわ

          SFの原体験と「ソラリス」のこと

          「ソラリス」のテーマはどこにある?

          生まれて間もないヒナが、目の前のものを親と思うことを「刷り込み」といいます。鳥類だと成長した後でも似たことがあるそうです。 あるいは祖父母の世代から、くりかえし同じ時期の思い出話を聞かされる、という経験はなかったですか。 ともかくそれは、たぶんその人にとっての「強烈な時代」があった――出来事が強烈であったり、その人が “感じやすい” 時期にあった――ということなんだろうと思います。 いまの私の場合、20代前後のことが本当によく思い出されます。浪人の時期に入って、勉強もせ

          「ソラリス」のテーマはどこにある?

          言葉にならない思いや体験を、どのように扱えばよいのか

          よく晴れた頭痛のする朝、あるいは親しい人との将来の別れ…。 言葉にならない思いや体験を、どのように扱えばよいのか戸惑ったことはありませんか。今回はこのことについて書こうと思っていたのですが、ほんとに言葉にならないので困っていました。 SNS上では、前後の文脈から切り離されたワードがしばしばバズりますが、すべての思いや体験が「皆さん」向けに分かりやすく加工できるかというと、そうともいえません。むしろ「闇」に葬った部分のほうが多いことは、一人一人がよく知っていることでしょう。

          言葉にならない思いや体験を、どのように扱えばよいのか

          「死者の書」、あふれ出る物語

          折口信夫の「死者の書」の冒頭です。 現代のことばづかいから、少し離れた言い方です。しかし声にしてゆっくりと読むと、からだに入ってくる感覚をいつも覚えます。 * * * 「した した した」。 滋賀津彦(しがつひこ)が葬られた石室でゆっくりと目をさますなか、水のしたたる音を耳にします。無音のなか、湿った床に、高くない場所から一滴ずつしずくが落ちているのでしょうか。 本文には多くないけれど、独特のオノマトペが印象に残った人も多いでしょう。音や動きを言いあらわす表現が、この物語

          「死者の書」、あふれ出る物語

          ターナーと「鍵穴」

          ウィリアム・ターナーという19世紀の画家がいます。 はじめて彼の作品と気づいたのは、10年ほど前です。陽光と水分をふくんで見通しを失ったような空気、そして水上に浮かぶ帆船。いったいどの作品を見たのかおぼえていませんが、夕焼け色とも赤土色ともみえる濃密な空気感は、折にふれて思い出されます。 この文章を書くにあたり、彼の作風をあらためて調べてみると、たとえばWikipediaの([要出典]の)説明には、このようにあります。当然ですが、やっぱりそういうふうに描いていたようです。

          ターナーと「鍵穴」

          つなぐ、読み直す、すべてを変える

          「人新世の「資本論」」(2020)で話題になった斎藤幸平氏に、「大洪水の前に マルクスと惑星の物質代謝」という著書があります。もともとは「人新世」という言葉に目を引かれて、紹介を読んだのが私のきっかけでした。 当時、人新世とは大げさな、と思っていました。46億年の地球の歴史に「人」の名を冠するなんて、と。それって「草食系男子」を流行らせるのと何がちがうのか、と。 つまり流行りものをあまり好まない性格が、引っかかった理由だったんですね…。 ただ、この言葉は流行りでガヤガヤし

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