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母よ

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母との思い出を綴っていきます。
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#思い出

【母との思い出】#12

【母との思い出】#12

僕が幼い頃、母はよく
「お母さんは明日はもうおらんかもしれんからね」
とことあるごとに言っていました。

でもまだなんとか元気で生きています。
あの頃、淋しかったんだろうなぁ。
長生きしてください、母よ。

【母との思い出】#8

【母との思い出】#8

中華屋さんに入ったときのこと。
メニューを見て、チャーハンとラーメンを注文しようとして、母は
「チャーメン」
と言った。混ざってしまったのである。

私の笑いのツボにハマってしまった。

結局、普通にチャーハンとラーメンを食べることはできた。

【母との思い出】#4

【母との思い出】#4

母は、僕がものを書くことを認めているかどうかは分かりませんが何年か前に誕生日プレゼントでボールペンを贈ってもらったことがあります。

当時は新聞に詩を投稿して、掲載されたこともありました。
その後、母からもらったボールペンで書きました。でも今でも泣かず飛ばずではあります。それでも僕は書き続け、ボールペンは傷み修理に出したところ、まだ使えはしますが調子が悪く二代目のボールペンを買いました。

口に出

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【母との思い出】#3

【母との思い出】#3

大人になってのことです。
十年くらい前でしょうか。
認知症の叔母のお見舞いに宮崎県に行き、叔母のお見舞いが済んだあと日南のドライブインまでドライブしよう、という話になりました。

母と二人、レンタカーで日南に向かいました。
私の出身は宮崎県なので道は知っていました。

ドライブインに着き、昼食を食べた後名物の日向夏ソフトクリームを食べたと思います。ひとしきり景色を眺めたあと、母は
「このことは内緒

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【母との思い出】#2

【母との思い出】#2

私が小学校低学年のとき、レクリエーションで母が徒競走を走ったことがありました。
走るのが苦手だった母も参加してくれました。

その徒競走は、ピッと笛が鳴ると逆方向にターンしなければならないもの(今でいうフットワークみたいなもの)で、走っているみんなからは遅れていた母でしたがピッっと笛が鳴ったおかげで見事一位でゴールしました。

よく走ってくれたなぁ。

【母との思い出】#1

【母との思い出】#1

私が幼稚園児の頃、幼稚園に突然行きたくなくなって不登園になったことがありました。

私は庭に穴をひたすら掘っていました。その穴に母がつまずき、「穴掘り禁止令」が出ました。

またあるとき、当時流行っていたゲーラカイトという凧があって母と上げに行きました。ゲーラカイトはどんどん上がっていき、糸が無くなるまで飛んでいきました。結局、ゲーラカイトは手元を離れ空高く舞い上がって消えていきました。

あのゲ

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