インドの旅(大失敗編)

1.プロローグ

 ここに一枚の写真がある。

 あの日・・・僕が軟禁されていた日、奴らの目を盗んで撮った奴らの店の写真だ。

 これを見る度にいつも思うのだ。

 これは一体どこだったのだろうかと・・・

 もしかすると、本当はニューデリーですらなかったのかもしれないと・・・

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 自分自身の一番の教育者は自分だと思っていた。

 昔から、先々のことまで考えて、自分にとってどう行動するのが一番いいのか、あるいはどう考えるのが一番いいのかまで、自分で計画していたような気がする。

 思い起こせば生まれてこの方、トラブルらしいトラブルなんてほとんどなかった様な気がするのだ。

 自分の計画通り、可もなく不可もない平穏な人生がこのまま過ぎていくのかと思っていた。

 

 そんなとき、インドに行くことになった。どうしてかはよく覚えていない。

 インドは呼ばれた者だけが行くことができるところだという。

 僕もインドに呼ばれたのかもしれない。

 そして僕は、そこで自分の度胸と根性を試されることになる。


2.出発の朝

 旅行の日程は12月26日から年明けの1月3日までで、9日間の予定だった。

 僕は海外旅行にはもう何回も行ったことがあるという変な自信からだろう、最近では旅行の出発の日が近づいてきても緊張感のかけらも湧いてこなくなっていた。

 車の運転でも馴れたころに事故を起こすと誰かがいっていたが、まさにそれは世の真理のようだ。

 とにかく僕はトラベラーズチェックも手配せず、旅行保険も入らず、旅行ガイドブックだけはなんとか前日に買ったというだらしない状況で成田空港に入った。

 飛行機はインターネットで窓側の席を予約してあったのだが、空港でのチェックインの際、係員に「お席は窓側か通路側かどちらがよろしいですか?」と再び聞かれ、思わず通路側と言ってしまった。

 ここだけの話、乗り物の席選びは結構悩ましい問題だと思う。落ち着いて座れるのは窓側だが、トイレに立ったり、座り疲れた時にストレッチをやる為に立つには通路側の方が都合がいいのだ。 

 インターネットでの予約の際には迷いながらも窓側を選択したのが僕の心の底に「これで良かったのかなぁ?」という気持ちとして残っており、今度は違う方を選んでしまったのだろうか?とにかく通路側になってしまったのである。

 

 搭乗手続きを終えて、チェックインカウンターを離れた途端、またしても「これで良かったのかなぁ?」と思い始めた。

 (しまったな~。途中、ヒマラヤ山脈が見えるかもしれないから、窓側の方が良かったな~。)

 この優柔不断なところは僕の一番ダメなところだと思う。

 実は僕、普段は日本ではあまり自己主張できない性格のせいか、仕事の長期休暇には日本を飛び出し、海外旅行に行くことが唯一のストレス発散手段なのだ。

 しかし、一年のうちまとまった休みが取れるのは公休日の続く年末年始くらいしかなく、今年もようやく待ちに待ったこの日がやってきた。

 

 成田空港のインド便の待合所は、さながら異国のようだ。

 頭にターバンを巻いたシーク教徒、サリーを着ているインド人女性たち等でごった返しており、日本人を見つける方が難しい。

 僕は混雑を避けるため、搭乗口に押し寄せる人波がおさまるのを待って搭乗し、自分の席を探した。空いている席は少なかったので僕の席はすぐにわかった。

   

 僕の席の隣の窓側席には、もう既に一人の乗客が座っていた。

 かわいいインドの娘だった。

 僕が、自分の席はここだという仕草をして、軽く会釈をすると、その娘はにこっと微笑んだ。


3.First accident

 僕は英語がそんなに得意ではない。人の言っている事はある程度わかるが、自分の考えを伝えるのは苦手なのだ。(最も、自分の考えを伝えることが苦手なのは日本語であったとしても同じなのだが)  

  1人者同士が隣り合った場合、お互いに敵意がないという意志表示として普通はたわいもない話をするものだろう。しかし英語を話すのが苦手な上、極度の人見知りな僕は(話かけられたら困るな~)と思って黙って座っていた。

 果たしてその娘がしびれをきらして話しかけてきた。

  「Are you going to India?」(あなたはインドへ行くのですか?)

 彼女は自分がバンクーバー在住のインド系カナダ人であることや、自分の家族のことなどをマシンガンのように熱心に話し始めた。彼女は2分ほども話したであろうか?彼女のマシンガンが打ち止んだとき、なんと、こともあろうに僕は「ふ~ん」と言ったきり、何も返さなかったのである。

 二人の間に非常に重たい空気が流れる。僕にとっては良くあることだが、彼女にとっては凄まじい重量感であっただろう。おそらく彼女は(こんな重たい空気を人が作り出せるものなのだろうか?)と、目から鱗が落ちるほどだったのではないかと思われる。

 後ろの席でも一人旅同士の日本人の男女が話に花を咲かせている。席番号を見ると、男の席番号は56K。僕が最初インターネットで取ってあった番号だ。もしもチェックインのとき席を変更しなかったらどうなっていただろうか?この瞬間が、この後この旅行で何度も遭遇する「人生の分岐点」ターニングポイントというものを感じた最初であった。

 

 僕はそもそも、たとえ日本語が通じる相手とでも雑談に花を咲かせる事が苦手である。しかし、あと9時間もお互い隣に座っているのだ。このままでは居心地が悪すぎる。

 とても安眠などできそうにない。うなされる。

 僕は意を決してその娘に話しかけた。たどたどしい英語で。

 「日本語は話せますか?」

 「いいえ」

 「僕はあまり英語が話せないんですよ」

 「そうみたいですね」

 その後、その娘はゆっくりと話してくれるようになり、なんとか彼女とコミュニケーションがとれるようになってきた。

 彼女は僕のインド旅行ガイドブックを一枚一枚めくりながら、見どころの説明をしてくれた。

 僕の方からはほとんど話せず、ただただ聞いているばかりだったが、彼女はインドについていろいろと教えてくれた。

 「私はアムリトサル州からレンタカーを借りて南インドの方まで行きたいな」

 「へえ~、インドの運転免許持ってるんだ」

 「いいえ」

 「あっそうか。国際免許でいいのか」

 「いいえ。見つかったらお金を払っちゃう」

 (へえ~賄賂のことか罰金のことかわからないけど、世の中そんなもんなのかな。)

  話したり眠ったりして、4~5時間も一緒にいると、自然と二人は打ち解けてきた。

 人間には言葉以外で感じるものがあるもので、人間関係の苦手なこの僕ですら、僕の右側に座っている娘といるのが居心地良くなってきた。

 (特に話すことなんか無くても人って仲良くなれるもんなんだな~)と目から鱗を落とし返された。

 

 やがて、インドの入国カードが機内で配られた。カードにはインドでの滞在先を記入する欄があった。

 実は僕は、行きのフライトのデリー到着が夜になるので事前に初日のホテルだけは予約しておいたのだ。滞在先の欄にぼくはJanpath hotelと記入する。

 それを見た彼女は僕にこう言った。

 「それはもう日本でお金を払ってきたの?」

 「うん」

 この次の彼女のセリフがこの旅行における、また一つのターニングポイントだった。

 「I will ask that hotel」

 ・・・・・???

 (そのホテルに聞く?何それ?)

 語学力のなさが悲しい。

 (あっ、そうか。忘れ物かなんかあって、僕に連絡したいときはここに聞くっていってるのかな?でも、僕はここのホテルにいるのは1日だけだしな・・・ちゃんとそれを言っとかないと。)

    「でも僕は翌日にはすぐチェックアウトしてしまうよ」

 ・・・・・(沈黙)

 ちょうどその時、ライトが落とされ、機内はお休みの時間に突入した。

 僕は暗闇の中でさっきの言葉の意味をよく考える。

 ask・・・尋ねる?頼む?・・・・

 !!!?・・・もしかして、「私もそのホテルに泊まろうかな」っていったのかな?

 ・・・だとしたら、ひょっとして、さっき僕は「一緒に来るな」というようなセリフを吐いたことになるんじゃないか?

 これは・・・気まずいぞ・・・(流石の僕でもそれくらいは分かるのです)

 

 やがて、無情にも消灯時間が終わりを告げ、機内が明るくなった。彼女も窓の日除けを上げる。

 窓の向こうにはヒマラヤ山脈が見えた。 

 「あれはヒマラヤ山脈かい?」

 「Yes」

 彼女は窓の外を見たまま小さい言葉でそれだけ答える。

 ・・・(あら、冷たい。)

 言葉の不自由な僕には、この状況は修復不可能に思えた。いや、たとえ日本語が使えたとしてもこの状況を修復する術を僕は知らない。

 女の子が一瞬発したメッセージは「その瞬間」にリアクションしないとダメなのだ。たぶん。おそらく。しらんけど。

 (今更「どこのホテルに泊まるの?」なんて会話を振れるわけない)

 日本で嫌というほど繰り返してきた失敗をまたここでもやってしまった。

 デリーの空港について、僕が席を立つとき、

 「Thank you」

   と言うと、彼女は窓の外を見たまま小さな声で

 「Bye」

   とだけ言った。

 自分のふがいなさに落ち込んでいる僕の横を、後ろの席に座っていた日本人の男女がめっちゃ楽しそうな笑顔ですり抜け、二人一緒に仲良く入国審査場を抜けてどこかに消えていった。


4.ターニング・ポイント

 僕は入国手続き終え、空港ビルの外に出た。空港の外はもう真っ暗だ。

 辺りには旅行客をつかまえようとしているインド人らしき人達でごったがえしていた。

 暗い闇の中で顔の黒いインド人たちの目だけがぎらぎらと妖しく光って見え、その光がビルから出てきたばかりの僕の一身に注がれる。

 「Hey! ジャパニ!どこへ行く?」

 と、寄ってくるわ、寄ってくるわ。暗闇の中だけにさらに恐怖は倍加する。

 (いかんいかん、こんな右も左も分からない異国で夜中におかしな車に乗ってしまったら、何をされるか分かったもんじゃない。)  

 街までのバスが出ているはずなんだが・・・よくわからない。

 今まででも、異国で迷うことはあった。しかし、どんなときでも時間をかけて調べればなんとかなってきた。

 しかし、ここ、インドは違うのだ。ひっきりなしに話しかけられ、立ち止まろうもんなら囲まれ、ゆっくり本で調べる余裕を与えてくれない。

 逃げ回りながら本で調べるが、多勢に無勢だ。

 矢継ぎ早に「お前はどこへ行きたいんだ?」と聞いてくる。

 (行き先を言ったら、会話の突破口になってしまう。絶対に言うもんか。・・・しかし、なんて分かりにくい所だ。ガイドブックによるとこの辺のはずなのだが・・・) 真っ暗な異国での迷子、しかもひとりぼっち。僕は少々心細くなってしまった。

 「何を探している?」

 一人のノッポの男が声をかけてきた。

 (客を捕まえるつもりだろうが、ようし、こっちもこいつを利用して、バス乗り場の場所だけ聞いておさらばしてやろう。)

 ・・・と、思ったこの瞬間が、今から考えると、どうやらでっかい運命の分かれ道だったようだ。


5.交渉

 「空港バス乗り場を探してる。」 

  「こっちだ、ついてこい。」

 ・・・と、ノッポの男は僕を駐車場の方に連れて行こうとする。

 (おっと、その手は食わないぞ。白タクに乗せようっていうんだろ?)

 僕は別の方向に歩き出す。

 「ちょっと待て、俺はバス会社の人間だ。今の時間はこっちだ」

 僕は構わずバスブースを探す。そして、ついに地面にEATS BUSと書いた空港バス乗り場を見つけた。

 (あった!良かった)

 しかし、僕のあとをついてきたノッポの男は言う。

 「今の時間は1時間に1本しかないぞ。」

 (え~っ!こんなにへとへとに疲れているのに・・・)

 とショックを受けた瞬間、僕はもう完全にその男のペースに嵌ってしまっていたのかもしれない。

 「よく考えろ。バスも50ルピーだが、俺も50ルピーで街まで連れていってやるんだ。何か問題があるのか?」

 ・・・

 (そう言われてみればそうだ。確かに、ガイドブックにも街までバスで50ルピーと書いてある。)

 それにしても、インド人はとてもわかりやすい英語で話しかけてきて、とても人なつっこい。心の壁の高い僕とでもずっと昔からの知り合いのような雰囲気を創り出してしまう。

 (バスと同じ値段なら別にいいんじゃないか?僕は行くホテルが決まっているんだし。どうしようもないだろう。バスと同じ値段というのはやけに安いけど、おおかた小遣い稼ぎでもしているんだろう)

 

 僕が聞いていた海外旅行でのインチキ事例としては、例えば、街まで100ルピー(170円)と思わせておいて、いざ支払いの段階になると、100ドル(10,000円)だと言い出すインチキを聞いたことがあった。

 そこで、通貨単位がルピーであることを何度も確認した。

 そのノッポの男は「OK!インディアンルピー!」

 といって、自分の50ルピー札を見せて

  「後払いでいい。信用してくれ」

 と指切りしてくる。

 インド人たちはすぐに指切りや握手を求めてくる。これがくせ者なのだ。断言するが、握手をすると、確実に心の鍵が解かれてしまうのだ。

 

 (この男を信用してみるか・・・)

 僕はノッポの後について駐車場に向かう。

 「この車だ」

 ノッポが車の後部座席のドアを開けて僕を招き入れる。

 しかし、僕が車に乗り込もうと思った時、突然運転手と共にもう一人見知らぬ男が助手席にも乗り込んできた。

 (やばい!1台の車の中で2人に囲まれちゃいけない)

 その瞬間、僕は車から飛び降りる。

 「やっぱりバスで行くよ。大きな男2人と一緒なんて怖いよ」

 ノッポの男は立ち去ろうとする僕を追いかけ、引き留める。

 「待て、お前と俺の2人だけだ。信用してくれ!」

 

 人間、1回コミュニケーションを取り始めてしまうと、もうダメなのかもしれない。簡単にはゼロには戻らないみたいだ。

 車には僕の他に運転手一人しか乗らないという約束のもと、結局僕は車の後部座席に乗った。

 運転席に男が一人乗り込んで来た時、ノッポの男は僕に向かって言った。

 「乗るのはそいつ1人だけだ」

 そして、ノッポはその運転手に指示をする。

 「50!ニューデリー駅だ!」

 僕も運転手に向かって確認する。

 「ドルじゃないよ!」

 すると、運転手の男は

 「OK!50インディアンルピー!」

 と、はっきり答えた。

 

 まずは一安心かな。あとはホテルに着いたら50ルピー払うだけだ。

 (後払いだからな。仕事を終えないとお金がもらえないもんな。)

 ・・・・果たして、報酬というものは先払いがいいのか、後払いがいいのか、このことは今回の旅行が終わる最後まで毎回僕を悩ます問題となる。


6.懐柔

 デリー市街への道は大渋滞。やかましくクラクションが飛び交い、みな車線などお構いなしに走っている。高級なベンツの横をボロボロのオート3輪が走り、すし詰めのボロバスもあればきれいな日本車も多い。

 新旧も貧富も混然一体となって流れている。

 大渋滞の方向に走っているということは、間違いなく市街に向かって走っているということだろう。

 (もう大丈夫だな。)

 と、その時、突然運転手の携帯電話が鳴った。運転手はコールをし続ける電話を左手に持ったまま、画面をしばらく見つめていた。

 (何故出ないのかな?)

 結局運転手は電話に出ず、鳴り続ける携帯電話をポンと助手席に放り投げてしまった。

 (何かおかしいな。仕事相手なら出なきゃいけないだろうし、私用電話でも今は見知らぬ僕と二人っきりだから普通は出ちゃうんじゃないだろうか?・・・もしかしたら今のは僕に何かを感づかれるのを警戒して出なかったのかな?・・・しかし、そもそもヒンドゥー語で話されたらどんな悪巧みでもこっちには何を話しているか全くわからないなぁ)

 (ここの地理に不案内な僕にとっては、今、この車が人気のない山中に向かっていたとしてもわからない。たとえ相手が一人であったとしても、人気のない所で突然強盗に変身されたら僕はどうしようもないのではないか?・・・)

 と、僕は急に自分が今置かれている状況に対して恐怖心が湧いてきた。

 その男はとてもフレンドリーに話しかけてくる。「インドは何回目だ?」「何日こっちにいる?」「次はどこへ行く予定だ?」・・・そして、「おまえ、ヒンドゥー語はわかるのか?」とも

 

 この状況の中で、僕は僕なりに考えた。

(自分の行きたい場所は2,3箇所あるが、場所を具体的に言ってしまうと、それらの手配をしたがるので、言わない方がいいのではないか?)

 まだ予定は決めてないことにした。

 「今日の晩にホテルで考える」

 ・・・この時の判断が正しかったのかどうか、それは今でもわからない。

 その晩、予約してあるホテルに着けるという前提で物事を考えるとこれが正しかったのかもしれない。

 

 この時はまだインドという国を肌で知らなかったので無理はなかった。

 窓を流れる景色を見ていると、間違いなくデリーの市街地に入ってきているようだった。

 もうすっかり安心してしまった僕は目的地をニューデリー駅ではなく、具体的に言った。

 「ジャンパトホテルだ。知ってる?」

 

 -(あの時、あのまま行き先をニューデリー駅にしておいたら、あるいは結果は変わっていただろうか?)-

 

 「いや、知らない」

 僕は元々、空港バスのバス停からホテルまで自分で歩く前提で考えていたので、ガイドブックの地図も持っているし、有名なコンノートプレイスでおろしてもらえば自分でもホテルはわかるつもりだった。

 「コンノートプレイスで降ろして」

 「コンノートプレイスは大きい。ここはもうコンノートプレイスだ」

  (えっ?ここはもうコンノートプレイスなの?)

 道路の両側にはまだうっそうと木が茂っていた。

 (どうしよう)

 

 その時、運転手の男が言った。

 「そうだ、俺の知り合いの旅行会社のやつにこのホテルの場所を聞こう」

 そう言うと男はある路地に入って車を止めた。

 そして、男は僕のホテルバウチャーと地図を持って車を降り、暗闇の通りの中で唯一明かりが煌々と灯っている、あるツーリストインフォーメーションに入って行く。

 看板にははっきりとツーリストインフォーメーションと書かれ、旅行業が生業であることがわかった。

 (これだけはっきりと旅行会社と書いてあるなら、そんなおかしなところではないだろう)・・・と日本の旅行会社しか知らない世間知らずの頭で安易に考え、僕もその男の後について店に入っていった。


7.旅行会社

 僕は店の中の一室に通され、大きな机の前にあった椅子に座った。

 部屋の大きさは畳で言えば十畳くらいであろうか。しかし、旅行会社だというのに日本のようなオープンなカウンターではなく、個室的な造りなのに若干の胡散臭さを感じた。

 暫くすると男達がぞろぞろと4人部屋に入ってきた。皆とてもフレンドリーだった。

 ひとしきり日本語の上手な奴と話したり、去年まで日本にいたという奴との雑談を終えると、彼らは聞いてきた。

「今後の旅行の予定は?」 

 

 この時にはもうこの旅行会社が胡散臭いことは感じつつあった。しかし、僕も今晩のホテル以外は何も取ってなかったので、多少高くてもここでチケット類を取ってしまえば明日以降が楽だな・・・という気持ちはあった。

 日本から持ってきたガイドブックには、インドでは列車の切符を買うのにも1日仕事と書いてあったからだ。

 (これも何かの縁だろう・・・ここで取ってしまうか・・・)

 僕の考えていた旅のプランは、仏陀が悟りを開いた菩提樹のある町・ガヤーとヒンドゥー教の聖地バラナシを回り、タージ・マハルのあるアグラに行って帰ろうというものだった。

 一番遠いガヤーはデリーから1000km近く離れているので、まず遠い方から行って、徐々にデリーに近づいてくる右回りのルートを考えていた。

 「ガヤー、バラナシ、アグラを回りたい」

 男達との交渉が始まった。

 「ガヤーは危ない。最近テロが頻発している」

 ・・・

 (もし、こいつらが悪徳旅行会社だったとしても、行き先を危ないと言って行くのをやめさせるメリットはあるのだろうか?

 でも、確かにテロで殺されてもかなわんな。それならガヤーへ行くのはやめてバラナシとアグラにいこう。)

 

 ところで、今晩泊まる予定のホテルはどうなったのかというと、その旅行会社がホテルに電話してみたところ、今はとてもホテルが混んでいてチェックインはもう少し待ってくれと言われたとのことだった。

 僕はその時、機中で読んだガイドブックの読者投稿欄に載っていたトラブル体験談を思い出した。

 それは「旅行会社がかけた電話口の向こうの相手はその旅行会社の一味で、実際はその店の2階に電話はつながっていた」というものだ。

 (さては、今のはそれと同じ手口だな。)・・・と、この時僕は思った。

 しかし、その時は別にどうでもいいと思っていた。欲しいチケットを取ってからホテルに行けばいいと思っていたからだ。実害は何もない。

 しかし、いろいろと雑談をしている間に、僕の脳裏に徐々に焼き付けられている言葉があった。それは、「正月が近いので、街はとても混んでいる。この時期はホテルも列車もとれない。」・・・という言葉だ。

 これは本当かもしれないと思った。

 (最悪でもタージ・マハルだけは見たいから、先にアグラに行くか)

 「じゃ、アグラ、バラナシを列車で回る」

 一応僕も交通機関だけは日本でそれなりの情報を集めていた。

 いざ、現地でどんな旅程でも組めるよう、デリー、アグラ、バラナシ、ガヤー発の列車時刻表はインターネットのインド国鉄のホームページから打ち出して持ってきていた。(当時の僕はまだスマホを持っていなかったのです)

 「明日のアグラ行きのチケットが欲しい」

 「アグラ行きの列車は6時発と8時発の2本しかない」

 「えっ?インターネットによると10本近くあるよ。ほら」

 「ああ、これはデリーが始発じゃないのが入ってるね。列車は始発駅のものでないと予約できないんだ。」

 ・・・今考えると、本当にそうか?と思えるようなこのシステム、・・・      インドで、インド人に堂々と目を見つめられながら

 「これがインディアン・ルールだ」

 と言われると、

 (そうかもしれない・・)

 と思ってしまうから不思議だ。長旅の疲れもあったのかもしれない。

 

 しかし、万が一、これがウソだったとしても、早起きして8時の列車に乗ればいいだけの話だよな・・・時間としては丁度いいな。

 相手の示す時刻表を指さしながら

 「わかりました。アグラ、バラナシ、デリー間の列車、これとこれとこれを予約して下さい。」

 「ちょっとまて、きみの予定だと、バラナシに2泊もするじゃないか。観光ならたくさんの街を回った方がいいだろう。ジャイプルも回ったらどうだ。」

 確かに、デリー、ジャイプル、アグラの3都市はゴールデン・トライアングルといって、ジャイプルもインドを代表する観光地だ。

 ジャイプルも行こうかと考えたこともあった。しかし(平気で4~5時間は遅れるというインド国鉄のことだ。行程には余裕をもっておこう)と思って外した経緯がある。

 (それもそうだ。旅行会社が回れというなら回れるんだろう。お願いするか・・・)

 「ジャイプル、アグラ、バラナシ、デリー間のチケットをお願いします。」

                                                             

 「もう一つ、最後の31日、バラナシ、デリー間は列車でいいのか?初日の出を列車の中で迎えることになるぞ。(バラナシ~デリーは10時間くらいかかるので、夜行列車になるのだ)1月1日の飛行機にしたらどうだ。」

 実は、バラナシ~デリーの飛行機のチケットも欲しかったのだが、日本でインターネット検索したところ、この路線は既に満席で、飛行機利用は念頭から外した方が良さそうだと思った経緯もあるのだ。

 この2点、僕があきらめていたプランを復活することができるという事態に、この時はラッキーだと思った。

 この2点ともに、この時の僕にとっての利点のように見えて、その実、相手の利点にもなる提案だったのだという事に僕が気づくのはまだまだ先の話。

 

 その男は言った。

 「では、デリー、ジャイプル、アグラ、バラナシ間の列車、バラナシ~デリー間の飛行機の手配をするよ」

 そう言うと彼はあちこちと電話をかけ始めた。

 そして暫くして返ってきた彼の言葉に僕は喜んだ。

 「飛行機が取れたぞ!」

 (帰りが飛行機となると、夜行列車に10時間も揺られなくて済むし、空からインドが眺められる・・・しかし、まだ気を抜けないぞ。値段はぼったくりじゃないだろうな?)

 「値段はいくら?」

 「バラナシ~デリーは$130だ」

 (ガイドブックには$125とあった。$5くらいは手数料としても妥当な線だ。悪くない買い物だ。)

 なお、これは余談となるが、後日受け取ったこの航空機チケットには値段が$105と印字されていた。インドのローカル航空会社は現地ではガイドブックに載っている値段より安く手に入る方法があるらしい。もちろんこの時の僕にそんなことはわかろうはずがない。

 「予約して下さい」

 これが、この旅行会社を信用した瞬間であり、と同時に相手に一つ人質(物質?)が渡った瞬間だった。


8.暗雲

 「残念ながら、列車の3つは満席だって言ってるよ。」

 ・・・と、受話器を僕に渡しながら男は言う。

 確かに、受話器の向こうでは「3つとも列車は満席です」といっている。

 

 この時、僕の頭の片隅には、この受話器の向こうの人はこいつらの仲間かもしれないという思いが再度よぎった。

 しかし、不思議なことに、相手と共に物事を一つ一つ決めていっていると、ある時点で急に相手を拒絶するという事が出来なくなるのだ。(ちなみに僕はセールスマンの使うフット・イン・ザ・ドアという手法は知っていた。しかし、知識として知っていても実際にこれを拒絶するのは難しいと、このとき痛感した)

 相手を怪しいと思う心と、飛行機のチケットの値段を聞く限り、信用して良いという心が僕の中でぶつかり合う。

(ここで飛行機のチケットだけもらって、列車の方は明日自分で駅に買いに行ってみようかなぁ)

 その迷いを知ってか知らずか、相手は更に僕の不安を煽る。

 「正月が近いからどこもいっぱいなんだよ」

 そうなのだ。何も決めずにインドくんだりまで来て、結局、何のチケットも取れずに1週間デリーでブラブラしていることだってあり得るのだ。

 (せっかくインドまで来たんだ。多少金がかかってもアグラ、バラナシくらいは行きたいなぁ)

 男は言う。

 「それじゃ、デリー、ジャイプル、アグラを車で回って、アグラ近郊60kmくらいの所にあるツンドラ駅からバラナシ行きの夜行に乗ったらどうだ。」

 その男が調べたところ、ツンドラ~バラナシは列車が取れるみたいだ。

 (車は自由が無いから嫌だな)

 僕は他人が運転する車に乗っていては、旅行した気がしないのだ。

 しかし、アグラ市街から60kmも離れたツンドラ駅から列車に乗るなら車の方が便利なのは確かだ。

 今になると不思議なのだが、何故ここで、そもそもの「始発でなければ予約できない」というのがウソっぽいな・・・ということを思い出さなかったのだろうか?

 疑問点というものは、「後で考えればいいや」と思っていても、ある程度議論が進んでしまうと、引き返して、それを思い出すことは難しいみたいだ。

 男の提案は、デリー~ジャイプル~アグラ~ツンドラ駅までの車と、ツンドラ~バラナシ駅までの夜行列車のチケット込みで$295というものだった。

 ($300として、日本円で約30,000円、それは高いのか、安いのか?・・・わからない。ツンドラ~バラナシ間は約800kmだから、多分8000円くらいかな?(後に調べた正解は約2500円)となると、丸3日間、車1台と人1人を拘束して3万円弱か・・・)

 日本人とインド人のお金の価値観の違い。インド旅行において僕を悩ませた最大の問題点はこれだった。

 例えば、ホテル。インドでは200円~50000円程度まである。ものすごく経済力の差の大きな人たちがごちゃごちゃになって、お互いがすぐ隣を歩いているのがこの国なのだ。      

 ものすごく選択の幅が広いのだ。

 あるサービスの値段を決めるにあたり、インド人は日本での値段に近づけようと思い、日本人はインドでの値段に近づけようとするのだろう。

 車と人を丸3日間拘束して3万円。これはおそらく日本にとっては安め、インドにとっては高めなのだと思う。

 ここでは物事の価値は当事者同士で交渉して値段を決めていけということなのだろう。

 これは高いんじゃないかと、一応交渉してみたが、相場を知らない弱みは大きく、もういい加減疲れていたので結局はその値段で決めた。もう午後10時だった。空港でタクシーに乗ってからもう3時間近くも経っていた。

 ここで、空港からここまで僕を送ってきたタクシードライバーが部屋に乱入してきた。

 「俺はもう帰るから、ホテルへは旅行会社の車で送っていってもらえ。金をくれ」

 僕は50ルピーを渡す。

 「もう深夜だ。深夜料金をくれ」

 

 (??!!)

 彼の友人らしき男も言う。

 「彼は3時間も拘束されていたんだ」

 「そんな。50ルピーという約束だよ」

 「いくらでもいい。おまえが思う金額を上積みしてくれ」

 ・・・確かに、この旅行会社に入ってから、もう2時間近くがたち、その男も何度も様子を見に来ていたので気にはなっていた。

 果たして、これは料金先払いでも起こり得たことなのだろうか?そもそも、向こうの方から「後払いで」と言ってきたのは、いつもこの手を使っているのではないか?

 それはどうかわからないが、とにかく、今は入国したばかりで、小銭がない。Rs50の上はRs100札しかない。僕はRs50札を返してもらい、代わりにRs100札を渡すと男は満足したようだった。

 Rs100は日本円にしてたかだか170円程度だから、僕自身としては大した痛手ではないのだが、僕はこれ以上ふっかけられないように不満そうな顔をしていた。

 金を受け取ると、「Rs100 is  ok.  Not  too タカイ」と言いながら男達は去っていった。

 (ちなみに、後に調べたガイドブックによると正規のタクシー料金はRs170なので、本当にさほど得もしていないのかもしれない。おそらくこの旅行会社からのマージンが大きいのだろう)

 

 料金の前払いと後払い。果たしてどちらが良いのだろうか?

 僕に迷いが生じ始めた出来事だった。

 

 列車・飛行機のチケット代と車のチャーター代についてはここで現金で払った。車代と列車代合わせて$295、飛行機代$130だった。


9.疲労

 ホテルについての話が始まった。

 (正月が近いのでどこも満室になってしまうかもしれない。事前に予約しておくか)

 しかし、もう夜遅いし、疲れているし、ぼられたくないし・・・どうしよう。

 自分の知らないホテルは相場がわからないので、ぼられる可能性がある。一番悔しいのは、払った代価に見合ったサービスが得られないことだろう。

 そこで、少し値段は高くなるが、ガイドブックに載っているものから選ぶことにした。

 $120~$130あたりのホテルにしていたつもりが、相手の提示は5泊で$730となっていた。ガイドブックにも載っているが、インドのホテルでは20%~15%の税金がかかるみたいなのだ。

 (少し高いけど、多分もう二度と来ないインドだし。確実に観光する為には仕方ないか。)

 それにしても、何故か海外に来ると金銭感覚が麻痺してしまうようだ。

 僕はもう持ち金がないのでカードで支払いを頼む。

 相手は最初、カードを嫌がったが、もう持ち金がないことがわかると、しぶしぶ了承した。

 カードでの支払い、これは大事なところだ。僕も神経を使って見ている。

 目の前の男は言う。

 「支払いはルピーでたのむ。Rs44208だ。」

 桁の確認をする。(うん、あってるな)。

 その男は金額欄に Rs.442081と書き込む。

 僕は言う「その1はなんだ!」

 「これはスラッシュだ。わかった。文字で書こう。fourty-four thousand two-hundred eight」 サインする3枚複写のレシートの通貨単位と桁も確認する。

 (よし、あってるな)

 

 結局、今晩予約してあったジャンパトホテルは満室で、Sun court hotelに振替になったと、ホテルのマネージャーを名乗る男から電話が入った。

 僕は、ホテル振替による追加料金は不要だということを何度も確認した。

 ジャンパトホテルが満室というのはウソかもしれなかった。でも、それがウソであろうがなかろうが、この時の僕にはもうどうでも良いと思うようになっていた。とにかく屋根付きの部屋で休めればどうでも良かった。それくらい僕は疲れ果てていた。 

 (教訓!!自分が疲れている時は交渉をしてはいけない!!)

  そのホテルに着くと、見かけは良かったが、温水も出ないし、ドライヤーも使えず、ひどいホテルだった。

 しかし、明日以降に備え、早々に眠りについた。


10.追加料金

 朝一番、ホテルの表を歩く牛の鳴き声で目をさます。

 この朝は朝食がついた。もともと予約してあったジャンパトホテルでは付いていなかったが、何故か夕べここまで送ってくれた旅行会社の男が、「朝食を付けて」とフロントに言ったからだ。このホテルはあの旅行会社の仲間が経営しているのだろう。

 朝8時半に夕べの旅行会社の男がホテルまで僕を迎えにきた。そして僕は昨日予約したホテルのバウチャーを受け取りにまた旅行会社に向かう。

 昨夜予約して宿泊費も全額支払済であるホテル5つのうち、2つは取れたと言っているが、一つは昨日男が言っていたのとホテルの名前が違う・・・。

 (俺が希望したホテルの予約なんて全然取れてないのに、なんで昨夜は5泊分全額を支払わせたんだ! 勝手に違うホテルなんかに変更して、金を浮かせやがったな。)

 一晩休んで体力が回復したら、ようやく僕にもまともな感覚が戻って来たようだ。

 この男たちは信用できない。僕は確信した。

 男は言う。5日目に僕が希望していたホテルは取れなかったので、最上ランクのTAJ GANGESホテルを取ったとのことだった。確かに、ガイドブックで確認すると、こうある。

 「taj グループの5つ星ホテル。設備の充実度は申し分なく、二つあるレストランも美味。プール、テニスコート、ジョギング用トラックまである。」

 宿泊料は$110~$130のいいホテルだった。

 現在、唯一信頼できる僕の味方、ガイドブックにもバラナシで一番良いと書いてあるので、支払った金銭的な意味では、まあ、納得することにした。

 しかし、最終日、6日目のデリーのホテルがとれるかどうか、今問い合わせ中でわからないとのことだった。

 (今、バウチャーをもらえないとなると、最終日にデリーに帰ってきた日にもらうことになる。またこの店に来なければならないようにしておくつもりか・・・・)

 今や彼らの話題はお土産の話が中心で、最終日はデリー観光に付き添ってあげるよと言っている。

 (俺の金を全てむしり取るまで離れないつもりだな。まいったな、どうやって切り抜けようか・・・)

 「昨日希望したホテルでなくてもいいから、とにかく、今予約できるホテルを探して」と僕が言うと、プラス$80で4日目の朝、バラナシ駅からホテルまでの送迎も含んで、1ランク上のホテルを押さえられるとのことだった。

 実は、バナラシ行きの列車をツンドラ駅発にしたために、バラナシ到着駅も市街地から20km近くも離れた駅になっていた。

 (乗車駅と降車駅の両方で車が必要な路線なんだ・・・これは・・)

 と、話が読めてきた。いつもこの手を使って旅行者のプランに車を組み込んでいくのだろう。$80アップ分の内訳は$63がホテル分で、$17が送迎分とのこと。

 (絶対おかしい)

 2日目ともなって、いろいろ相場がわかってきた僕は言った。

 「送迎が$17っておかしいよ。だって、昨夜デリー空港からここまで、同じくらいの距離だけどRs.100(約$2)だったんだよ」

 すると男はあっさりとディスカウントしてくれた。

 「わかった。$50でいい。足りない分はこっちで持とう」

 (・・・予約するホテルを自分達で勝手にあれこれ変えやがって。金なんて完全に浮いてるくせに・・・・) 

 

 今回は金の支払いが早すぎたのだろうか?

 昨日はその場ですぐホテルバウチャーをもらえると聞いたので、カードを切ってしまったが、その後の彼らの発言は「明日まで待ってくれ」、更には「最終日にデリーに帰ってくる時まで待ってくれ」と変わってきている。

 事前に支払ってしまった金が人質(物質?)となって、ここで彼らと手を切れない、嫌な状況に追い込まれてしまっていた。

 彼らの態度を見ていると、最終日にデリーに帰ってきた時には、また状況が変わったなどど言って更に追加料金をせしめるつもりなのはほぼ間違いない。

 この状況を打開するためにも、とにかくもう決めてしまわねばならなかった。

 僕は$50の追加をのんだ。今すぐバウチャーを切ってもらいたかった。

 金の支払いについては迷った。

 今、ここで支払ってしまったほうがこいつらと縁を切りやすくて良いかもしれない。しかし、しばらく車で一緒に行動せざるを得ないという現在の状況の中では、未払いの報酬が残っている方がいろいろ交渉するにあたって相手より優位に立てるかも・・・

 (これから、車でジャイプルに行くとなると、砂漠の国といわれるラジャースタン州に行くことになる。途中で放り出されてもかなわんな)

 僕は考えたあげく、金は後払いにしてもらい、バウチャーは今、目の前で切ってもらった。

 この判断が正しかったのかどうか、今でもわからない。


11.諦観

 迎えの車が来るまで少し時間が空いてしまった。

 旅行会社の男達は退屈し始めたのだろう、しばらくすると一人、また一人と部屋を出て行くようになった。

 やがて部屋には僕一人になった。

                            

 僕は誰にも見られないようにそっと店の外に出た。

 通りは幅10m程の舗装されていない道路で、あちこち土が削れて水たまりができている。

 雰囲気は下町といった方が良いだろう。道路の両側には商店がびっしりと張り付いている。出店で料理を作るもの、店の呼び込みをする者、皆それぞれの一日が始まっていた。

 僕は自分のカメラを取り出し、何かの役に立つ(訴えるつもりはなかったように思うが・・・)かも、と、旅行会社の店の写真を2、3枚撮った。

 そして、周囲に立っている人たちに

 「ここはどこ?」

 と聞いてみた。人々はきょとんとしている。

 「ここはコンノートプレイスか?」

 人々は言う。

 「ああ、コンノートプレイスだ。」

 (そうか・・・)

 昨晩、この店の中で交渉している途中、もう店を出よう、と思った事も何度かあった。しかし、その時、僕の脳裏には一つの嫌な予感が走ったのだ。

 (運転手はコンノートプレイスにある友達の旅行会社といっていたが、もしかすると、ここはコンノートプレイスではないのではないか?)・・・と

 ここが本当にコンノートプレイスだったのであれば、昨晩は地図も持っていたことだし、歩いてホテルまでいけただろう。

 (昨晩、店を飛び出していても良かったんだなぁ・・・)

 後悔の念にかられながら、僕は半ば放心状態で通りをさまよった。

 通りでは相変わらずいろんな人達が声をかけてくる。

 「どこへ行く?」「何を探してる?」

 僕はいい加減、つきまとわれるのがうっとおしくなり、旅行会社に戻ろうとして、くるりの元の方向に向きを変えた。

 男達は言った。

 「そっちにはインチキの旅行会社しかないよ。」

 

 (やっぱりインチキ会社なのか・・・)

 この時僕は何故だか笑いがこみ上げてきた。そして言った。

 「Maybe  so.」(そうだろうね)   

 通りの男達はあきれたような顔をした。そして、もう僕を追っては来なかった。


12.軟禁

  ジャイプルへの道は片側2車線のまっすぐな有料道路だった。

車窓から見えた「ガンジーと弟子達の像」

 運転手の男はラムと名乗った。(ラムだっちゃとは言いませんでした。胡散臭い男です)


 ラムは言う。

 「これは日本の援助でできた道だ。途中にはホンダやスズキの工場もあるぞ」

 (援助に感謝するなら、もう少し日本人を大事にしてくれ)

 時速100km近くで流れている道路を牛や人間達がゆっくりと横断していく。

 羊の群がいるかと思えば、道路を逆走してくる車の多いこと多いこと。

 この道路は付近の村の生活道路と兼用のようで、とても有料道路とは思えない。

 途中で食事をとり、菜の花畑、一面の荒野、ごみごみした街を抜け、一路ジャイプルの街へ。道中、車内でされる話といえば、土産の話、「ジャイプルは宝石の街だ。安くていいぞ。」だの、「一般にインドではチップは10%だ。レストランでは忘れないように」だのと金を払う話ばっかりだ。凄く息苦しい。

 ジャイプルに着いたのはまだ夕方の4時頃だったが、早くこいつと別れたい。

 僕はラムにさっさとホテルに行ってくれるよう頼んだ。

 ホテルは市街地の外にあった。街までは歩いて行けそうにもない。

 運転手のラムは「ホテルから出ないように」

 などど言っているが、こんな僻地で外に出てどうしろというのだ。

 さっき、夜になると虎が出るってあんたが言ったんじゃないか。

 ホテルにチェックインし、ベッドに寝ころんで天井を見上げ、大きくため息をつく。 (ああ、俺、どこで間違えちゃったのかな・・・自由になりたい・・・)


13.疑惑

 夜が明けた。

 目を覚ますと、僕は見慣れぬ部屋のベッドの上にいた。

 (・・・どこだ?・・・ここは?・・・)

                               

 じきに昨日までの出来事がありありと思い出されて、また暗い気分になる。

 (警戒しながら交渉を進めていたつもりだったのに、何をどこでどう間違えたのだろう・・・)

 僕が日本から持ってきた目覚まし時計をみると、まだ7時。ラムとの約束は正面玄関に9時だ。

 (8時に朝食を食いに行けば充分だな。もう少し寝よう。)

 

 ・・・しばらくして、電話のコールでまた目が覚める。

 目覚まし時計はまだ8時00分だ。

(誰が何の用だ?)

 「おはよう、今何時だ?」

 運転手のラムだ。おかしなことを聞く。

 「今、8時00分・・・。えっ!!?」

 目覚まし時計の横においてあった、自分の腕時計を見て、僕は目を疑う。

 腕時計は9時00分を指しているのだ。

 やばいっ!目覚まし時計が一時間ずれている!朝食も抜きで、もう行かなきゃ。

 僕はすぐ行くと言って電話を切り、あわてて身支度をしてフロントへ行く。

 

 フロントでチェックアウトする際に、意外なことを聞かれた。

 「朝食は食べましたか?」

 チェックアウト時にはルームバー使用等の追加料金がある時にそういう事を確認されるものだと思っていた。僕は既に旅行会社に朝食付きのホテル代金を支払ってあるのだ。

 僕は突然の意外な質問に頭の中が???でいっぱいになり、その時は何も返事出来なかったが、フロントの係は(聞いてはいけなかった。)というような顔をして、僕から目をそらし、何事も無かったかのようにチェックアウトの手続きをしてくれた。   

 

 僕はあわただしく車に乗り込んで、9時30分に車は出発した。

 車の後部座席に座って一息つくと、ようやく頭が冷静さを取り戻してきた。

 (どうもおかしい。)

 そもそもホテルの僕の部屋のドアチェーンが外されていて無かったのも胡散臭かったし、チェックインする時も僕が部屋のキーカードを受け取った際、運転手のラムははっきりと「俺にも同じカードをくれ」と言ったのだ。これは絶対におかしい。(そのときはフロントの女の人は黙ってホテルの電話番号と部屋番号を書いて渡していた。僕が「何をもらった?」と聞くと、電話番号だよ・・・と笑っていたが)

 これは断言するが、僕の目覚まし時計の時間は昨日の朝は絶対に合っていたのだ。

 疑い出すと切りがないが、前の運転席で運転している男に対して一つの大きな疑惑が生じてきた。

 僕は既に朝食つきのホテル料金を支払ってあるのだが、それを食べさせないようにして、金を浮かすか、あるいは知り合いの高いレストランにでも連れていくつもりなのではないか?

 昨日、街の見どころがある度に僕は自分のリュックを車の中に置いたままラムを車に残し、僕だけ車を離れていた。目覚まし時計の針をいじるくらいはできるかもしれない。

 そのとき、ラムが話しかけてきた。

 「いいホテルだったか?よく眠れたか?」

 「いいや。あんまり」

 「朝飯は食ったか?」

 「いいや。寝坊して食べてないんだ」

 「どこかに寄っていくか?」

 「いや、いい。食べたくないんだ」

 僕の中でラムへの不信感が大きく募っていった。

 ジャイプルの街はすごい人だ。

 通りの商店には非常に活気があるが、一方、貧しい人も多い。

 僕がちょっと車から降りると乞食たちが一斉に寄ってくる。

 車に乗っている時でも、赤信号で止まるたびに乞食たちがどこからともなく現れて車の窓をこつこつたたく。

 確かにジャイプルの街はきれいだったと思うが、僕の目に入ってくるのは乞食の大群、僕の頭の中に生じてくるのは、早く自由になりたいという思いばかりであり、観光などとはほど遠い状態であった。

  車の窓からジャイガール要塞が見えた。

 僕はしっかりと鞄に鍵をかけ、1時間後に戻ると言い残してラムの乗った車を後にした。


14.ジャイガール要塞にて

 ジャイガール要塞は丘の上にそびえ建つ、昔この一帯で大きな力を持っていたマハラジャが住んでいた城である。丘の上の重厚な城からは威圧感が漂ってくる。

 丘の上の要塞に続く坂道では、きらびやかに化粧をしたインド象のタクシーが、楽しそうな観光客を背中に乗せてのんびりと歩んでいた。

 僕は象の脇をすり抜け、一人要塞への坂を登って行く。

 そして、ここでもいろいろな人間、売り子や乞食が声をかけてくる。

 (そういえば、今、Rs.100札以上の大きいお金しか持ってないな。何かを買ってRs.10札に崩しておくか・・・)

 

 一人の売り子が声をかけてきた。

 「絵はがき買ってよ。1セットでRs.50だよ。」

 僕は確認する。

 「おつりはRs.10札である?」

 「ある」

 「じゃ、一つちょうだい」

 写真を一つもらって、Rs.100札を渡す。

 彼はお釣りを出さずに言葉を続ける。

 「ちょっと見てよ、この絵はがきはさっきのとはちがうんだ」

 「そんなことはわかってる。お釣りをくれ」

 「待ってよ。僕は学生なんだ。お釣りがないんだ」

 (そんなの関係あるかい!)

 「お釣りをくれ」

 「わかった。3つでいい。3つでRs.100でいい。もともと一つがRs.50なんだよ」

 この押し問答がしばらく続く。そのうち、他の売り子や乞食達が集まってきて、周囲でやんやと騒ぎ始める。・・・この、囲まれるというのが結構なプレッシャーなのだ。

 僕はだんだん面倒になってきて、(まあ、いいや)・・と3つをRs.100で買ってしまった。

 (またしてもやられたな。そもそも、最初にお釣りはあると言ったくせに・・・。)

 丘の頂上について、僕は要塞への入場チケットを買いに並ぶ。上の看板にはカメラ一つを持ち込むならRs.75と書いてある。

 Rs.100札を窓口に渡し、チケットとお釣りをもらって、お釣りを右のポケットに押し込みながらその場を離れる。・・・が、その時、はたと気づく。今、お釣りのコインは2枚だったよな・・・Rs.25のお釣りを出すのにコイン2枚ってことはあり得ないんじゃないか?

 もう既にポケットの中で混ざってしまったので確かめようがないが、お釣りが足りないことは火を見るより明らかだ。

 

 (ちっくしょ~!インド人ってやつは、どいつもこいつも。)

 と、怒りが込み上げてきたが、しばらくしてひとしきりの怒りが収まると、今度は自分自身のふがいなさに悲しくなってきてしまった。

 そして自分の無能さに落ち込み、自分の主張を通せない気の弱さに情けなくなった。

 見上げると空は快晴、ジャイガール要塞の頂上からは絶景が広がっていたが、そのときの僕にはこの世界全てが灰色に見えていた。



15.決心

 とにかく、このままではいけない。この旅行で何かを得るどころか、いろんな大事なものを失って日本に帰ることになる・・・。

 (今いるこの辺りは夜になると虎が出る危険な地域だ。とにかく、今は大人しくしておいて、次のアグラの街に出たら、なんとかこの状況を打開する方法を考えよう。ラムたちの下を離れて自分一人で旅をするとすれば、列車も飛行機も使える都会に出るしかない。)

 眼下の絶景には目もくれず、僕は城壁に座り込んで計画を練った。

 アグラでフリータイムをもらい、その時に別の宿をとるなり、他の町行きの列車の切符を取るなりして行方をくらますか・・・。

 となると、その後は今まで予約したホテルは使えなくなる。

 今のまま、我慢していれば、一応身の安全は保証されている。

 今まで出した大金をどぶに捨ててもいいのか?このまま大人しくしているのも一つの手じゃないのか? 

 もう一人の自分が言う。

 「いいや、金の問題じゃない!いつまでも自分の憎むべき奴らの支配下にいて悔しくないのか?」

 言葉ではうまく言えないが、このまま大人しく奴らに従っていたら、自分の中の何か大事なものが取返しのつかないことになってしまいそうな気がしていた。

 
16.工場にて

 僕が車に戻ると、ラムは再びジャイプルの街に向かって車を走らせた。

 僕は聞く。

 「何でまたジャイプルへ戻るの?」

 「ジャイプルの街でランチを食べたあと工場へ行くぞ」

 この工場というのがくせ者なのだ。工場といいつつ、絶対に僕をどこかの部屋に押し込んで、何かを買わせようという魂胆なのだ。昨日も宝石工場を見せられた後、危うく宝石店に押し込められそうになったばかりだ。

 ラムは明日のアグラの話もし始めた。

 「明日は日本人ガイドも付けよう。Rs.100だ。予約するなら、今日のうちにしておかなきゃ。」

 「ラムさん」

 僕は切り出した。

 「アグラの街では、ラムさんを1日フリーにするよ。ただし、夕方6時ごろにまた僕を迎えに来てよ。そんで、ツンドラ駅まで送ってよ。金はもう事前に払ってあるんだ、問題ないだろう。その方が君の仕事としても楽だし、君にとってもいい話のはずだ」

 できれば平和的に解放して欲しかった。

 ラムはびっくりしたようだった。

 「アグラはムスリムの街なので危険だ。テロがしょっちゅう起きている。そうでなくとも、この前、日本人の2人組が睡眠薬で眠らされて身ぐるみはがされている。」

 ラムは僕の恐怖心を煽る。

 「明日、俺がフリーだというなら、俺は明日朝一番でデリーに帰る。60km離れたツンドラ駅まで一人で行くんだな。」

  ・・・送ってもらえないか・・・

 (果たして、一人でツンドラ駅に向かったとして、どこまでたどり着けるだろうか?タクシーに乗ると、また空港の時の様に別の人間達の手中に落ちるだけなんじゃないのか?)

 ・・・と一瞬不安がよぎったが、根っからのあまのじゃくの僕の心はこの時に固まった。

 (その程度の脅しに屈してたまるか!)

  

 しかし、せめてアグラの街までは無事に送り届けてもらわなければならないので「どうするんだ」と迫るラムに対し、「それは困ったな~。どうしようかな~。後で考えるよ~」とかわし、本音はそのまま自分の心の奥底にしまい込んだ。

 今からランチを食べるものとばかり思っていたが、車が止まったのは路地裏の殺風景な工場だった。表では男達が機械に糸を張り、絨毯らしきものを織っている。ここはどうやら毛織物の工場のようだ。

 僕は工場など見たくないというのに、ラムは「見るだけだ。インドの名産を見ずにインドに来たといえるか」と譲らない。

 車を降りるとすぐ工場のオーナーが現れ、説明を始める。

 「僕、お金ないよ」

 と言うと、オーナーは笑って答える。

 「ここは工場だ。店じゃない」

 そうなのか・・・とちょっと安心する。

 工場の中を歩きながら、絨毯の製造工程を一通り見せてもらう。

 見事にほとんどの工程が手作業だ。世界に冠たるIT国家インドのもう一つの面なのか。柄のパターンを方眼紙のようなものに落とし、それを見ながら人間が糸を編み上げていく。真冬だというのに色を染めるのも洗うのも男達が裸足になってせっせとやっていた。

  そして、最後に、完成した絨毯が所狭しと陳列された部屋に入れられて、表のドアが閉められた。

 

 オーナーはいろんな絨毯を僕の前に持ってくる。

 (やっぱり始まったか・・・)

 これが$150、これが$200といろいろ説明を続けるが、僕は生返事を繰り返す。 全く会話を続けない僕に対し、「どれが一番いい?」と聞くオーナー

 (こういう時は一つに絞ってはいけない)

 「全部いい」

 「いや、どれか一つを言ってくれ」

 「全部いい」

 ・・・こんなやりとりが5分も続き、埒があかないと見るや、今度は安めのショールの宣伝に切り替えた。どれもRs.500(約1,000円)と言っている。

 僕には毛織物はよくわからないが、とてもきれいなものに見えた。

 千円なら買ってもいいかとも思ったが、この「買わされる」というシチュエーションが我慢ならない。

 「一体何が気に入らないんだ?」に始まり、「もう、こっちの利益無しでRs.300だ」。更には「もう、わかった。好きな値段を言ってくれ」と、オーナーの売り込みは延々と続く。

 しかし、僕は

 「きみの仕事もきみの製品も大変いいと思っている。でも、僕には必要がないんだ。」 ・・・このセリフを僕は何十回でも繰り返した。

 (この品で千円を切れば本当にお買い得なのかもしれない。しかし、どうしても買えないのだ。今の僕の置かれた状況で「買わされる」のはプライドが許さないのだ。)

 

 こんな押し問答が10分も続いたろうか・・・お互いのイライラが限界に達したころ、ついにオーナーが牙を剥いた。

 「俺は自分の工場をきみの為に時間を割いて見学させた。きみは俺に何をしてくれるんだ。見学のお礼として俺への贈り物はないのか?」  

 (しかたない、少しチップをはらうか)・・・僕はRs.10を彼に差し出す。

 しかし、彼は首を横に振って言う。

 「少ない。Rs.100だ」

 僕は言い返す。

 「それは高い」

 男ももういい加減に疲れたのだろう、諦めたように言った。

 「もう出ていけ!!」

 僕は最後にもう一回オーナーに言った。

 「貴方はいい仕事をしているし、貴方の製品は良いものだと思う。色々と有難う」

 オーナーは苦笑した。


17.忍耐

 その後、ラムは僕と一言も口をきかなかった。

 ランチをジャイプルの街で食べるはずが、どこにも寄らず、街を出てひたすら走る走る。

 (怒ったか?こっちを兵糧攻めにする気かな?)

 険悪なムードではあったが、とにかく、アグラの街に着くまでは全面的に事を起こすわけにはいかなかった。 

 アグラで泊まる予定のホテルも例によって郊外にあったが、街までは歩いて行ける距離だ。チャンスだ。今まで、デリーは自分がどこにいるかわからなかったし、ジャイプルは郊外のホテルになっていたので、身動きがとれなかった。

 しかし、高いホテルを選んだのが幸いし、アグラのホテル、JAYPEEはガイドブックに載っていた。「駅からリクシャー(タクシーの自転車版)で20分」・・・自転車で20分なら歩いて1時間30分くらいか。なんの、自由まで1時間半なら近いもんだ。

 

 今はあたり一面の平原を走っている。

 こんな何もない所ではどうしようもない。とにかく、自分のいる位置がわかる所で車から降りた時が勝負だ。

 

 車はそのままひたすら走り続けた。

 3時間も経ったろうか、突然、車はあるレストランの駐車場に入って止まった。

 「メシだ!!」

 大方、ラムは自分が空腹に耐えきれなくなったのだろう。

 店に入ると、ラムはトイレに入った。

 そういえば、洗面台の付近で手拭き用の紙を渡してくれるトイレボーイに、ラムはRs.10あげてくれと言っていた。

 そして、「チップはどこでも10%だ。」と言っていた。果たして、ラムはトイレボーイにチップを渡すだろうか?そもそも、そんな習慣はないのに僕にやらせているだけなのではないだろうか?僕はラムの後についてトイレに入った。

 ラムがトイレから出ていくところを見たかったのだが、ラムは長々と手を洗ったあと、小便器に向かったので、僕の方が早く出る羽目になった。

 僕は洗面台脇のトイレボーイに1ルピーしか渡さなかった。

 

 その後、席についてラムを待ったが、いつまでたってもラムは来なかった。 

 もしかして、僕のバッグをいじられているのか?と心配になり、店の中を探すと、ラムは見知らぬ男達3人と楽しそうに食事をしていた。

 (ここの店もやっぱり行きつけなんだろうな・・・。Rs.1しか渡さなかったのが宣戦布告になってしまったのだろうか?ここが知り合いの店なら、下剤や睡眠薬を入れられたものを食わされる可能性もあるな。)

 ・・・と思い、僕は食べるのをやめることにした。

 僕がラムに近づいていくと、彼は僕を見るなり「来るな!」と言った。

 僕は「お腹が痛いので、車で待ってる」といい、ラムから車のキーをもらった。


18.誘惑

 ラムの友達が2、3人、入れ替わりで僕の様子を見に来る。皆、ニヤニヤ笑ってやがる。

 (へん、勝手にしやがれ)

 ・・・と、僕は車の後部座席で狸寝入りを続ける。

 (・・・このまま、時間稼ぎをして、真っ暗になってからアグラに入るつもりかな?明るければ他のホテルを探すという手もあるのだが・・・)

 僕はぼーっと自分の人差し指でくるくる回っている車のキーを見つめていた。

 

 そのとき、突然、僕に耳に悪魔のささやく声が聞こえた。

 (おまえは車のキーをもっているんだぞ。自分で車を運転していけばいいじゃないか)

 この車は右ハンドルで日本でもよく運転しているタイプの車だった。

 (でも、僕はこの旅行には国際免許証は持ってきてないしな。それに、もし車を乗り捨てたとなると、やつらに捕まった時に目ん玉の飛び出るくらい多額の金を要求されるんだろうな。・・・いや、そもそも、金でカタがつくんだろうか?)

 できれば友好的に縁を切りたかった。 

 とにかく、アグラの街にこの両脚をつくまでは死んだふりをすることにした。


19.希望の街アグラ

 しばらくして車に戻ってきたラムには

「風邪をひいたみたいだ。頭が痛い」と言ったきり、僕は寝たふりを続けた。

 車内は沈黙を保ったまま、車は一面の草原の中をひた走る。

 時折バックミラーで僕の様子を観察するラムの視線を頬にチクチク感じた。

 

 1時間くらい経っただたろうか。僕が目を覚ます(ふりをする)と、ラムは言ってきた。 「あと1時間半くらいだ。明日は何時に迎えに行こうか。タージ・マハルとアグラ城だ。ガイドはいらないか?いるなら、今予約しなければ・・・」

 僕は答える。

 「う~ん。頭が痛いから明日の朝は11時くらいかな?観光できるかどうかわからないから、ガイドはいらないや。」 

 (とにかくだ、自分の今いる位置が分かる所まで辿り着かなきゃ。) 

 ラムは続ける。

 「そういえば、事前にジャイプルとアグラに入る許可は取ってあるか?取ってないなら許可を取ってくるから10ルピーくれ。」

 (街に入るのに許可がいるのか?観光地とはそんなものだろうか?・・・いや、もしも僕が列車でアグラに入ったとしよう。そんな金を取る機会があるだろうか?・・・こいつ、ウソをついているんじゃないか?)

 僕は答える。

 「そういえば、入国カードに滞在先を書く欄があったな。」

 「そうだ。そこにジャイプルと書いたか?」

 「うん。書いた。」

 (こんなとこ、来るつもりなんてなかったのに、書くか、バーカ!)

 結局、この金は最後まで払わずに済んだ。途中、徴収所らしきものも無かった。

 車は一本道をひた走る。

 ああ、もう日が暮れてきた。さっき、あと1時間半くらいと言ってたのに、もう2時間以上走ってるぞ。遠回りしてるんじゃあるまいな・・・と思ったが、今は黙って乗っているより仕方がない。 

 ラムも何かを感じているのだろう。突然訊ねてきた。

 「旅行会社には金は全部でいくら払ったんだ。」

 「領収書もくれないんで分からない」

 「大体いくらくらいかはわかるだろう」

 「$1000くらいかな」

 「もう全額払ってあるのか?」

  「YES」

 (この男は旅行会社の人間ではないみたいだな。下請けで車のチャーターをしているだけなのかもな。)   

 とっぷりと日が暮れたころ、徐々に街が開け始め、道路にはタージ・マハルへの案内看板が立つようになってきた。アグラ市街に入ったようだ。

 道路脇にはたくさんの露店が並び、大勢の人たちが道に溢れるようになってきた。僕の乗った車もクラクションを鳴らしながら人混みの中を進んで行く。

 すごい人だ。なるほど、ここは大きな街らしい。

 そのまま車は混雑する街を突っ切り、例によって郊外にあるホテルへ向かう。

 道路脇からは街並みが消え、再び暗い林へと戻ってしまった。

 だんだんと市街地から離れていっているのが景色からありありと分かる。

 (早く着いてよ~)

 僕は焦れて、後部座席から身を乗り出していた。

 やがて、ラムは面倒くさそうに左にウインカーを出した。

 そして車は「JAYPEE HOTEL」と書かれた門をくぐる。

 車のタイヤが止まり、ドアが開いて、ついに僕の両脚が自由に届いた。


20.ベルボーイの少年

 「実はね、ラムさん」

 ラムは薄々言われるのが分かっていたようだった。

 「明日以降、ラムさんはフリーだ。あとは僕一人で行くよ。金は全額、事前に払ってあるんだ。何の問題もないはずだ。」

 はっきりと言うと、ラムは「OK」と、諦めたように言った。

 しかし、ラムには、今後、僕の身に何があっても自分の責任ではないという意味の文章を一筆書いてくれ・・・と言われた。

 ラムはホテルのベルボーイの少年に立ち会いを頼み、僕は二人の目の前で書いた。

「明日から私は一人で旅行を続けます。全ての責任は私が負います。」

 そして、この2日間のチップとして、チャーター代の10%である20$をラムに渡した。

 ラムは車に乗って去っていった。

 (・・・行っちゃった・・・)

 突然、隣で僕のバッグを持っていたベルボーイの少年が強い口調で言った。

 「早く来い!!後で一つ教えてやる!」

 少年は、足早にホテルの廊下を歩き出した。何か興奮していた。

 僕は半ば駆け足で彼の後を追った。

 僕の部屋につくと、少年は紙とペンを取り出し、言った。

 「今のレートを教えてやる!さっき君は運転手に20$払ったが、それはルピーにすると1000ルピー払ったことになるんだぞ!!わかっているのか?!1000ルピーだぞ!!運転手に20$もチップをやるなんて、俺はショックだ!」

 少年は興奮していた。

 そして、インド人に初めて僕はまともな事を言われた。

 「金をムダ使いするな!!」

 と。

   

 「でも、総額の10%をチップとして払ったんだ。」と僕が言うと、

 ベルボーイの少年は

 「チップなんてのはきみの心付けだ!きみの気持ちの分だけでいいんだ!!」

 と、当たり前の事を言った。

 

 僕の中の何もかもがおかしくなっていた。

 チップはどこも100円程度でいいということも知っていたし、ガイドブックを読んで、インドではチップは特別必要ないということも知っていた。

 初日に言われた、始発でなければ列車は予約できないという一件にしてもそうだ。何かおかしい。自分の知識と行動が一致しない。

 今まで、自分は理論的だと思ってきたし、海外旅行で騙される人なんて信じられなかった。自分だけは違うと思っていた。インドという所が特別な所なんだろうか?

 いいや、違う、これは自分の心の弱さなのだろう。

 日本でも、よく詐欺にあう人や、借金をして風俗などに落ちていく人の話を聞いて、自分とは異なる人種だと漠然と思っていた。

 しかし、多分、みな同じなのだ。

 一度嵌ると、頭では分かっていてもなかなか抜け出せないという所も含めて。

 僕は打ちのめされた。

 

 少年は興奮しているのだろうか、しゃべるのが速くてなかなか聞き取れないので、僕は何度も聞き返した。

 そのうちに彼は僕に訊ねた。

 「何で一人でインドに来た?」

 僕はしばらく考え、

 「タージ・マハルが見たかったから」

 と、答えになっていないような答えをすると、彼は呆れたような顔をした。

 

 「アグラってそんなに危ない所かな?」

 「うん。危ないよ。気をつけて」

 見知らぬ土地で、信じられる者など一人もいないインドという地で、こんなにも親身に怒ってくれた彼の事を僕は有り難いと思った。

 チップを10ルピー渡し、お互いに「Thank you」と言うと、彼は部屋から出て行った。

 前金で払ってしまってあるガイドを途中で解雇するなんて無謀なのかな?

 果たして、この旅行が終わっているはずの5日後の自分はどうなっているのだろう?

 (い~や。必ず生きて日本に帰るぞ)

 と、再び闘志が湧いてきた。

 (とにかく、体力をつけなきゃ。何か食べなきゃ。)

 ルームサービスでサンドイッチとスープを頼み、文字通り、貪るように僕は食べた。 

 ベルボーイの彼の言葉がまだ耳の奥に残っている。

 「Be careful」(気を付けて。)

 もう誰も信じない。



21.逃亡

 朝の6時半に目覚ましが鳴った。

 今日は午前7時の夜明けとともにチェックアウトしてしまうつもりだった。

 昨晩、午後9時と午後10時に僕の部屋に外線電話がかかってきていたからだ。

 僕がこのホテルに泊まっていることを知っているのは、世界広しといえどもあの旅行会社だけだ。電話は取らなかった。

 ポンとチップで$20も振る舞ってくれる僕を手放すのが惜しいのか・・・あるいはラムには事前に全額払ったと言ったものの、その後、旅行会社に問い合わせるとまだ$50取れることがわかって、因縁をつけるつもりか・・・はたまた、本当に僕のことが心配になってツンドラ駅まで乗せて行ってくれるとでもいうのだろうか?

 残念ながら、前の2つのうちのどっちかだろう。

 早めにチェックアウトしないと、玄関でラムに待ち伏せされてしまうかもしれない。

 

 午前7時にチェックアウトを済ませた後、僕はフロントでタージ・マハルの方角を聞き、玄関のスタッフにも聞き、正門の守衛にも聞いた。

 (そもそもの方角を間違えたらえらいことになる。インド人は一人の人間を信用してはいけない)

 道は両側に木が繁った一本道、まっすぐに延々と続いている。

 空は快晴。僕はようやく自分の旅が始まった喜びを噛み締めていた。

 道には眠そうな牛がのそのそ歩いており、道路脇の茂みからは野犬が3,4匹こちらの様子を伺っている。

 (・・・あいつらにかまれたら狂犬病になっちゃうかな?)

 刺激しないよう、内心びくびくしながら、努めて普通に歩いた。

 歩けど歩けど、道は相変わらず延々と続く。

 (本当に街に向かっているのか?僕は。)

 と、心細くなったその時、突然一つの事に気が付いた。

 そうだ、この異国の地にも、絶対に僕を裏切らない味方がいるじゃないか!

 太陽だ。太陽を背にして歩けば間違いなく西にあるはずの街へ向かえる。

 少し心が明るくなった。

 

 しばらく歩いて行くと、少し村が開けてきて、リクシャーのお兄さんたちが何人も声をかけてくるようになってきた。

 「タージ・マハルに行くのか?歩くとまだ1時間はかかるぞ」

 (今日からはもう誰も信じないと決めたのだ!)

 「No,thank you!」

 道路脇の広場では子供達が男の子、女の子入り混じって10人ほどで遊んでいる。

 僕に気づくと、子供達は「ハロー、ハロー」と大きく手を振ってくる。本当に楽しそうな笑顔だ。今まで、子供に声をかけられる場合は乞食と相場が決まっていたので、今回も少し身構えてしまったが、身なりもちゃんとした、健全な笑顔を持っている男の子、女の子達だ。

 本当にインド人というのはかわいいし、人なつっこい目をしているのだ。そして、本当にいい笑顔をするのだ。この笑顔で、この子たちも将来、何人もの日本人を騙して泣かすのではないか・・・などと思いながら僕も大きく手を振り返した。


22.麗しのタージ・マハル

 歩いて行くにつれて徐々に街が開けていき、ついに目の前にタージ・マハルの東門が見えてきた。チケットを買って中に入ろうとすると、入り口ではセキュリティ・チェックがあった。

 しかしこれがまた空港顔負けの厳重さなのだ。この東門のセキュリティチェックをようやくクリアして東門を通過すると、今度は僕の前に中門が立ちはだかる。そしてなんと、この中門でもまたセキュリティ・チェックがあった。係官は仕事上やむなくなのか、興味本位なのか知らないが、僕のリュックをあちこち開けて、僕の荷物をじろじろと見る。

 結局、セキュリティ・チェックで電子辞書が持込不可対象に引っかかったので、それだけデポジットに預けて解放してもらった。またデポジットの男にチップを払わなければならない。役人と接触すると、めんどくさい仕事が増えるのは世界共通のようだ。

 そしていよいよ中門をくぐると、急に視界がぱっと開けた。

 僕の目の前には美しい緑の庭園が広がり、その向こうから、朝日を浴びて輝く巨大な白亜のタージ・マハルが僕を迎えてくれた。

 ここはまるで別世界だ。僕はそこにたたずんで、しばらくタージ・マハルに見とれてしまった。

 「この世に完璧な建築物があるとすれば、それはタージ・マハルだ」と誰かが言っていた。そうかもしれない。

 僕はタージ・マハルに向かって庭園を歩いて行く。タージ・マハルは更に巨大になって僕に近づいてくる。

 ある程度にまで近づくと天井のドームも見えなくなって、ただの白い建物のように見える。

 この建築物は、さっきの入り口を入ってすぐ、遙か遠く庭園の向こうから見るのが最も美しく見える気がする。遠くからが一番綺麗に見えるだなんて、美しくて高貴な人間みたいだ。

 手を伸ばし、タージ・マハルに触れると、ヒヤッとした堅い感触が僕の手のひらに返ってきた。柱の角を拳でコンコンとたたく。痛い。この建物は確かにこの世に存在するらしい。

 僕は昔、小学校の頃まで、長野県の小さな田舎町に住んでいた。そこはぐるっと360度山に囲まれた、箱庭の様な町だった。

 当時の僕にとって、その箱庭の中が自分の世界の全てであった。来る年も来る年も同じ景色を見て育った。

 テレビからは東京や外国の街の映像が流れてくるが、それらの世界が本当に存在するのかどうか、その頃の僕には疑問だった。もしかしたら、テレビ局の中で、「東京」という名の街のセットを組んで、それを撮影し、放送しているだけなのではないか?実際には存在しないのに、山の向こうにも外界が広がっていると騙されているだけなのではないか?とよく思ったものだ。

 僕は昔からつくづく素直でないらしい。

 とにかく、その後、パリ、ロンドン、ニューヨークなど、いろいろな所へ旅をして、いろいろな物を触ってきた。そしてまた今日も、有名な一つの物が確かにこの世に存在するらしい事を確認できた。

 突然、後ろから聞こえて来た、キャッキャという声に振り向くと、女の子たちの集団が楽しそうに僕の横を歩いて行く。

 確かに、タージ・マハルも綺麗だが、上流階級のインド人には、はっと息を飲むほど綺麗な娘がいる。

 女子高生の団体なのだろうが、さすがに高い入場料を払って入ってくる階級は着ているものまで綺麗で見とれてしまう。

 おっと、あまりこんなところで油を売ってはいられないのだ。

 タージ・マハルとアグラ城はアグラの2大観光名所なので、ラムが僕を探すとすればこの2箇所しかない。

 今は午前9時半。ラムが昨夜電話でしたかった話を直接僕にしにホテルに来るとすれば、今頃は僕が既にチェックアウトした事を聞いてる頃だろう。

 もうアグラ城はあきらめて、アグラ・カント駅に向かうことにした。

 

 僕には一つの考えがあった。

 アグラ~バラナシ間だと列車も飛行機も1日1本しかないが、首都デリーまで戻ればバラナシ行きの手段が増す。デリーからなら奴らの引いたレールに乗っからずに旅行ができ、奴らから行方をくらますことが出来るのだ。     

 それに、デリーでは奴らの旅行会社の位置も確認できるし、なんてったってデリーには日本大使館がある。パスポートのコピーを5枚ほど取られてしまったが、これについて、何か悪用される可能性がないかの確認と合わせて、金を取り返す何か良いアイデアをもらえるかもしれない。


23.天国と地獄

 タージ・マハルを出て、地図を見ながらカント駅に向かう。

 タージ・マハルの塀の中には世界一美しいと言われる世界が広がっているのに、なんとタージの正門の前には世界最悪ではないかと思われる世界が広がっていた。

 土煙を上げる未舗装の細いでこぼこ道。

 道にあふれる野良犬、野良牛、野良人(?)。

 鼻をつんざく汚物の匂い。

 その道路を、どこから湧いてくるのか無数のオートリクシャーが所狭しと走り、クラクションと排気ガスをまき散らす。最悪だ。

 僕はあちこちから僕を呼び止めるリクシャーたちの声を振り切って、地図を見ながらカント駅の方角へ向かう。

 はっきりいうが、僕は方向感覚は非常に良い方だと思っている。

 日本ではあまり地図を見ないでもおおよその見当を付けて進んで行ける。

 しかし、ここの道はお手上げだ。

 道は曲がりくねっていて、複雑な3叉路や5叉路が続く。やがて道はどんどん細くなっていき、幅2mくらいの狭い道に野良犬や野良牛のあふれる貧民街のようなところに入り込んでしまった。

 当然、日本からの珍客に皆の視線が注がれるようになり、子供達は珍しそうに寄ってくる。

 僕は恐怖を感じた。(とても写真を撮れる雰囲気ではなく、写真はありません)

 (やばい。これ以上進んだら自分の位置がわからなくなる。タージの位置が分かるうちに引き返そう)

 文字通り、何とか必死にタージの正門前に出ることができた時は本当に助かったと安堵した。

 (仕方ない。リクシャーに乗るか)

 

 しかし、カント駅まで約4km、いくらくらいが相場なのか分からない。

 そのとき声をかけてきた一人のリクシャーに聞いてみた。

 「カント駅までいくら?」

 「40ルピーだ」

 「ふ~ん」と言って、とりあえずこの場は断る。

 後ろでは、さっきのリクシャーが

 「いくらならいいんだ。言ってくれ!」

 と、言っている。

 (それが分からないから聞いているんじゃないか)

 また別のリクシャーが声をかけてきた。

 僕は聞く。

 「カント駅までいくら?」

 「30ルピーだ」

 さっきのリクシャーも付いてきて、「おれも30ルピーだ」と言っている。

 僕の周りには6人ほどのリクシャーが取り巻いていた。

 みんなが競合しての値崩れを待ったが、敵もさるもの、最初に僕に声をかけたリクシャーに乗れとその場の皆が言う。(チームワークがいいんだな)

 僕は乗ることにした。

 カント駅までの道のりは坂も多く、遠い道のりだった。

 (こりゃ、自分一人で行くなんて、とんでもなかったな。こんなに何度も右へ、左へと曲がる上にこんなに遠いんじゃ。リクシャーに乗ってよかったな)

  リクシャーは朝の風を切って軽快に走った。アグラ・カント駅を目指して。


24.My Destination

 カント駅についた。時計を見ると10時半だ。

 僕は駅のコンコースへ行き、壁に掲げられている大きな列車時刻表を見上げる。

 (さて、デリー行きの列車はと・・・よし、12時18分発のちょうどいいのがある。これで行こう)

 と思ったその時、懐かしい響きの言葉が聞こえた。 

 「日本人の方ですか?」

 振り向くと、20才くらいの日本人(♂)の旅行者だ。頭にバンダナをまいて、若々しい。

 「いつインドに来たんですか?」

 正真正銘のきれいな日本語だ。こっちにきてから「オ~、トモダーチ」というニセモノの日本語はよく聞いたが・・・

 「3日前に着いたんだけど、悪い旅行会社につかまっちゃってさ」

 やっぱり日本語はいい。久しぶりに自分の思いをすらすらと言葉にすることが出来た。

 「そうですか。一番いけないパターンですね。僕は朝まで空港でバスを待っていましたよ。」 ・・・やっぱり僕は一番嵌ったクチなのかな・・・と少し落ち込む

 彼の手にはチケットらしきものが握られている。

 「どこへいくの?」

 「バラナシへ行きたいんですけど、チケットがとれなくて・・・」

 「その、手に持っているのは何?」

 「これはキャンセル待ちのチケットですよ。ここの数字が待っている人の数です。今夜のバラナシ行きの夜行列車は僕で25人待ちですよ」

 と、そこへ、近くにいた見知らぬインド人たちが話しかけて来た。

 「バラナシ行きかい?あ~25人待ちなら取るのはほぼ不可能だね」

 それを聞いた日本人の彼は今後どうするか悩んでいるようだったが、彼はまだ昨夜泊まったホテルをチェックアウトしていないらしく、一旦ホテルに帰らなければならないと言い残して慌ただしく去って行った。

 

 一人残された僕に対し、インド人の男達のお節介はなおも続く。

 「アグラ発の列車は取るのが難しいけど、ここから25kmはなれたツンドラ駅からもバラナシ行きがあるぞ」

 と、教えてくれる。その駅のことは何故か僕もよ~く知っているぞ。離れている距離がわずか25kmとは知らなかったけどな(怒)。

 「ツンドラ発バラナシ行きのチケットを欲しいか?」

 「そのチケットは実はもう持ってる」

 ・・・と、僕は旅行会社から買ったチケットを見せる。

 「あ~、これはキャンセル待ちの券だね。19人待ちでは絶望的だね。」   

 「!!!」

 別に使う気もなかったチケットだが、やはり怒りがこみ上げる。

 (ちっくしょ~!あいつら~!予約なんてできてねーじゃねーか!大事にしまっておけなんて言いやがって!)

 僕がこのチケットを大事そうに胸の貴重品袋に入れているときのあいつらのにやついた顔を思い出したらよけいムカムカしてきた。

 

 しばらくして聞こえてきたおせっかい男の声に、ようやく僕は我に返った。

 「ツンドラ発バラナシ行きのチケットが欲しければ、俺が取ってやろうか?時間も、11時45分なんて遅いのじゃなくて、8時発のを取ってやるよ。」

 僕は間抜けな質問をする

 「なんでそんなに親切なんですか?」

 (そんなのぼったくり目的に決まってんじゃん)と、心の中では既にもう一人の自分が答えているのだが・・・

 「よし、俺を信用できないなら、まず俺の金でチケットを取ってくる。それを見て、本物だとわかったら金を払ってくれ。普通なら取れないけど、俺は取れるんだ。」

 一瞬ぐらっときた・・・が、

 (いかんいかん、人まかせにするのがどれほど良くないかってことは痛いほど分かったはずだろう?)

 僕の間抜けな質問は続く

 「なんでそんなに親切なの?もしかして政府の人?」

 「俺はトラベル・エージェントだ。」

 ・・・・・

 そいつは現時点で僕のもっとも嫌いな人種じゃないか。

 絶対に頼まないと決めた。

 バラナシ行きはあきらめた。

 「デリーへ行こう!!」


25.GO TO DELHI

 ホームに見える列車からは人が溢れているのが見える。文字通りすし詰めだ。

 インドの列車は平気でドアを開けたまま走る。車両の中に入りきれずに、ステップに乗ったままの男たちがドアの手すりにしがみついて、今、平然と列車が出ていく。

 日本の感覚からすると非常に危なく見える。

 当日券はどこで買えるのかがよくわからないので、駅構内にあるInternational officeに出向いて僕は聞いた。

 「デリー行き12:18発のチケットの購入と、このキャンセル待ち券を払い戻したいんですけど、どこへ行けばいいんですか?」

 中にいた、いかつい男は券を見て、しばらく何かを考えていた。

 やがてその男は、「付いてこい」といい、構内を歩き出した。  

 そして、駅舎の北側にある発券窓口らしき所に着くと、窓口の男に向かって何かヒンドゥー語で言っていた。

 (注文してくれているようだ。)

 いかつい男は僕に聞く

 「クラスは?寝台クラスか?」

 (真っ昼間に列車に乗るのに寝台でもないだろう。イスで十分だけど、4時間乗るのにあのすし詰めも嫌だな。)

 「ファーストクラスで」

  いかつい男は窓口の男としばらく話した後、僕に振り返って言った。

 「ファーストは無理だとさ。セカンドで乗って、中でクラスをアップしてもらえ」

 「えっ。ファーストが満席なの?」

 しかし、その時、窓口の男が僕ら二人の会話を遮って、いかつい男に話しかけてきた。

 窓口の男と二言,三言、会話を交わした後、いかつい男は再び僕に振り返って言った。

 「取れるってさ、エアコン付きのファーストだ」

 何故、そうも言うことがころころ変わるのかと不思議に思いながらも、とにかくデリーに帰れそうなことが分かり、僕は安堵した。

 カウンターの右にあった電光表示板にRs.316と表示がでた。

 Rs.100札を3枚とRs.50札を1枚出して窓口の男に渡してしまうと、僕はもうすっかり安心して、隣のいかつい男にお礼を言っていた。

 すると、突然、窓口の男の大きな声が聞こえた。

 「金が足りない。」

 男はRs.100札を2枚とRs.50札を1枚こっちに見せながら、言う。

 (冗談じゃない。金を受け取ってすぐ、机の中に放り込んだのを見たぞ!)

 隣にいた、いかつい男も僕に向かって言う

 「あとRs.60だってさ」

 (もしも僕が払ったのがRs.250しかなかったとしても、どこをどう計算したらあとRs.60になるのだ。おかしいじゃないか!!)

 英語ですらすらとクレームが言えない僕は

 「No」としか言えなかった。しかし、何度催促されても、払うつもりは無かった。

 そのまま、しばらく双方が押し黙ったままの膠着状態がつづく。

 (双方が自分の非をいつまでも認めない場合、こういう事態はどう収拾するのだろう?)

 と、気まずい雰囲気の中で僕は思った。

 長い沈黙を破ったのはいかつい男だった。

 いかつい男が何かをヒンディー語で窓口の男に言った。

 すると、窓口の男はお釣りの34ルピーとともにチケットを発券してくれた。

 (あっさりと、自分がウソをついていたと認めちゃうんだな。あっけらかんとした国だな)

 

 次はキャンセル待ちチケットの払い戻しだ。バラナシまでの長距離チケットなので、額面はRs.1054と高額だ。

 いかつい男は今度は駅舎の反対側、南の方向に向かって歩き出した。

 「この券の払い戻しには額面の50%の手数料が取られる。」

 といかつい男は言う。

 (半分も取られちゃうのか・・・仕方ないな)

 「俺がキャンセルしてきてやる」・・・といかつい男が言った。

 僕は突然嫌な予感におそわれた。

 (いや、人まかせにしてはいけない)

 「いえ、自分でやります」

 「きみは列車の発車時刻が迫っている。4番ホームで待っていろ。俺がキャンセルして持っていってやる」 

 「いえ、自分でやります。場所を教えて下さい。」

 僕はそう言って、チケットを彼の手から奪い返した。

 

 これは後に、ガイドブックを読んで知ったことだが、発車の4時間以上前のキャンセルなら額面の75%は戻ってくるのだ。このとき男にチケットを渡していたら50%返してくれるならまだましで、おそらくこの男は二度と僕の前には姿を現さなかったことだろう。

 

 (そうか、とにかくインド人はこちらを騙そうとしているという前提で考えれば良いのだ) 

 このとき、僕はインドと闘えるような気がしてきた。

 

 ・・・僕の着ている真冬用のコートが目立つのだろうか、なぜか僕はよく乞食に狙われる。

 駅の1番ホームで僕に声をかけてきた子供の乞食がいた。

 僕はなんとなくあげる気分ではなかったので、しらんぷりして陸橋をわたっていく。

 彼はずっと僕の後ろをついてくる。

 4番ホームについてからも僕一人を狙い撃ちだ。ずっと何かをボソボソ言いながら後ろをついて来る。

 僕も意地になって逃げ回る。長いホームをあっちへ、こっちへ、20分ほども乞食を後ろに従えて逃げ回った。はたから見れば滑稽に見えたことだろう。

 ベンチでくつろいでいる老夫婦の前を乞食の子を従えて三往復はしただろうか?

 (この人は絶対にくれる)っていう乞食のカンが働いているのか?

 僕のどのへんがそう見えるのか教えて欲しいね。

 列車が入線してきたときにRs.2を渡すとようやく彼はどこかへ去っていた。

 デリー行きの列車が入ってくると、僕はファーストクラスの車両がどこなのか目をこらして探した。

 最初の2両はぎゅうぎゅうのすし詰めだ。これがセカンドクラスなのだろう。

 ・・・前から7両ほど見たが、ファーストクラスの車両がない。

 後方を見渡すと、列車はあきれるほど長かった。20両ほどもあるだろうか?最後尾は見えない。

 そこを丁度通りかかった、駅員らしき人にチケットを見せて僕は聞く。

 「僕の乗る車両はどこでしょう?」

 その男は僕のチケットを見て、すこし驚いたように答える。

 「Rs.316?・・・・先頭の2両だ」

 僕は頭の中が???でいっぱいになった。

 (先頭の2両というのは、あのすし詰めの車両のことなのか?)

 僕は思った。もしかしたら、最初からファーストクラスの車両など、この列車には連結されていなかったのかもしれない。窓口の男の話もちょっと変だった。

 とにかく、僕は高い料金を払っているので、勝手に好きな車両に乗せてもらうことにした。

 寝台車のデッキは誰もおらず、くつろげそうだったので、そこで自分のリュックサックを降ろし、その上に腰をおろした。 

 (後で車掌に怒られたとしても、乗ってしまえばこっちのものだろう)

 とにかく、この列車にくっついてさえいれば、デリーに行けるのだ。

 

 窓の外を見ると、反対方向の列車が全てのドアを全開にしたままゆっくりと発車していく。車両の中では床に円になって座り込んで、お弁当らしきものを食べている人たちの集団が見えた。

 インド人たちとの交渉に少し疲れていた僕は窓の外をぼんやりと見ていたが、やがて、僕の乗った列車がゆっくりと動き出した。

 (ついに列車が動き出した。これでもう僕の足取りは掴めまい)



26.因縁の街

 アグラを出て4時間、車窓を流れる景色が徐々に都会のものに変わってきた。

 (再び帰ってきたぞ。デリーへ。今度は自由の身で)

 ニューデリー駅に着くと、さっそく駅前に宿を取った。

 Rs.623(1000円ちょっと)だが、お湯も出るし、ベッドもある。十分だ。

 荷物を部屋に置き、早速ニューデリー駅にキャンセル待ち券の払い戻しに行く。

 アグラ駅では結局時間がなくてできなかったのだ。

 駅の窓口はどこもすごい行列だ。息苦しい。

 僕はまず案内窓口へ行き、どこで払い戻しができるかを聞く。

 「32番窓口だ」

 僕は窓口番号を確認しながらひしめき合う人波を避けつつコンコースを進む。

 そして、「32 CANCELLATION」と書かれた窓口を見つけると、その行列の最後尾に加わった。

 行列はすごい騒ぎだ。横入りするやつに後ろの人が文句をいう。

 「みんな並んでるんだぞ!」

 「見てくれ、もう発車まで時間がないんだ!」

 「だれだって時間がないんだ!」

 右や左でも、見知らぬ者同士、お互いのチケットを見せ合いながら、ああでもない、こうでもない、と、賑やかにやっている。

 突然、前の男が自分のポケットをまさぐり始めた。何かを探しているようだ。

 そして、僕の胸のポケットにささっているボールペンを目ざとく見つけると、僕に何をことわるわけでもなく、当然のようにそれを取って列車の予約カードに記入を始める・・・

 (これだけ人間が多いと、行儀良くなんてしてられないんだろうな・・・)

  

 僕の順番が近づいてきた。僕も横入りするやつらに負けじと窓口にチケットをつっこんで順番を待った。

 ・・・・・・・・・・

 どうにも払い戻しのやり方がわからない。

 チケットを窓口に渡しても、チェックをして何かを記入してくれるのだが、そのままチケットを返されてしまう。 

 一体、どこで金を受け取れるのか・・・

 悩んでいると、例のごとく一人の男が声をかけてきた。

 (この男が何と言うか、聞いてみるのも一つの手かな。答えの中に真実が一つでも含まれていればもうけもんだ)

 「払い戻しをしたいんだけど」

 「こっちだ。ついてこい」

 男は僕を駅前通りのインフォメーションセンターに連れて行こうとする。

 (国鉄の建物じゃなくて普通の旅行会社じゃないか)

 この時、僕は既にガイドブックを読んであり、いくらくらい返ってくるのかを大体計算してあった。

 チケットは2枚あり、1枚が75%、もう一枚が50%の返金で、合計1000ルピーくらいだ。

 (ここはいくらくれるのか、聞いてみるのも一興だ)

 店の中に入ると、「International information は2階だ。」と言われ、2階への階段を登るよう促される。階段は幅が狭く、民家の階段のようだ。2階にはいくつかの小部屋があるようで、ドアがいくつか見えた。僕はそのうちの一つの小部屋に案内され、僕が入ると後ろでドアが閉められた。

 
 机の向こう側には既に一人の男が座っており、僕の後ろにも今しがたドアを閉めた男が立っていた。

 (なるほど。金を持っていそうな外国人は隔離してやるわけね)

 僕も机の前の席に座り、チケットを2枚出して

 「これを払い戻したいんだけど」

 と、机の前の男に渡す。

 男はそれを見ていたが、その男が口を開く前に、僕はこちらから先制攻撃を仕掛けた。

 「大体1000ルピーくらいだと思うんだけど。」

 そうなのだ、どこからだろうが、僕からすれば、1000ルピー返ってこれば構わないのだ。

 「1000ルピーだよね。こっちが50%、こっちが75%返ってくるから」

 「いや、こっちが25%でこっちが50%だ。」

 (なるほど。この差額で儲けるわけね)

 「何故か教えてやろう。え~っと、おまえはどこの駅から来た?」

 「おかしいな。ちょっと友達に聞いてくる」 

 ・・・と言って、僕は早々に席を立つ。

 

 男達は「ちょっとまて。友達というのはどこにいる?」

 と言いながら、暫くついて来たが、じきに諦めたようだ。

 (とにかく、奴らがこれを欲しがったということは、少なくとも、まだこれに価値があるということだ。)

 ズボンのポケットにチケットを押し込み、僕はまた歩き出す。

 

 窓口のホールでは相変わらず胡散臭い奴らが次々と声をかけてくる。

 「外国人用の窓口は2階だぞ。ここはインド人用の窓口だ」

 確かに、2階に外国人用の窓口はあった。しかし、掛けてあった看板によると2階の外国人用の窓口は今日は昼の2時までしか営業しておらず、今はもう既に閉まっているのだ。

 そんな時に1階で外国人は受け付けません、なんてことはあるはずないのだ。

 これが奴らの常套手段なのだ。2階を見に行かせて、「窓口が閉まっていて困った。」という状態に外国人を持っていき、その後は助けてやるという振りをしながら自分の旅行会社に引っ張り込むのだ。

 相手の選択肢をウソでもって奪っていくのだ。嵌められた経験者の僕が言うのだから間違いない。

 また別の男が声をかけてくる。僕が「このチケット、どこで払い戻しできる?」と聞くと、また別の旅行会社を指さすだけだ。

 「32 CANCELLATION」 と書かれた窓口で聞くと、そんなことは案内所で聞けというし、案内所では相変わらず32番窓口に行けという。

 (もう誰でもいいから、正解を教えてくれ!)

 太陽は西の空から落ち始めており、もう日没も近くなっていた。払い戻しにはもう少し駅が空いた時にまた来ることとし、僕は因縁の場所、コンノートプレイスに向かった。

 あの日、あの旅行会社の中で、「ここはどこだ?」と男達に聞いたときに、「ここだ」と地図上の一点を指さした、その場所に。

 

 なぜ行こうと思うのかは自分でもよくわからない。一応約束だから、残りの50$を払わなければならない・・・と思ったような気もするし、今後、カードから不正な引き落としがあった時の為に旅行会社の所在を掴んでおこうと思ったような気もする。

 日没が近づいてきている。

 僕は焦った。どうも通りを1本間違えて歩いていたようだ。迷ってしまった。

 日が暮れる前までになんとか辿り着きたかった。

 何人かに道を聞きながら歩き続け、ようやくコンノートプレイスに近づいてくると、さすがに緊張してきた。

 旅行会社のあの男や、運転手ラムに似た背格好の男を見る度にドキっとしてしまう。 (奴らに先にこっちを見つけられてはいけない)

 

 やがて、僕の絶対的な味方、太陽が西の地平線に沈んでしまった。

 しかし、僕の思いに反し、暗くなって人の姿が見えにくくなったら、かえってやり易くなった。

 (やはり太陽が味方してくれたのかな)

    

 そして、ついにその場所に辿り着いた。

 その次の角を右に曲がると、あの忌まわしい通りが見えるはずだ。

 僕は向こうから僕の姿が見えないよう、角から恐る恐る通りをのぞき込んだ・・・

  ・・・・・・

  !!!

 ・・・・・・

 目の前には、僕の記憶の中の景色とは似ても似つかない、大都会の景色が広がっていた。

 通りには高いオフィスビルが並び、道幅は優に50mはあるであろうか。

 ひっきりなしにクラクションをならした車が行き交い、脇の通りでは地下鉄工事をやっている。

 

 ・・・・ここではない?・・・・

 僕はしばらく呆然とそこに立たずんでいた。

 -ここに一枚の写真がある。

 あの日、奴らの目を盗んで表から撮った奴らの店の写真だ。

 これを見る度にいつも思うのだ。

 これは一体どこだったのだろうかと・・・

 もしかすると、ニューデリーですらなかったのかもしれないと・・・



27.足止め

 寒い・・・窓からのすきま風で目が覚めた。

 しかし、自由な朝だ。

 目をこすりながら窓を開けると、外はもうとっくに目覚めている街の喧騒で溢れ返っている。

 (今日はできたらバラナシ行きの飛行機を取って、今日中にバラナシに行きたいな)

 

 ホテルをチェックアウトして表へ出ると、例によって、すさまじい客引きに逢う。

 リクシャー、旅行会社、食堂。

 今ではもうだいぶインドに馴れたようだ。

 皆、旅行者を騙そうとするのが常識なのだ。日本では信じられない事だが、「Indian Airline」や、「DTDC」(日本でいうJTB)などの看板を、平気でそこらの店が掲げているのだ。

 看板にそう書いてあるのだから、街中で「Indian Airlineはこっちだ」と言われ、ついていったら確実に騙される。日本とは全く違うのだ。

 自分で地図を見ながら歩くしかないのだ。この国では。

 実際、こんなひどい状態とは思っていなかった。こんな甘い認識では、初日のあの時に騙されなくても、いずれは同じことになっていただろう。

 「人にまかせる」事はこの国ではタブーなのだ。

 

 お腹がすいたなぁ・・・と思い、周囲を見渡すと、日本でも見慣れた看板が目にとまった。

 困った時のマック(マクドナルド)だ。このハンバーガーチェーン店がある限り、僕は世界中どこにいっても絶対に餓死することだけはないのだ。 

 見慣れた看板の下の玄関をくぐると、店内は2階の客席まで吹き抜けており、とても開放感を感じさせる造りになっていた。

 さて、マックといえば、世界を席巻するビーフハンバーガーチェーンなのだが、ここは牛が神聖視されるインドだけに、さすがのマックのメニューにも牛肉は使っていなかった。具はチキンとフィッシュとチーズばかりだった。

 (これなら安心だね。インドの野良牛さんたち・・・)

 席についてガイドブックを読みながらハンバーガーをパクついていると、隣に身なりのいい男が一人座った。年の頃は30歳くらいだろうか?

 しばらくするとその男は「今何時ですか?」と話しかけてきた。

 快晴で気持ちの良い朝ということもあり、その男としばらくまったりと話していた。

 その男はモーリシャス島出身とのことで、今回は6ヶ月のインド滞在で、半分は仕事であること、家族のことや、世界を股に掛けてIT関係の仕事をしている事などいろいろ話してくれた。

 僕にとって未知の国、未知の社会の話を聞くのはとても楽しかった。

 やっぱり世界は広い。また行ってみたい国が増えてしまったようだ。

 そして30分程も話しただろうか、話題はだんだん今後の旅行の話になってきた。僕は今日、Indian Airlineの席が取れ次第、バラナシへ行く予定だと彼に言った。

 世界中を旅行し慣れている彼は、旅行の手配をするならDTDCがお勧めだという。

 たしかに、DTDCなら、ガイドブックにも載っているようなしっかりした旅行会社だ。僕も、そこへ行こうか、それともIndian Airlineのオフィスに直接行くか、正直いうと迷っていた。

 ここに入る直前まではIndian Airline の今日のフライトが取れなかった場合、別の航空会社のチケットを取ろうと思っていたので、旅行会社であるDTDCの方に行った方がいいかな・・・とも思っていた。

 

 その男は言う

 「実は今から僕もパンジャーブへ遊びに行くチケットを取りにDTDCへ行くところなんだ。一緒にいこう」

 ・・・この瞬間、僕は黙り込んでしまった。確かに、この男は悪い男ではなさそうだが、この男がどうのこうのではなく、人についていくのはやめようと決めたのだ。ここでは。

 「いや、僕はちょっとこの辺りを散歩してから行くよ。じゃ、また後で。」

 

 僕は店を出て、決心した。

 (Indian Airline のオフィスへ行こう。DTDCはなんとなく嫌な予感がする )

 僕はIndian Airline のオフィスあるFブロックに向かって歩き出した。

 道すがら、相変わらずいろんな客引きが声をかけてくる。

 「ねえねえ、どこへ行くの?」

 僕は知らん顔をする。そして、Fブロックに行くため、角を右に曲がる。

 ・・・と、そのとき、その男は意外な言葉を発した。

 「Indian Airlineはそっちじゃないよ。こっちだよ」

 (なぜ、おまえが俺の行き先を知っている?)

 僕は昨日のうちに、Indian Airlineの本当の事務所の場所を自分で歩いて調べておいたので、その男にそう言われても迷わなかったが、その男が指さす方向には、本物とそっくりのオレンジ色の看板で、でかでかとIndian Airlineと書いてある店があった。

 (天下のIndian Airlineのコンノートプレイス店がそんなに小さいはずないだろ?)

・・・と、誰もが思うような明らかなウソを真顔でついているのがなんだか面白く思えて、僕は笑ってしまった。

 

 Indian Airlineの事務所にて、今日のバラナシ行きのフライトを調べてもらうと、12:30のフライトに空席があるらしいが、もう11時なので、売れないとのことだった。

(マックであの男と無駄話しなけりゃ良かったかな?)

 結局、明日の9:30デリー発バラナシ行きと、あさって、1月1日、16:00バラナシ発でデリーに帰ってくるチケットを取って店を出た。

 結局、今日は一日デリーで足止めを食らってしまった。


28.事後処理

 今日1日、時間が空いてしまった僕は、日本大使館へ行くことにした。

 あの旅行会社に5枚もとられてしまったパスポートのコピーを、悪用される可能性があるなら事前に知っておこうと思ったのだ。

 ちょうど天気も快晴。散歩にはちょうど良い。

 年の暮れだというのに街は暖かく、汗ばむくらいだ。

 インド国会議事堂前を通り、街を南下していく。イギリスの造った街らしく、ランドアバウト(ロータリー)が続き、非常に方向がわかりにくい街だ。

 国会議事堂以南のニューデリーには警官があちこちに立っていた。

 僕は道に迷うたびに警官に道を聞く。

 のっぽの警官のお兄さんは、英語が聞き取れなくて何度も聞き返す僕に丁寧に教えてくれ、僕が「わかった」というと、「OK?」と、親指を立ててにっこり笑ってくれた。

 いつもながら、インド人は非常にいい笑顔で笑う。      

 

 ようやくたどり着いた日本大使館は年末年始休みだった。

 (しまった。外務省も役所だったな。)

 仕方ないので来た道をまたニューデリー駅に向かう。

 しばらく歩いていると、後ろからオートリクシャーの男が、乗らないか?と声をかけてきた。僕は聞く

 「ニューデリー駅までいくら?」

 「70ルピー」

 「それは高いよ」

 別の男が声をかけてくる。また僕は聞く。

 「ニューデリー駅までいくら?」

 「50ルピー」

 「それは高いよ」

 僕もだいぶ相場がわかってきた。

 「僕は40ルピーくらいだと思うんだけど」

 「それは安い。50ルピーはとてもリーズナブルだ。いやなら、ここにメーターがついている、メーターで乗れ」

 (そこまで言うなら、本当にいい線なのかもしれないな・・・)

 でも、僕は断って歩き出す。

 男はため息をついて言う。

 「わかった。おまえの値段でいい」

 男は不満そうだったが、40ルピーで決めて後ろに乗り込んだ。

 10ルピーは約20円である。何故20円のためにこんなにもぎりぎりと交渉するのだろうか?

 それは、インド人にとっては純粋に金の問題かもしれない。一方、僕にとってはこれは心の問題なのだ。言葉の通じないバカな日本人、文句を言わない気弱な日本人からぼったくってやろうという思いがひしひしと伝わってくるのが我慢ならないのだ。

 ばかにされてさえいなければ、10ルピーなどは実際、たいした問題ではないのだ。 

 こういった人間関係の摩擦がおきるそもそもの原因はなんであろうか?

 お互いの、(自分はこいつにバカにされているのではないか?)・・・と邪推する心なのではないだろうか。

 それは、自分と相手との経済的な差、あるいは英語力などの能力差に起因する、お互いの劣等感なのかもしれない。

 心の中に劣等感を感じた場合、なんとなく頭を下げたくなくなるのだろう。頭を下げて金をもらうなんて嫌だ。だからみんなで旅行者を騙して金をむしり取って、みんなで小ばかにして笑うのだ。そうして、自分の心のバランスを取っているのだ。おそらく。(ただし、インドは乞食も堂々としたものであり、「お布施はさせて頂くもの」、という感覚なので、日本のように「お金をもらうときは頭を下げるもの」という感覚自体が希薄なのかもしれないが・・・)

 表面的にも内心的にも降参できる相手など、そうそういるものではない。

 僕は知っている。人をヨイショする人間ほど、陰でその人の悪口を言うことを。

 でも、それは多分、その人の性格が悪いのではない。

 仕事として人を持ち上げ過ぎた分を、ただ、無意識に適正なところまで修正したいだけだと思うのだ。

 初めから人のヨイショをしない人は、陰口を言って心のバランスをとる必要がないだけのだ。多分。

 「陰日なたのある人間は良くない」というのをよく聞くが、それは果たして本当にそうなのだろうか?そういう人が社会の潤滑油になってくれているのではないだろうか?

 僕みたいにボーッとした人間ばかりでは世の中が上手く回っていかないだろう。

 そんなことを考えているうちに、ニューデリー駅に着いたようだ。

 僕は50ルピー札を運転手の彼に渡し、

 「きみはいい運転手だ。お釣りはとっといて」

 と言うと、運転手は「は?」と聞き返した。

 もう一度言うと、彼は苦笑いをした。



29.旅の恥は・・・?

 僕は結構バカ正直な方だ。融通がきかないといった方がいいかもしれない。

 今日もホテルを決めて、チェックインする際、僕が今日どこから来たのかを書く欄があった。僕は昨日もデリーの街にいたので、困ってしまった。

 (デリーって書いていいものか?)

 台帳には、既にチェックインした人達の記入したものがあった。

 (なになに、From アグラ、バラナシ、コルカタ、ドイツ、お~っ、日本ってのもあるじゃん。う~ん、やっぱデリーって書いてある人はいないなぁ)

 悩んだあげく、僕が出した結論は、前日泊まったホテル名を書けば良いのではないか、だった。これなら一応、今日移動して来たかっこうになる。

 他の人たちに比べると非常に細かい動きだが。僕は台帳に「Hotel the nest」と書いてフロントに渡した。

 すると、フロントにいた3人がお互いに顔を見合わせ、失礼なことに声をあげて大笑いし始めたのだ。

 (いや~、こんなに受けるとは思わなかったな~。)

 失礼にも、一人は目に涙まで浮かべて笑っているではないか。

 「Are you from Hotel the nest?」(おまえはホテル・ザ・ネストから来たのか?)

 と、そいつは僕に笑いながら言う。

 (2日前にAgraから来たんだけど、しれっとAgraって書いておけば良かったかな~)

 理詰めで考えるのが僕の悪い癖かもしれない。細かい真偽など気にせず、頭を切り換えてAgraと書いてしまうのが普通の感覚かもしれない。(貴方ならどう書く?)

 フロントの男達の笑いに耐えつつ、この嵐が過ぎ去るのを待つ間、僕は考えていた。

 僕の人生で一番恥ずかしかったことは何だろうか?

 今のところ、人生ワースト1はハンガリーの首都、ブダペストの温泉での出来事だろう。

 あの街で、僕は全く言葉が通じなかった。

 あの街では皆、マジャル語を話すので、海外旅行における僕の唯一の武器、(片言の)英語すら通じなかったのだ。

 なのに、(せっかく温泉の有名な街に来たんだから、入っていかなくちゃ)などど思った僕は、温泉のチケット売場で、よく訳のわからぬまま適当に一番安い券を買った。

 そして、脱衣所で素っ裸になり、意気揚々と温泉に乗り込んでいったところ、どうやら間違って温泉プールに入って行ってしまったようなのだ。

 水着を着て泳いでいたおばちゃんとフルちんの僕が目が合ったのだから僕の言うことに間違いはない。

 

 今のところ、あれが我が生涯でのワースト1かな?

 ま、今日のこのくらいはご愛敬だ。

 あまり気にせずいこう。



30.暗闇の恐怖

 朝、4時に目覚ましのベルで目が覚めた。

 5時発・空港行きのバスに乗るためだ。

 窓の外を見ると、この旅行で初めての雨が降っていた。

 

 僕の遅刻癖は旅行中でも相変わらずで、僕が仕度を終えて部屋を出る時はもう4時50分だった。

 フロントの男は僕に聞く。

 「空港まで行くのですか?タクシー呼びましょうか?」

 僕の返事は「No!」

 アグラ駅で会った日本人の青年はインドに着いた初日、この空港バスに乗ってきたと言っていた。ちょうど、僕がぼったくられていた頃だ。

 彼とそれらの話をしている間、僕は彼に対する劣等感を抱いていた。

 僕は、自分が劣等感を抱いた事というのは、天が「お前もそれをやってみろ!」と言っているのだと思っている。

 これは絶対に空港バスで行かなければならない。金の問題ではないのだ。

 表に出て、走る、走る。雨の中、傘をさして走る、走る。

 

 ようやくバス乗り場に着いた時には時計の針は4時55分を指していた。

 夜明け前のバス停は真っ暗で、近くの軒下に浮浪者が2人寝ている。

 ・・・怖い。早くバス来ないかな・・・

 しかし、5時10分になっても、20分になっても、バスは来ない。

 怖い・・・。

 どこからか人の足音がするたびに僕は物陰に隠れる。

 「Hey!」と、話しかけられて恐怖する。

 早く、早くバス来ないかな・・・

 バスが来るか、僕のインドでの唯一の味方、太陽が昇らないかな・・・

 今日は雨・・・明るくなるのは遅いだろう。

 (大丈夫か?インドでは銃を使った強盗もあると聞くぞ・・・)

 大使館が休みの今、もしパスポートでも取られてしまったら、それこそどうしようもなくなる。

 いや、そもそも、金品程度で済めばラッキーなのかもしれない。

 

 僕は基本的に運がいい方だと思っている。しかし、今まで強盗に遭わなかったからといって、今日も遭わないと言いきれるだろうか?

 僕だけは違う・・・ということはあり得ないということを、この旅行で身にしみてわかったはずではなかったか?

 バスは1時間経ってもやってこない。運休なのだろうか?次のバスに乗るにしても、まださらに1時間も待たねばならない。

 (・・・戻ろう。昨夜泊まったホテルのロビーで待たせてもらおう。)     

 そう決めると僕は一目散に走り始めた。

 今まで我慢していた恐怖のエネルギーがはじけた様に体の中からあふれてくる。

 走って、走って、やがて、真っ暗闇の通りの中で、唯一灯りがもれてくるホテルのロビーが見えた。

 僕は肩で息をしながら、昨夜泊まったホテルの玄関を再びくぐった。

 「すいませんが、ここで1時間待たせてもらえませんか?」

 僕は10ルピーを出しながら頼む。

 「OK。これはなんだ?」

 「チップ」

 「そんなの必要ない」

 明るく笑ったフロントのお兄さんはロビーの電気をつけてくれ、新聞まで持ってきてくれた。

 (とにかく、ここなら安全だ。安心してくつろげる・・・・)

 僕はソファに腰掛けた。

 すると、張り詰めていた緊張の糸が緩んだのだろう。僕は気づかぬうちに深い眠りに落ちていた。

 このまま、一時間以上も寝たおして、結局次のバスにも乗れないということなど露知らず・・・



31.旅は道連れ

 デリー空港に到着してタクシーから降りると、外はすごい霧だった。

 (こりゃあ、飛行機飛ばないかな?)

 と、心配する僕をよそにバラナシ行きの飛行機は定刻どおりに難なく離陸した。

 (飛んでしまえば、行き先ははるか800km先だ。向こうは晴れているさ)

 飛行機が雲の上に出ると、今日初めて見る太陽が、いつもと変わらずさんさんと輝いていた。眼下には見渡す限り一面に雲が広がっている。

 飛んでも飛んでも雲は切れない。まさにインド中が雲に覆われてしまったようだ。

 1時間ほど飛んで、機体は再び眼下の雲の中につっこみ、デリーから400kmほど離れた経由地、ラクナウ空港に着陸した。ここで数十人の客が降り、またバラナシに向かって飛び立つ予定だった。

 ・・・が、しかし、飛行機は一向に飛び立つ気配がない。

 待ちくたびれた僕はシートにもたれかかったまま、また深い眠りに落ちていた。

 しばらくして、僕を揺り起こす人がいた。CAさんだ。周囲を見回すと、あれだけ乗っていた乗客が全くいない。

 CAさんは言う

 「視界が悪いため、フライトは見合わせます。降りて下さい。」

 (つくづくすんなりといかない旅だ・・・)

 空港の待合室でしばらく待っていると、僕らの便についてのアナウンスが入った。

 僕は全体の3割くらいしか聞き取れなかった。こういう非常時こそ語学力がないと不安になる。そのとき、僕の視界に一人の日本人らしき人の姿が目に入った。

 年の頃は30前後というところだろう。Gパン、Gジャンでとても軽装だ。

 地獄に仏、インドに日本人。僕は早速その人に話しかけた。

 「フライトどうなるんですか?」

 「もしかしたらバスに振り替えかもしれないって。いずれにしても1時間で結論を出すから、ここで待てってさ。」

  その男の人は田中さん(仮名)といった。仕事で1年アメリカに駐在していたという、世界的な大企業の社員だった。

 結局、ずいぶん遅れはしたが、その飛行機は無事にバラナシまで飛んでくれた。しかし、遅延してしまったせいでバラナシ空港に着陸する頃にはもう辺りは真っ暗になってしまっていた。

 僕は田中さんと一緒に空港ビルを出て、目の前のバス停に停まっていたバラナシ駅行き空港バスの一番後ろの席に並んで座った。

 空港バスといっても、ボロボロだ。僕の座っている左側の窓はガラスが外れていて無かった。

 田中さんと話していると、どんどん無口になっていく自分がいた。

 彼は言う。

 「ぼくはインドは初めてなんだけど、ひどい国だね。ここは。インチキ者が多いよ。実は空港までのタクシーで200ルピーも払っちゃってさ~」

 (そもそも取られた金の次元が違うではないか。)

 僕は300ドルで3日間引っ張り回された話をすると、

 「それは酷いのにひっかかったね~」と言っていた。

 英語の堪能な彼は、バスの中でもインド人たちの人気者だ。

 

 英語に不安のある僕としては、そんな彼を見ていると、思わずくっついて行きたくなってしまう。そんな時、バス会社のインド人の一人が僕らに聞いてきた。

 「二人とも今日は同じ宿にとまるのかい?」

 さっき、まだ宿は決めていないと言っていた田中さんは言う

 「いや・・・」

 ・・・と、こちらを見ながら。

 (ろくに言葉も話せないし、為になる旅の情報も何も伝えてあげられない僕といてもメリットがないということなのだろうか。)

・・・これが僕の負けん気を刺激したのだろう。僕はこの言葉のおかげで正気に戻った

 (現時点での能力で人間、一生決まりってわけじゃないだろう!まだ今の自分にはできない事でも、チャレンジしていればいずれできるようになる。
 僕はまだ未熟だからこそ、よけいに旅をする意味があるんだ!!
 英語が下手で何が悪い!僕は僕なりの旅をすればいいんだ!

・・・田中さんについて行くのはやめよう。自分で決めよう)    

 僕はガイドブックを取り出し、今晩泊まる宿を考えた。

 明日はうまく晴れてくれれば初日の出が見れる。

 (ガンガー(ガンジス河)の向こうから太陽が昇ってくるのが見える宿、Temple of Gangesにしよう。)と、僕は決めた。

 

 バスが途中、Taj Gangesホテル前に止まった。  

 僕があの旅行会社で今晩予約してあるホテルだ。

 それはとても豪華で、きらびやかな飾り付けが外観に施されている。

 (やれやれ、なんて皮肉だ。わざわざこのホテルに寄るとは)

 ロビーの中も新年を祝う飾り付けが綺麗になされていて、その空間だけが明るい光に満ちあふれている。旅行会社の男が、このホテルでは今晩、年越しパーティーが開催されると言っていた。

 ガラスのないボロバスから、きらびやかなこのホテルを見ていると、なんだかマッチ売りの少女の気持ちがわかるような気がしてきた。

 隣に座っている田中さんがガラスのない窓から外をのぞき込んで言う

 「ひゃ~。こんな立派なホテルがあるんだ~」

 

 僕の左ポケットにはこのホテルのバウチャーがあったが、使わない・・・と心に決めていた。金の問題ではない。僕から金をむしり取った奴らの手の平の上で動き回るのは我慢ならないのだ。

 

 Taj Gangesホテルでは1人のドイツ人女性が降りた。あと、バスに残されている乗客は、僕を含めて日本人男性ばかり、5人だ。

 それからまたバスは走り始めたが、しばらくすると何の前触れもなく、突然、あるへんぴな場所でバスは止まった。

 周囲には寂れた倉庫のようなものが建っているだけで、道は舗装されておらず、草が生えていた。

 「降りろ!」

 と乗務員は言う。

 (ここはどこだ?このバスはバナラシ駅まで行くのではないのか?)

 他の客は皆ぞろぞろ降りて、外で待ちかまえているリクシャー達に囲まれる。

 「ここはどこだ!このバスは駅まで行くんじゃないのか!」

 誰も聞かないので、僕がめちゃくちゃな英語で聞く。

 「あれがバラナシ駅だ。」

 と、乗務員が指さす方向、200mくらい先に、たしかに駅らしきビルが見える。

 (ここは駅裏か。目指すのはガンガーだ。リクシャーに乗るにしても駅の表から乗った方が近いし安い。)

 僕はリクシャーたちを振り払って、迷わず駅に向かって歩く。振り向くと、田中さんと、他の3人の日本人たちがリクシャー7人に囲まれている。 

 もう遠かったが、「私も一緒に行きますよ」との日本語がかすかに聞こえた。4人なら、2人乗りのリクシャー2台でちょうどいいだろう。

 

 (いいのだ。僕の旅なのだ。僕は1人で行きたい所へ行くのだ。)

 僕はもう振り向かずに駅に向かった。

 バラナシ駅の構内はひどかった。薄暗い駅に裸足の人たちがところ狭しと座っている。果たして、列車を待っている人たちなのか?家のない乞食たちなのか?いずれにしても彼らの身なりは貧困を絵に描いた様なものだった。

 

 駅の表に出ると、早速リクシャーの一人が声をかけてきた。

 「どこへ行く?」

 「Temple of Gangesだ。知ってるか?」

 「もちろんだ。乗れ」

 「いくら?」

 「50」

 「高い。他を探す」

 「いくらならいいんだ?」

 「5kmくらいだろ?30だ」

 「ばかな、10kmはあるぞ」

 「他をあたる」

 「わかった。30だ。来い」

 「30。インディアンルピーね」

 「OK」

 僕はオートリクシャーの後部座席に荷物を置いて乗車する。

 すると突然、別の男が車の運転席に乗り込んで来て、一瞬で車のエンジンをかけ、間髪入れず車を急発進させた。

 (やばい!)

 僕は車から飛び降りる。

 すんでのところで助かった。

 しかし、僕はこの時確かに、後ろから「危ない!」と叫ぶ日本語を聞いていた。 



32.母なるガンガー

 振り向くと、そこには田中さんが立っていた。

 「今、危なかったね~」

 と言っている。

 そうなのだ、いくら交渉しても、交渉したのとは別の運転手にかわられてしまうと、「そんな交渉など知らん。」と言われ、乗ってしまった後の事後交渉となるので不利になり、ぼったくられるというのがガイドブックでも有名な手口なのだ。

 

 田中さんは言った。

 「一緒にいこうか」

 「うん」

 僕は交渉した相手に怒鳴る。

 「僕はあんたと契約したんだ。ドライバーが違う!」

 「わかった。俺が運転する。」

 今度こそ、その男は観念したように田中さんと僕を乗せて、車を出す。

 途中、何故か別の男が一人、前の助手席に乗り込んで来る。

 「どこへ連れて行かれるか、見ものだね」

 と、田中さんは言う。

 聞けば、田中さんも、デリー市街で、指示した場所と違う場所に連れて行かれた事があるらしい。

 そうなのだ。乗ってしまったら、これはある意味賭けなのだ。極端なことを言えば、人気のない所へ連れて行かれて殺されてしまう可能性だってあるのだ。

 不思議と日本ではタクシーに乗るとき、そんな事は考えたこともなかった。

 だが、インドではドライバーに「ここは初めてか?」と聞かれた時は決して「初めて」と答えてはいけない。こいつは場所も知ってる、相場も知ってる、と思わせるのが重要なのだ。

 田中さんがつぶやいた。

 「こっちも2人だと心強いよね」

 僕はびっくりした。

 英語も堪能で、海外一人旅に馴れているこの人でさえ、このセリフなのだ。

 僕は人と一緒にいても、話題がなくて、かえって一人の方が気が楽だ・・・という見方しかしてこなかった。一人の方が気が楽だ、などと思うのは、僕の性格の一番の欠点だろう。

 僕もいつか素直に田中さんの様なセリフが言えるようになりたいと思った。

 

 その後一同沈黙の中、オートリクシャーは走り続け、意外にも無事にTemple of Ganges に着いた。

 運転手は「もしもここが満室だったら他に連れていくからここで待っている」と言った。

 僕は「OK」と答えると、宿の階段を駆け上がり、宿の主人に聞く

 「今晩、シングル2つ空いてる?」

 「空いてるよ」

 ・・・良かった。

 僕は大急ぎで表へとって返して、外で待っていた運転手に30ルピーを渡す。

 相手が何かを言う前に、「あなたはいいインド人だ。ありがとう」

 ・・・と、相手の肩をたたいて一方的に話を切り、すぐに彼から離れた。

 宿に戻ると田中さんはもう既に2晩の予約を済ませていた。

 

 僕はやれやれ、と緊張が解けたこの時、ふと気が付いた。

 ここまで、全ての交渉をやってきたのが自分だということを。

 英語が下手で、インド人たちと冗談が言い合えなくても、僕は一人前の旅行者なのではないか・・・と思った。

 僕は確かに騙された。しかし、失敗も大きかったかわり、多分僕は大きく成長したのだ。

 

 宿の主人は言う

 「運転手はまっすぐにここに連れてきてくれたかい?それはめずらしいね。予約の電話をしてきた人でも、行方不明になる人が多いんだよ。リクシャー達に他の宿に連れて行かれてしまうんだろうね・・・」

 その日の夕食は久しぶりに日本語でおしゃべりをした。楽しかった。

 宿のインド人たちも陽気で面白かった。

 

 夕食のあと、宿の屋上に出ると、ガンガー(ガンジス河)が見えた。ガンガー沿いのガートの灯りがネックレスのように連なって、とてもきれいだった。

 今頃、ホテルTaj Gangesでは年越しNEW YEAR PARTY の真っ最中であろう。

 あの旅行会社の男が、「君も出ると楽しいよ」と言っていたものだ。

 しかし、そんな、人に押しつけられた華やかなパーティーよりも、僕は、自分で手に入れた、このガンガーの流れの方が愛しく思えた。宿の少年が「あれがダシャーシュワメード・ガートだよ」と遠くの灯りを指さしていた。

 時計を見ると午後9時だ。

 日本ではちょうど新年が明けた頃だった。 



33.サールナート

 インドの新年の朝が明けた。あいにく東の空は曇っていて初日の出はぼんやりとしか見えない。

 僕は朝一番でチェックアウトし、ガンガーに沿って北上していく。1月だというのにガンジス川は沐浴している人たちでいっぱいだ。ここがヒンドゥー教の聖地バラナシなのだ。

 ガートを歩いていると、沐浴に行く人、お祈りする人、はたまた野球のような遊びをしている子供達(あれは何というスポーツなのだろう?テレビでもやっていた)など、さまざまな人々とすれ違う。

 もうもうと煙の上がっているガートをのぞき込むと、そこは火葬場らしく、河原で人が焼かれていた。

 (人間も焼くと黒い炭になるんだ。こりゃ、さんまを焼くのと変わらんな。)

 それにしても、ここは土産の売り子が多くて鬱陶しいのもさることながら、階段にずらっと並んだ乞食が一斉にバクシーシ(施し)をねだるのには参った。ここの乞食は、バクシーシを与えずに通り過ぎようとすると、罵声を浴びせるのだ。こんなに元気な乞食は初めて見たぞ。

 (ちょっとこれは数が多すぎるんじゃないかい?そんなに多くちゃとても施しきれないぞ。)

 罵声を浴びるのにもいいかげん疲れてきたので、少し時間は早いが、僕はガンガーを離れて駅に向かって歩き出した。

 しかし、非常に道が複雑なため、例によってあっけなく迷ってしまった。

 これでインドで訪れた街の全てで迷ったことになる。

 僕は方向感覚は良いと思っていたが、もしかしたら勘違いだったのかもしれない。

 (駅はどっちだ?でもまあ、まだ時間があるから、街の観光がてら適当に迷っていようか。)

 帰りのフライトは夕方の4時だから、1時頃にタクシーを拾って空港に向かえば十分だな。まだ1時まで3時間ほどある。

 そういえば、さっきから一人のリクシャーが乗れ乗れと言いながら僕の後をずっとついてくる。

 人の良さそうな笑顔をしたおっちゃんだ。

 (乗らないよ。時間つぶししているだけだもの・・・)

 僕は「No,thank you」と言い続けているのに、彼はずっと後をついてくる。 

 10分ほどして、前の方にリクシャーを漕いで去っていったので、やれやれ、と思っていると、しばらくしたら笑顔で戻ってくる。

 (なんなんだ。このおっちゃんは)

 このリクシャーのおっちゃんはあまり英語が話せないみたいだ。

 ヒンドゥー語で何かを言いながらまた僕の後ろをずっとついてくる。

 そのうち、脇を歩いていた一人の男がちょっかいを出し始めた。

 その男はリクシャーのおっちゃんと少し喋ったあとで、僕に向かって言った。

 「おまえ、サールナートまで歩くのか?」

 (えっ?あの、仏陀が悟りを開いた後、初めて説法したという、あのサールナートか?ここから近いのか?)

 ガイドブックを見ると、このバラナシから10kmほど北にあるらしい。

 (この道がサールナートに続いているから、リクシャーのおっちゃんは僕がそこまでいくつもりだと思っていたんだな?時間もあるし、行ってみるかな)

 歩いている男はリクシャーのおっちゃんをからかいながら、僕に言う。

 「おにいさん、その先のバス停からサールナート行きのバスが出る。バスにしろ、バスに。」と言って笑う。 

 リクシャーのおっちゃんはヒンドゥー語で何か文句を言う。

 おそらく、商売の邪魔をするなとでも言っているのだろう。

 「サールナートまで行って、駅まで戻ってきていくら?」

 「100ルピー」

 「高い」 とりあえずこれを言う

 「いくらならいい?」

 「50ルピー」

 「無理」

 周囲には他のオートリクシャーや、関係のない男の子、女の子たちまで集まってきた。

 だれかが、「サールナートまでの交渉をしているんだよ」と周囲に言っていた。

 僕は別のオートリクシャーに聞く「サールナート~バラナシ駅でいくら?」

 「70」

 ほら、とリクシャーのおっちゃんに言う。

 「それは片道だろう」

  (そうか・・・往復で100の方が安いか。・・・ま、これでいいか)

 もう、考えるのがめんどくさくなってリクシャーに乗ろうとすると、後ろからオートリクシャーが言う

 「まて、俺も往復100で・・・」

 と言いかけたところ、リクシャーのおっちゃんがヒンディー語で何かをどなる。

 俺が今までがんばって口説いたんだ・・・とでも言っているのだろう。

 だしかに、20分近くも粘る根性はたいしたもんだ。

 これも何かの縁なのだろう。

 

 リクシャーのおっちゃんはご機嫌だ。

 「サールナート、サールナート」

 と、にこにこと鼻歌を歌いながら自転車を漕ぐ。

 (やっぱり、ぼったくってんだろうな・・・こんなにうれしそうに。たかだか日本円で200円なんだけど。)

 しかし、駅裏に入ったあたりから、道の状況が一変する。舗装されていないのだ。昨日の雨で道路は粘土のようになっており、あちこちに大きな水たまりがある。

 おっちゃんはたまらずに自転車から降りて、自転車を押す。それでも彼はご機嫌だった。

 よく見ると、男は裸足でスリッパを履いているだけだ。着ているセーターも手拭いも真っ黒だ。

 水たまりに足をつっこみながら、ご機嫌で自転車を押す。

 年の頃は50くらいだろうか・・・

 僕はこの時考えてしまった。何故、僕はここに座っていられるのだろうか?・・・と

 多分、この男は小さいころから毎日毎日ずっと自転車を漕ぎ続けているのだろう。

 おそらく、暑い日も寒い日も、雨の日も風の日も・・・。

 その男は本当に一所懸命に自転車を漕いでいた。

 一所懸命に。



34.リターン・マッチ

 バラナシ発のフライトは離陸が遅れに遅れた。

 セキュリティ・チェックがめっちゃくちゃに厳しいのだ。

 全ての乗客のバッグの中味を本当に全部出して、一つ一つチェックしているのだ。

 それが祟ったのか、4時のフライトのはずが、離陸した時はもう既に5時を回っていた。

 

 ところで、バラナシの空港待合室にいる時から、やけに僕と目の合う女の子がいた。

 年の頃は22~23というところであろうか。目のぱっちりとした、かわいらしい日本人の娘だ。

 女の子3人グループでインドに来ているようで、見ていると、交渉事はその娘が代表してやっており、どうやらグループのリーダー的存在のようだ。

 デリー空港についた時、僕は機内持ち込みが不可となったライターと乾電池を返してもらうため、Indian Airline のカウンターで待っていた。

 そこへ、後ろから日本語で僕に話しかける声がした。

 「日本人のかたですか?」

 その声に振り返ると、またその娘と目が合った。今度は僕のすぐそばに立っていた。 

 「預けた品物、なくなっちゃったんですか?」

 「わからないけど、僕のが全然出て来ないんだ。」

 「そうなんですか」

 彼女も自分の預け品を待っているようで、カウンターに尋ねている。

 とてもきれいな英語だ。

 彼女はこちらに向き直って言う

 「どのくらいインドにいるんですか?」

 「1週間くらいかな?」

 「そうなんですか。私たち、まだ3日目なんですよ」

 と、その時、カウンターから僕を呼ぶ声がした。

 「おまえの預け品は無くなった。替わりのものを渡すから、こっちへ来い」

 (おおかた、日本製のライターを欲しいやつが盗ったんだろう。そういう国だ)

 「それじゃ」

 と彼女と別れる。

 僕は少しほっとした。

 (僕は今やひげもじゃで、インドのエキスパートのような風体をしているので、彼女はいろんなおもしろい話を聞けるかもしれないと期待しているんだろうが、僕がしてあげられる話は、ぼったくられた話くらいだ。英語もきみの方が上手だ。何も力にはなれないよ。)

 少々卑屈だが、自信喪失している男の思考回路なんてこんなもんだろう。

 僕は替わりのライターと電池を受け取って、到着ロビーに出た。

 さあ、もう8時近い。外は真っ暗だ。どうやって街まで行こう?今度こそバスにするか?

 外に出てみると、タクシーの客引きが凄まじい。暗闇の中で、黒いインド人の輪郭はあまり見えず、白い目だけがぎょろぎょろして見える。まさに狩りをしている獣が暗闇から獲物を狙う目だ。

 こんな中に一人で入っていくのは飢えた狼の群に羊を投げ入れるようなもの。

 あたりを見回しても空港バスの姿は見えない。しばらく来そうにない感じだ。

 僕は空港のロビーに戻ってしばらく考えた。

 (バスを待つのも確かに面倒だ。しかし、タクシーは、ガイドブックにも「目的地に行ってくれなかった」という被害報告がいくつも出ているように、トラブルになるのは目に見えている。僕もインドに来た初日にやられたではないか。)

 (どうする?・・・)

 僕はしばらく考えこんだ。

 (もういよいよ、明日でこの旅行も終わりだ。考えてみれば、この国に来てからというもの、やられっぱなしだった。こんな状態のまま、逃げるように日本に帰るのか?僕は?)

 僕は最近ようやく実感としてわかったのだ。

 自分が自分自身にどう思われているか・・・という事が、生きていく上でどれだけ重要かという事を。

 たとえ、体裁を取り繕って、世界中の人々に認められようとも、自分自身に認められなければ、心の平穏は絶対にやってこないという事を。

 (日本に帰ってしまえば確かにもう安全だ。しかし、それは逆から言えば、もう「インド」にリターンマッチをする機会もなくなるということじゃないのか?

 よく考えろ!もしかしたら、これはピンチではなく、自分を取り戻す「ラスト・チャンス」なのかもしれないぞ。)

 ・・・・・

 (決めた!)

 とにかく、自分があとで後悔しないようにしようと決めた。

 (タクシーで行こう。この1週間で学んだことの全てをかけて勝負してやる。)

 僕はプリペイドタクシーのカウンターに向かって行った。

 「コンノートプレイスまでいくら?」

 「コンノートプレイスのどこだ」

 (ここは完璧に知っていると思わせた方が良いのだ。初日は同じことをタクシーの運転手に聞かれ、「僕、インドは初めてなんでわからない・・・」などど、うぶなセリフを吐いてしまったのだ。)

 「Indian Airlines前」

 「135ルピーだ」

 僕は100ルピー札と50ルピー札を渡す。

 受け取った男はカウンターの下で、さっと隣の男に金を渡す。

 (やったな)

 案の定、金を受け取った男は、

 「110ルピーしかないぞ。あと25ルピーだ」

 と、100ルピー札と10ルピー札をこちらに見せて言う。

 「いいや、僕は10ルピー札なんて渡してない。僕ははっきりと覚えてる。」

 ・・・何度言われても追加は出さない。

 そのうち、男達はあきらめたように、15ルピーのお釣りとプリペイドカードをくれる。

 そして、外へ出ようと、左手でドアノブを握った時、僕の右頬に誰かの視線を感じた。

 ふと見ると、出口脇のカフェにさっきの3人組の女の子たちが座っており、僕の方を見ていた。

 おそらく空港バスが来るまでの時間を潰しているのだろう。

 (それがいい。きみら3人で固まって行動して、あとは君の語学力があれば大丈夫さ)

 その娘の目は

 (大丈夫?)

 と僕に聞いているようだった。

 (やってみるさ。)

 僕は彼女に軽く右手を振って、左手でドアを押し開けた。



35.駆け引き

 タクシー乗り場の男達はみんなグルなのだろう。みんなが一丸となって、こっちだ、こっちだと僕を呼ぶ。

 「これが先頭車だ」

 と連れて行かれたタクシーの運転手は見るからに身なりが悪く、目つきの悪いやつだった。

 (うわ、最悪)

 そいつに「名前は?」

 と聞かれ、僕はつい本名を言ってしまった。

 (しまった)

 運転手が走っていった先には、男達が5,6人集まっており、その中心にいる男は何やら大きなノートを持っていて、名前をチェックしているみたいだった。

 実は、あの旅行会社の手配した飛行機のフライトは今、僕の乗ってきたフライトのわずか1時間前の同路線のフライトなので、僕を探している男たちが今ここにいる可能性は十分にあった。

 (俺の捜索願いが、あの旅行会社から出ているかな?つかまったら難癖つけてあれこれと金を要求するに決まってる。我ながらバカな話だが、そもそも契約書も領収書ももらってないので何とでもいちゃもんをつける事ができるだろう。)

 運転手の男が戻ってきて、運転席に座り、車を出すが、また10mほど行って止まる。

 そして、先ほどの、ノートを持って何かをチェックしている男の方をチラチラと見る。

 (まだ確認中なのか?とにかく、こんなに大勢の「敵」に囲まれているこの場所から一刻も早く離れなければ。)

 僕はしびれを切らして言う。

 「何をしている!早く車を出せ!」

 その言葉でようやく車はまともに走り始めた。

 男は聞く

 「行き先はどこだ」

 「コンノートプレイスのインディアンエアラインズ前」

 「何ブロックだ」

 「Fブロック」

  一言一言に緊張が走る。

 

 ここで、僕は一つの縛りをかける。

 「そこで僕の友達が待っているんだ」

 ・・・

 しばらく沈黙が走る

 突然、彼は訳のわからないヒンドゥー語で話かけてきた。何か聞いたようだ。

 (わからない時は適当に話を流してはいけない)

 「なんて言ったの?行き先はコンノートプレイスのインディアンエアラインズ前だよ」

 「それはどこだったかな。ビルだったか?」

 もう一縛りしてみる。

 「もちろん知ってるよね。有名だもんね。コンノートプレイスのFブロック」

 僕もデリーはよく知ってるぞ、というプレッシャーをかける。 

 またしばらく沈黙が走る。

 男は言う。

 「プリペイドカードを見せてくれ」

 僕は渡そうとして、あわてて引っ込めた。

 「後でだ」

 沈黙・・・

 そして、そのときふと自分の持っているプリペイドカードを見て、(しまった!)と思った。

 チェック欄がA,B,C・・・とあるのだが、Eの所にチェックが入っている。

 (Fブロックまで行くと、これはEまでだから追加料金をよこせと言う気だな。なら、今から行き先をEブロックに変えるか・・・)

 しかし、悲しいかな、僕はそれを英語で言えそうにない。

 「チケット売場の人がチェックし間違えたから、Eブロックでいいや」の説明が。

 こんな駆け引きのようなデリケートな英語は相当の英語の使い手でないと無理だろう。

 何しろ、今は既に英会話というより、心理戦の様相が強いのだ。

 僕は自分のボールペンでFにチェックを打つことにした。

 ボールペンの芯を出す音がしないように、細心の注意を払ってそっとそっと芯を出す。

 「カチッ」

 (ちっ!ボールペンってこんな大きな音がしたっけ?)

 運転手の男はその音に気づいて、バックミラーでギラッとこっちを見る。

 僕は音など聞こえなかったかの様に、窓の外をぼんやりと見やる。

 しばらくして男の視線が外れてから、プリペイドカードにそっと書き込んでみる。

 しかし、カードはぺらぺらの薄紙なので、うまく書けない。穴があくだけだ。

 (だめだな。こうなったら、何とか車を手前で止めさせるか・・・)

 僕が今から越えなければならない山は二つだ。

 まず、あの旅行会社に連れ込まれるのだけは絶対に回避しなければならない。

 そして、運良くコンノートプレイスまで行けたとしても、Fブロックまで行かせてはならない。

 山は二つだ。

 僕は今から自分がどこへ連れて行かれようとしているのか、全神経を集中して右の車窓を流れる景色を凝視する。

 その瞬間、僕の目の中に飛び込んで来た景色に、自分の心臓がドキッと、体の中で大きく波打ったのを感じた。僕の鼓動がばくばくと、大きく、速くなる・・・

 (あれはガンジーとその弟子たちの像だ。)

 やつらの店から、ジャイプルに向かう時にラムが指をさして説明してくれたからよく覚えている。

 (やばい。やつらの店に向かっているのか?)

 手から汗が出てきた。左手は鞄をぎゅっと持ち、右手はドアノブに手をかけた。

 車から飛び出す準備だ。

 (こいつはいよいよやばいな)

 手から汗が出る。

 ・・・永遠とも感じられる時間が流れる。

 ここは・・・どこだ?・・・右の車窓を流れる景色を凝視する僕

 道の両側には木が生い茂っており、暗い。

 (次の信号で止まったら飛び出すか?しかし、こんなへんぴなところで降りて、その後どうする?もう少し、ぎりぎり行けるところまでいくか・・・)

 僕は飛び出すタイミングを図る。

 

 また男が聞く

 「インディアン・エアラインというのはビルか?」

 僕は声を荒らげて怒鳴り返す。

 「ビルかどうかなんて関係ないだろ!インディアン・エアラインの前に降ろせばいいんだ!Fブロックだ。知ってるだろ?」

 ・・・と、僕が一瞬運転手の方を見たその瞬間、黄色い光が僕の左側の視界をよぎった。

 (黄色いM!あれはマックのネオンサインだ!)

 僕は左の車窓に飛びついた。

 そしてマックの店内をのぞき込む。

 ・・・これは・・・間違いない。2階まで吹き抜けで客席がある。いつか入ったコンノートプレイスのマックだ。コンノートプレイスまでは来たようだ。・・・

 すると、あの旅行会社の情報は入ってないんだな・・・

 ようし、あとはEブロックの件だけか・・・

 

 男はしつこく聞く

 「何ブロックだ?」

 「エフブロックだ」

 「エスブロック?」

 と、男は聞き返す。

 「エフだ、エフ!」

 車が4車線ある一番右の車線に入る。

 歩道はすぐそこだ。

 そして、うまいこと車が渋滞してきた。

 (天が味方した)

 僕はプリペイドカードを開くのに時間がかかるよう、縦に4つ折り、5つ折りにした。

 「ここでいいよ」

 ここならFブロックよりも手前だから追加料金と因縁をつけられることもないし、僕の言う「待ち合わせ場所」でもないので、走り去っても自然だ。

 「ここでいいのか?」

 男はブレーキを踏んだ。

 車が止まった。

 僕は飛び出すように車を降りて、外から運転席の窓越しに5つ折りにしたプリペイドカードを男に手渡す。

 

そして

「Thank you!」

 と、言うが早いか、僕は車の進行方向とは逆方向に走り出す。

 案の定、後方でなにやら僕を呼び止める運転手の声がした・・・が、僕は止まらない。止まるわきゃない。人しか通れない狭い路地に飛び込み、右へ、左へと走りに走った。

 ・・・どうやらまいたようだ。

 

 僕は息を切らしながら、縁石に座り込む。

 体の芯から笑いがこみ上げて来た。 

  (勝った)

 そのとき僕は、この旅行で知り合った日本人みんなにようやく追いついたような気がした。



36.インドという国

 翌日は朝から晴れていた。

 僕はオートリクシャーから飛び降りる。

 運転手が、道がわからないから知り合いの旅行会社に行こうと言い出したからだ。

 僕は近くの公園でペプシを買って芝生の上に座り込む。

 しばらくすると一人の男が近づいてきた。靴の修理屋さんみたいだ。

 「アンタノクツ、キッタナイネー!メチャキタネーヨ!」

 (そっちこそ、誰に習った、そのキッタネー日本語。)

 その男、ブロークンな日本語を駆使しながら話しかけてくる。

 とてもおもしろい。

 「私、靴の修理屋ネ。10ルピーで靴底のはがれたところ、直してあげるよ。」

 僕は靴を渡してペプシを飲む。今日はいい陽気だ。

 そのうち、僕の周りにいろんな人たちが集まってくる。

 「耳掻きしてやろうか?」

 と、髭もじゃの老人。

 「ねえ、オチャ、オチャ、カッテ」

 と、ポットとコップを持って言うのは5才くらいのかわいい少年。

 この公園で商売しているもの同士、みな、仲がいいみたいだ。

 靴の修理屋は友人とこづきあいながら僕に向かって言う。

 「コイツ、アタマクルクル。アッチイケ」

 言われた男も言い返す。

 「コイツモ、タマニ、アタマ、クルクル」

 靴の修理屋が2人、耳掻きやが1人、子供が5人、なんかわからんが、大騒ぎになってきた。

 いつでも、どこでも人が集まって大騒ぎになる。

 これがインド人たちの微笑ましい所だ。

 「ねえ、オチャ、オチャカッテ」

 とてもかわいい。

 靴の修理が終わったようだ。うん、たしかに、はがれていた靴の底がきれいに直っている。

 僕は10ルピーを払う。

 「じゃ、また会おう」

 靴修理の男はそういって握手を求める。

 子供たちは言う

 「日本のコインが欲しい。コインちょうだい。」

 「僕、日本のボールペンが欲しいよ。」

 僕が日本から持ってきていたボールペンをあげると、その子はとても嬉しそうな顔をした。

 「あ~っ。もう一本あったら僕にもちょうだい!」

 「僕、日本のキャンデーが欲しい」

 日本で買った、のど飴をみんなに1つづつあげる。

 子供達は大喜びだ。

 そして、日本語で「サヨナ~ラ」と言いながら、皆一斉に芝生の丘を下って駆けていく。

 

 (やれやれ、そろそろ行くか。)

 ・・・と、そのとき、一人の少年が戻ってくる。

 「ねえ、このキャンデー、もう一個ちょうだい。とってもきれいなんだもの」

 もう飴は残っていなかった。

 「もうないよ」

 「そうか・・・じゃ」

 ・・・と、少年は右手を差し出す。

 僕はその手を取り、握手する。

 少年はくりくりしたかわいい目で楽しそうに笑っている。

 (思えば、インドではたくさんの人と握手をしてきたな・・・ほとんどが悪人だったけど・・・。これがインドで最後の握手になるんだろうな・・・)

 ・・・と、僕が思ったのを知ってか知らずか、僕が手を離そうとしても、少年はぎゅっと僕の手を握ったままだ。

 「???」

 いたずらのつもりなのだろう。くりくりした目で笑っている。

 手は土にまみれてざらざらだ。埃まみれの手は働いている事の勲章なのだろう。

 そして、僕の手をちょっと持ち上げながらのぞき込んで、何か一言、ヒンドゥー語で何かを言った。

 「えっ?何?」

 「See you again!!  サヨナ~ラ!」

 彼は、ぱっと僕の手を離し、その手を大きく振りながら、丘の下で待っている仲間たちのもとへ駆けて行った。

 

 インド最後の握手、それは土でざらついた小さな手だった。

 しかし、インド人特有の、とても魅力的な笑顔で、いたずらっぽい目をして、そして、とてもさわやかな握手だった。 

 少年の駆けていく後ろ姿を見ながら、僕は思う。

 あの子は僕をこの地に呼び寄せた、インドの化身なのではなかったかと・・・



37.エピローグ

 自分自身の一番の教育者は自分だと思っていた。

 昔から、先々のことまで考えて、自分にとってどう行動するのが一番いいのか、あるいはどう考えるのが一番いいのかまで、自分自身で計画していたような気がする。

 この旅行は最初から最後まで、何一つ自分の計画通りになんかならなかった。 

  しかし、苦しかったが、とても楽しい旅だった。

 早朝、野犬に怯えながら、いつ着くともわからぬ道をタージ・マハルまで一人歩いたこと、真っ暗闇のバス停で浮浪者から逃げ回りながらひたすらバスを待ったこと、そして、汗びっしょりの手でタクシーのドアノブを握りしめ、車窓を流れる景色を追ったこと。

 何故か今、なつかしく思い出されるのは辛かった事ばかりだ。

 この旅で数々起きたトラブルの、何か一つでも足りなければ、旅は全く違ったものになっていただろう。

 もし、最初にデリー空港であの男が僕に声をかけてこなかったら・・・

 もしアグラであのベルボーイのいるホテルに宿が変更されていなかったら・・・

 もし、一日前のバラナシ行きのフライトが取れてしまっていたら・・・

 もしラクナウで飛行見合わせがなかったら・・・

 それぞれ、その後の、僕の旅も、僕が出逢う人々も全く違っていただろう。

 そして、それらのどれが一つ欠けても今の僕はないのだ。


 人生はアクシデントの連続だ。

 そのアクシデントの先に、思いがけない未来が待っている。

 また今日も、街を歩いていれば、未知の出来事に出会うだろう。

 そして多分、その時また僕の人生が、出逢う人々がかわるのだ。



 インドは呼ばれた者だけが来ることができるところだという。

 僕は多分、インドに呼ばれたのだろう。

 富と貧困、秩序と混沌、常識と非常識、それら全てを呑み込んで、今日もまたインドの一日が暮れていく。

 「へい、ジャパニ、どこへいく?」

 「インディアン・エアラインはこっちよ」

 僕はくすりと笑って言う。

 「No,thank you!」

 西の空を見上げると、今日はきれいな夕焼けだ。

 さあ、日本へ帰らなきゃ!!

 一番近い空港バス乗り場はどこだ?

 面倒くさくても自分で探さなきゃ。

 なぜなら、この不自由さは、僕が自由を得たことの証なのだから。

                        (おしまい)

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