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書けない時はどうしたって書けない


執筆と時間

いつの日からだろう。その日に書いた文字数を数えるようになっていた。

同じことをしている人は多いと思う。

特に小説家になろうやカクヨム、アルファポリスといった小説投稿サイト、それにnoteへコンスタントに投稿している人の多くは同じなのではないだろうか?

忙しい時代だ。

ゲームの体力消化をしないといけないし、アニメも見たい。YouTubeも見たい。小説投稿サイトのランキングをチェックして面白そうな小説があれば読みたい。

学校に行ったり、仕事をしたり、家事をしたりもしないといけない。

色んな娯楽やしがらみがひしめきあって、私たちの時間を奪ってくる。

作家のはしくれ……というのもおこがましいけれども、ともあれ何かしらの小説を書いて投稿している私達には、その時間がかかるものの中に「執筆」がある。


どうしたって他人と比べる

時間と言うものは誰に対しても公平に有限だが、使い方は千差万別だ。

ちょっとしたお金があればやらないで済むこともあるし、ちょっとした知識やツールの使い方で劇的に効率化できる作業もある。

最近ではAIにかなりの部分を代筆してもらって、”生産性”を劇的に上げる方も出てきた。異論もあるけれども、この先、AIを活用して創作に活かすという流れはどんどん大きくなっていくことだろう。

私も誤字チェックや類義語を調べる際にAIに聞いたりしている。

あなたがしんどい思いをしながら「今日は1000字書いた」とか「今日はしんどくて全く書けなかった」とかやっている間に、あなたが気にしている人気作家は「今日も6000字書いたから1日に2話投稿します」とやっているかもしれない。

忙しい世の中で、読者も忙しい。あなたも忙しい。

継続的な人気を得るには継続的な投稿が必要で、「これからの更新は週に1度にします」とか、「これからの更新は不定期になります」なんてやったらポイントの伸びは途端に激減するし、離れる読者も出てくる。そしてその間に、毎日投稿している誰かの人気作があなたや私の大切な作品の人気をぶち抜いて駆け上がっていく。

なぜこうなったのだろう?

駆け出しのころ、小説を書くのは楽しかった。

今もそうだ。小説を書くのは楽しい。楽しいからやっている。

ただ、しんどい時もある。

投稿作が多少の人気は出て、読者がついた。続きを待っているという声がちらほらついて、嬉しいと思う反面でしがらみができた。

いつかは出版社の目に留まって商業化してアニメ原作になって大ヒットというサクセスストーリーは、確率的には低いながらも引き当てる誰かがいる。その誰かが自分ではいけないという理由はない。

「ランキング〇位になりました! ありがとうございます!!」

ちょっとした成功。そしてより成功している人への嫉妬。

もっとがんばれば認められるのではないかという期待。そして当たり前の話だが、書けば書くほど文字数と言う「成果」が詰みあがる。

毎日投稿しなきゃ、という呪縛


だから書いた。
書き溜めることなく、自転車操業的に執筆することで毎日投稿できていた時期もある。過去形だ。

今はできてない。

けれどもちょっとしたきかっけで、また毎日投稿できるのではないかと期待している自分がいる。小説の書き方のノウハウ本を読むのもその一環だろう。

何か、少し疲れた。

いつからだろう、思うように小説を書けない自分を責めるようになっていた。

「毎日投稿しないと」

それも、質がともなった状態で。

面白いと言われたいし、人気も欲しい。読者をなるべくたくさん呼び込みたい。

いつの日からだろう。その日に書いた文字数を数えるようになっていた。

書くことそれ自体が楽しいはずだったのに、書いたものの文字数がたくさんあるかないかでその日の成果を測るようになっていった。

「遅くなりましたが何とか書けた。今から投稿します」

「すみません。今日は更新できそうにありません」

もっと頻度よく投稿を。

今のペースだといつまでたっても完結しない。

そんなことを考えてしまっている。

作品の内容、面白さそれ自体ではなく、作品に付随する「これはお前が始めた物語だろ?」を気にしている。

そう。

私が始めた物語だ。

それがなんだというのだ。

仮に、執筆速度が上がり、毎日投稿できるようになったと仮定しよう。

すっきりはするかもしれない。筆が乗ったという状態は誰だって楽しい。

「今日も4000字書いた!」

それはそれで素晴らしいね。特に文筆を生業とする人にとって、アウトプットの量は死活問題だ。

かくいう私だって作った作品を電子書籍として出版しているので、文字数の多寡がわずかとはいえ収入に繋がっている。(とても本業には及ばない微々たる額だが、収入は収入だ)

だけれども。

最近、気づいた。

「今日も小説を書くのが楽しかった!!」

始まりはいつもここからなのでは、と。

私たちが小説を書く理由は何だ? 
楽しいからではなかったのか?

書くことそれ自体が報酬で、書いた成果物に付随する評価なんか二の次ではなかったのか?

もちろん、書くこと(行動すること)でモチベーションが戻ってくることもある。

行動心理学的には意欲がないからやらないではなく、やらないから意欲が出ないという因果関係の方が正しいらしい。それは確かにそう。

意欲がゼロだと思っていても、やっているうちに意欲が出てくる経験は多い。

だが、毎日毎日、楽しいからやっているはずの執筆作業を、「今日は4000字書いた!」とか「今日は100字も書けなかった」などと出力の量だけでジャッジし、あまつさえできない自分を責めるのは筋が違うのではないだろうか?

書けない時はどうしたって書けない

「文字数という数字を気にしすぎて、自分を過度に追い詰めるのはやめよう」

そう思いいたった今、ちょっとだけ小説を書くということへのワクワクする気持ちが戻って来た。

私の書いたこの小説は、絶対に面白い!!

他人がどう、ではない。

自分の評価すらも気にする必要はない。

物語を紡ぐ。つまり、脳内に思い描いたイメージを文字として具現化する、そのもどかしくも試行錯誤する時間がかけがえもなく愛おしい。そういう時が私にはあった。これを読んでいるあなたにだってあっただろう。

後で推敲で削る文章であっても構わない。書くのが楽しい。

あの黄金ともいえる「一見して非効率で無駄な時間」を取り戻そう。

欲しいものはたいてい、結果ではなく結果を追い求める過程の中にある。



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