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映画「ウェスタン・スターズ」

気に入らない学者・研究者を排除し、その批判に対してまともな説明を拒否し居直る強権体質の新政権。テレビなどの多くのメディアはまたも忖度をしているのか、論点ずらしの手助けと、政府と首相の陳腐なイメージアップに力を入れる。コロナで社会も個人も疲れきっている今みたいなときこそ、困っている国民の声を真摯に聞く政治が必要なはずなのに、なんでこうもクソな状況が続くのか。

日々の仕事や生活のストレスなども重なり、これはブルース・スプリングスティーンでも聴いて元気をもらおうと、発売されたばかりのブルーレイ作品「ウェスタン・スターズ」を購入、鑑賞。結論、想像を遥かに超えて心を打たれた。

昨年のアルバム「ウェスタン・スターズ」を再現演奏した、コンサート・ドキュメンタリー・フィルム。同アルバムは、音楽的にはグレン・キャンベルなどの70年代初期南カリフォルニアのポップスに影響を受け、美しいオーケストラ・サウンドもたくさん入った、これまでのスプリングスティーン作品とは一線を画す内容だった。昨年もちろん自分も買って聴いたが、作りこんでいていい感じの音だとは思ったが、正直そこまでグッとは来なかった。もっとアメリカーナ(カントリー)っぽい方が好きかもなーなんてピントのずれた感想を抱いたぐらい。

聴き込みが足りなかった。というかまったく表面的に聴いていた。今回のドキュメンタリー・フィルムでの演奏を観ながら、それぞれの曲の歌詞に目を通して、「ウェスタン・スターズ」の聴こえ方がガラリと変化した。

「2本のピンで固定した足首、砕けた鎖骨 鉄の棒が入った脚、それでなんとか歩くことができる」(ドライブ・ファースト)、「夕方、俺たちは小型トラックに飛び乗り町に飲みに出かける。俺は働くことにしている。くたくたに疲れて何も考えられなくなるまで」(チェイシン・ワイルド・ホーセズ)、「今朝目覚めたら、口の中に小石がつまっていた。お前は言う、それは俺がお前についた嘘の数だと、それは俺がお前についた嘘の数だと 〜中略〜 俺はハイウェイを歩く、陽光を浴び、舌の上に重みが増すのを感じながら」(ストーンズ)。以上、アルバム歌詞カードからの抜粋。ほとんどの歌詞が内向的。行き詰まり、ボロボロで、自分を見失いそうになっている主人公たちの絞り出すような独白が続く。

ドキュメンタリー・フィルムでは、各曲の演奏前にスプリングスティーンが簡単な解説のようなものをする。そのなかでも、「自分の人生は破滅的な性格との闘いだった」「現代社会で病まない人間はいない」「結婚生活はいつだってどうなるかは分からない」など、いやースプリングスティーン大丈夫か?と心配してしまうほどの笑、自身についての赤裸々で重い言葉が出てくる。

だが、それら吐き出された絶望的で孤独な詩が、美しく豊かな色彩と明暗を持った件のポップ・サウンドに乗せて、スプリングスティーンによって歌われることで、なぜか聴き手の心は見事に浄化される。これはスプリングスティーンが言うように、ほんと音楽の魔術としか言いようがない。俺、70年代初期の南カリフォルニアの音楽なんてほとんど聴いたことないのだが、ああポップスっていいなあ歌っていいなあと、この映像観て心底思った。もちろん、大掛かりかつ細心のサウンド・プロデュースへの驚きと感動もそこにはある。

長文になりすぎたので、後はぜひ観てくださいというしかない。でもあと1点だけ。残念ながら、このドキュメンタリー、語りの部分の日本語字幕はあるのだが、歌っているときは日本語字幕が一切出てこない。ブルーレイ商品のなかに歌詞カードも入ってない。なので、英語分からない方はアルバムの方の「ウェスタン・スターズ」日本盤を手に入れて、その歌詞カードを見ながら観てください。これは本気のアドバイスです!

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