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自己実現の難しさ

昨日、はじめてNissy(西島隆弘)のライブ映像を観た。
彼女に誘われるがままに観たものの、なぜか深く考えさせられる2時間半となった。

普通ではない楽しみ方をしてしまった自覚はあるが、もやもやしたものは仕方ない。ここでいったん吐き出してみることにする。



『アーティスト』とは

自分が好きなアーティストとして、まず名前が挙がるのはRADWIMPSの野田洋次郎である。

中学生の頃、同じ生徒会で活動していた同級生に薦められて聞いたのをきっかけに、かれこれ7年か8年近く聴き続け、ほとんどの曲を口ずさむことができる。

冒頭にあげたNissyも、昔から知ってはいたし、『トリコ』など、歌詞を覚えている曲もいくつかある。

だが彼らにとって、音楽は表現の手段の1つに過ぎない。
また彼らは時に音楽家であり、時にドラマ俳優であり、時に作詞作曲家である。


『アーティスト』と簡単に表現してしまったが、そもそもアーティストとはなんなのか。

artistは英単語で、art(芸術)に『~する人』がくっついた単語で、『芸術家』の意味になる。

さすがにこれは知っていた、というか、一応は受験勉強を経た大学生なのだから予想がついた。

ではartとは何か。
語源はラテン語であり、『ars』が変化したものだという。

ではarsとは何か。
ラテン語では、技術、資格、才能など幅広い意味をもつもので、さらに『技術』には『人の手を施すこと全般』が含まれるため、医術、建築工学、学問までもが含まれる。

すこし脱線しすぎたが、詰まるところ、『アーティスト』とは、『何らかの技術をもち、それを突き詰め、職業、生業とする人』という意味になるらしい。

そう考えると確かに彼らは『アーティスト』だと実感させられる。

昨晩観たNissyは、数百人のメンバーを束ねる総合プロデュースを担当し、1つのライブを完成させていた。
もちろんその前には、ライブで披露する自身の楽曲の作詞作曲もしている。

その結果として、何万、何十万の人々に幸せを届けていた。

創っているものは決して目に見えるものばかりではないが、間違いなく『アーティスト』だろう。



なぜ、『アーティスト』活動をするのか

ライブも終盤に差し掛かり、残り数曲となったところで、シンプルな問いに辿り着いた。

それが上述の『なぜ~』である。

アーティスト活動は、生きるために必ずしも必要なわけではないし、Nissyや洋次郎の場合は、もう活動せずとも食べていけるだけの余裕はあるだろう。

それなのになぜ、彼らは活動するのか。

確かに彼らが活動をやめれば、嵐が活動を休止したときのように、多くの人が悲しんだり、何かを失った気持ちになるかもしれない。

だが極論を言ってしまえば、それは彼ら自身の人生においては、直接的に影響を及ぼすものではないのではないだろうか。

ではなぜ活動するのか。

悶々と考えた結果、彼らにとって、アーティスト活動が『自己実現』と同義であるからではないか、という仮説が浮かんできた。

もっと言えば、彼らにとって、活動そのものが、自身の幸せや、ありたい姿の実現に繋がると感じているからだろう。

悩むほどではなかったかもしれない。
なぜなら自分にとっての『Catalyst』も、単なる自己実現、そのための実験の場に過ぎないのだから。

だが、『自己実現』と言っても、それは決して簡単なことではない。
まだまだ駆け出しのひよっこではあるが、一応『自己実現』に挑戦しているからこそわかるものもある。



『自己実現の足枷』

自己実現の目的はさまざまだが、必ず根底には、『幸せになりたい』とか、『誰かを幸せにしたい』とかの想いがあるものだと思っている。

だがそこには、たくさんの障害があり、足枷となるものがある。

例えば、自分がNissyのような『ライブ』をひとつ手段として自己実現を果たそうとしたとき、サポートしてくれる数百人の仲間は見つからないだろうし彼らの生活を保障する経済力も、信用もない。

なにより、数万、数百万もの人を惹きつけることができる自信も力もない。
ましてや、『人を幸せにしよう』なんてのはもっと無理な話しだろう。

だが、現に、彼はやっている。

この『できるできない』の差は何なのか、答えはすぐに見つかった。


彼は妥協していないのである。


ライブの演出から撮影からライブ映像の編集まで、すべて自分の手で行う。
もちろんすべてを自分の手だけではできないから、信頼できる仲間に預けたりもするが、必ず、最後には彼自身が納得できるまで向き合い続ける。

その結果が、今のNissyなのだろう。


同時に、Nissyも洋次郎も、彼ら自身の自己実現の過程をとことん楽しんでいるようにも感じた。

もちろん、時には葛藤したり、うまくいかずに頭を抱えるときもある。

なぜなら、『自己実現』にゴールはないし、目指す方向や実現のための手段に対して、絶対的なYesは存在しない。
何より、そこまでの道のりは必ずしも平坦なものではない。

だがその道の究極の域に達した者、もしくはそこを目指してもがき続ける者を、人は『アーティスト』と呼び、知らず知らずのうちに惹きつけられるのだろう。

自分はどんな表現方法で、どんなアーティストになりたいのか。
どんな自分になりたくて、そのためにCatalystで何をするのか。


簡単ではないけれど、大学生という肩書きがあるうちに、少しでも具体的なものを見つけないと。



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・Profile・

後藤大地

山梨大学教育学部 3年、山梨生まれ山梨育ちの21歳
幼いころから教員にあこがれ、地元の山梨大学に進学するも、定年まで教員として働く自分がイメージが沸かず、漠然と別の生き方を模索し始める。認定NPO法人Teach For Japanでの活動や、地域の経営者の方々との交流から、自身が『地域』や『ライフデザイン』などに強く惹かれることに気づき、学生団体Catalystを立ち上げた。現在は山梨県の起業家・経営者などの支援を受けながら高校生・大学生向けの企画を多数開催している。

・Keyword・
地域、教育、ライフデザイン etc…

日々の気づきや学びは、Twitterにて発信中
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