見出し画像

『段差に注意』

こんにちはこんばんは、ごっちんです。

だんだんと朝晩の冷え込みが厳しくなり、山梨にも短い短い秋がやってきたことを感じさせられる毎日です。

今日はバス車内でふと考えたことを、つらつらと。



『段差に注意』

バスにはいくつもの段差がある。

その中でも特に通路上の段差によくあるのがが、タイトルの『段差に注意』という注意書き。

バスによっては頭上にもぶら下げてあったり、いたるところに貼ってあったりする。

優しい配慮だなぁ

そんなのんきなことを考えていたけど、ふと思った。

人生で、『段差あるよ!』と教えてくれる人ってあんまりいない…?



人生における『段差』とは

今回は、人生における『段差』を、『つまづき』と定義してみる。

そうすると、意外とたくさんありそう。

とか思って書き始めたnoteなのに、あんまり段差が思い浮かばない。

本末転倒だ。

ここで『なぜ思い浮かばないのか』を考えてみる。

そうしたらシンプルな答えが出た。

自分が『段差』と認知しているものは『つまづき』にはならない

もう少しわかりやすく言うと、『あ、ここに段差あるな』、そう思っている段差に『つまづく』人はいないし、仮に登れないものならわざわざ突っ込まずに避けようとするものである。

だから、今、書きながら思い浮かぶ『段差』はつまづくものではないし、避けようとするから、自分の人生上の『つまづき』にはならない。


その一方で、他者がつまづきそうになっている瞬間には、なぜかよく気付き、自分がつまづきそうになっている瞬間には、なぜかよく、誰かが制止してくれる。

時にはその段差に気づいていながらチャレンジするときもあるし、怖気づいてやめてしまうときもある。

だけど、その時には必ず誰かがそばにいて、何らかのアドバイスや支えをくれる。

だからチャレンジできるし、やめたことを後悔して終わりではなく、代替策を含めた『その後』を考えることができる。



『やりたい!』…?

ここまでをより具体的に、自分自身に落とし込んでみると、自分の『やりたい!』の本質が詰まっているような気がする。

必ず、誰もがつまづき、転びそうになることはある。
ときには思いっきり転び、ケガをすることもあるかもしれない。

でも、自分が横に並んだ、ほぼ同じ位置からではなく、ちょっと離れた視点から見守り、支えることで、その人の前にある段差を避けられるようにサポートできたり、その段差そのものを小さくすることができるかもしれない。

もっと言えば、自分に力があれば、スロープのように、段差をなくすことすらできるかもしれない。

ずっと考えている、『誰かの想いの言語化、その実現に伴走する』という『やりたい!』は、どこか表現に違和感がある。

『伴走』では、隣を走ることになり、ほぼ同じ位置からの視点で支えることになってしまう。

それよりも、その人にはできない見方として、寄せたり引いたり俯瞰したりする役を引き受ける方がしっくりくる。

そうしないと、その人がつまづきそうな段差には気づけないし、横を走っていたら、スロープの役目をしようとしても間に合わないかもしれない。

もちろんすべての障害がない、フラットな道がベストだとは思わないし、ときにはつまづきも大切だと思う。

でもつまづきに気づいてあげたり、フォローできる余裕がなければ、その人のチャレンジや失敗を支えてあげることはできない。

自分は、そういう意味で『支えられる人』になりたいのかもしれない。



秋の夜に長々と…

全く予想だにしないオチになってばかりの最近のnoteですが、なんだかんだ言いつつ、自分を振り返る良い時間になっているのでOK。

実は来週から、プチ企画として、『自己分析会』を開催する運びとなりました。

詳細はまた別のnoteで書こうかと思いますが、楽しみな秋になりそうです。


長くなりましたが、今回はこのあたりで。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?