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01_芦川町を訪ねて

記念すべき1か所目は笛吹市芦川町。
単日の強行訪問だったにもかかわらず、幸せな出逢いでいっぱいでした。
その幸せをちょっとだけおすそわけ。

00_芦川町とは

人口は169世帯297人(令和4年1月現在)、面積は37.15平方キロメートル。2006年8月1日、平成の大合併により笛吹市に編入合併された。甲府市と富士山に挟まれた御坂山地に位置する山村集落で、合併前は県内1人口が少ない自治体だった。
町内には藤川の支流である芦川が流れ、どこを歩いていても川のせせらぎと鳥のさえずりが聞こえる。第二次世界大戦前後には都会からの疎開者や復員兵によって人口がそうかした時期もあったが、集団就職などによって都市部への流出が加速し、人口は大きく減少。合併当時は500人近かった人口も、今では300人を切っている。
中世には甲斐と駿河を結ぶ主要古道「若彦路(わかひこじ)」として栄えた。戦国期に武田氏によって中道往還に伝馬制度が布かれたため、その重要度は低下していった。
2010年には富士河口湖町大石と芦川をつなぐ若彦トンネルが開通し、郡内地方(富士河口湖町、富士吉田市など)へのアクセスが向上した。



01_おごっそうや

最初に訪れたのは芦川の農産物直売所「おごっそうや」。
ここで、大学のゼミ関連で芦川でフィールドワークをしている大学2年生と合流。

やっぱ旅は食べ物から。笑
「おごっそう」は甲州弁で「御馳走」を意味し、店内には芦川名産のこんにゃくやちぢみほうれんそう、わさびなどが所狭しと並んでいた。そのほかにも手作りコロッケ「にんじゃくん」や草餅、つけもの、干し大根などが並んでいた。
10:30に着いたにもかかわらず、売り切れの商品も多々あるほど大人気。



02_藤原邸

藤原邸 外観

藤原邸は、古くからのかやぶき屋根が残る、昔ながらの古民家。
2011年の古民家再生推進事業によって改修され、土間や囲炉裏、水車などの古き良き日本家屋の面影を残していた。

おごっそうやから15分ほどの場所にあるとのことで、雲一つない快晴のなか歩いて向かうことに。国道から一本裏へ入れば、そこには非常にゆったりとした時間が流れており、道中では、冬に道端でしたどんど焼きの跡や、数世帯分がまとめて放り込まれる共用の新聞ポストなどを見かけた。核家族化とか、近所・自治会関係の希薄化なんてどこ吹く風で、互いに助け合い、ともに暮らしている様子が伝わってきた。

とても90代には見えないおばちゃん

藤原邸に着くとふたりのおばあちゃんが出迎えてくれた。
20歳の時に産んだ息子さんが70歳越えと教えてくれたから、推定年齢は95歳…!
でも屋根裏へ上がる急勾配の階段をするすると降り、ふたりでキャッキャしながら(?)お茶を汲んでくださるほど元気。

途中から芦川出身の男性や芦川を見に来た謎の画家さんも加わり、8人のお茶会がはじまった。

朝に飲む朝茶は縁起がいいだ。1杯じゃなくて、2杯でも3杯でも飲んでいきなさい。2杯3杯と飲むうちに心が落ち着いて、焦ることなく、ゆったりと出かけることができる。バタバタ出て事故でもしたら困るでしょ。

芦川出身のおじさん

県外から帰ってきていたおじさんが教えてくれた。
だから芦川では、お茶1杯で立つのは失礼にあたるらしい。

藤原邸 囲炉裏と障子

また、ふとした流れのなかから、おばあちゃんに芦川の楽しみを聞いた。

芦川では、毎年8月14日にお祭りをやるんだという。その日は人口の倍以上の人が村の内外から集まり、国道は路上駐車の車でいっぱいになるという。
夜には花火が上がり、ひとつ打っては装填のまったりタイムがあって、またひとつ。30分もすれば休憩タイムとなり、おごっそうやでうちわに書いた数字を掲げてビンゴ大会をして。そのうちまた花火の音が聞こえてみんなで外へ出て。

そんな幸せが集まるお祭りも、コロナのせいで2年もやっていないという。
たしかに、地元富士吉田市の火祭りも昨年開催はされたものの、まだコロナ禍前のようには戻っていない。

毎年8月26日の晩に市民の何倍もの人が訪れ、熱い松明を見上げながら数歩歩けば知り合いに会う。
たった1つの、小さな地域のお祭りかもしれないけれど、その地域、住民にとってはかけがえのない時間だったりする。その日だけは必ず帰ってくる人、その日なら偶然会える人たち。そんな幸せが、あちらこちらで消えて早3年か、そう思いながら、自分自身もそんな経験も3年近くしていないことにふと気づかされ、どこかさみしさを抱いたりもした。

突然訪れてもおかまいなしにあたたかく迎えてくれる幸せ



03_すずらん群生地

お昼ご飯は地元で有名な食堂「沢妻邸」へ。

蕎麦やら炊き込みご飯やらイワナやらをたらふく食べてエネルギーをチャージしたら、日本有数の日本すずらんの群生地へ。

毎年5月下中から6月上旬まですずらんまつりが開催されている

にほんずずらんは、実は山梨県の自然記念物に指定されているとか。
この群生地では天然の白樺林や山野草とともにすずらんを見ることができた。一周20分ほどの遊歩道を歩きながら、白樺の間を抜ける光芒や風に揺れる草木を眺める時間は非常に心落ち着く時間だった。



04_オートキャンプすずらん

最後に訪れたのはオートキャンプすずらん。
オートキャンプすずらんをはじめ、芦川で観光業や飲食業など8つもの事業を手掛ける男性にお話を聞かせていただいた。

普段は軽トラ1題で芦川を走り回り、なにもない日には昼にビールを1っ本楽しんでお昼寝してから午後の仕事へ行く。
そんな多忙な方と1時間以上お話しさせていただいたなかでもっとも印象に残ったお話しをひとつ。

キャンプ場横を流れる芦川

なぜ、たくさんの事業を手掛けるのか、手掛けているモノに共通する『想い』はあるのか。そう尋ねたときのこと。

共通する『何か』は分からないけど、大切にしている想いはある。それは、『芦川のために』というシンプルなモノ。今日1日芦川を見てもらった通り、過疎化や高齢化が進んでいる。その上にコロナも来て。でもたった300人しかいない集落だから、力がない。どうしても行政に声が届かなくなってしまう。
じゃあどうするか。君たちのような、外からくる人たちを巻き込むんだよ。携帯電話の電波が入らない、道路がガタガタにあれていて走りにくい。県内外の観光客の声も拾いながら「不便だ!なんとかしよう!」と声をあげれば、変わる。実際、携帯電話の基地局も建ったし、狭い道路の拡張もしてもらえた。小さくて、人が少なくて、貧乏でお金がなくて、力がないからこそ、(市町村や県全体から見て)端っこの方は「追いやられ、ないがしろにされていく。選挙だって、多くの人に刺さる公約を掲げようとすれば、自然と田舎よりも都市部が重視され、若者よりも年寄りが重視される。それは現実。選挙で議席を得ることを考えたら。端っこは見放されていく。
だから僕らは、集まって暮らしている。

芦川で事業を営む男性

来てくれる人に楽しんでもらうことはもちろんなんだけど、それは男性が目指している世界の本質ではなかった。その先にある、芦川での暮らしや、未来を見ていた。それはこのお話し以外からもちょこちょこ垣間見えた。

さらに、男性は最後にこうも言っていた。

どうせ死ぬ。自分もなんぼやってもあと10年。それ以降はただ踏ん張るだけ、事業をやる体力も気力もなくなる。だからこの10年のうちに、やりたいことは全部やる。君たちも、やりたいことはとことんやりなさい。

芦川で事業を営む男性

そう伝えてくれた男性は、芦川のために今日も軽トラで芦川を走り回っている。



05_芦川を訪ねて

今回芦川を訪ねたきっかけは、偶然見かけたすずらん祭りのポスターだった。『すずらんって見たことないな、見てみるか。ついでに地域の人にも会いに行こう』、そんな軽いスタートだったのに、甲府まで帰ってくると、おなか一杯の自分がいた。まさかこんなに心揺さぶられ、考えさせられる1日になるとは思ってもいなかった。

お会いする方はみな気さくで、話しはじめれば止まらない。
お茶が空けば注がれて、5杯も6杯も飲んでおなかタプタプで。
キャンプ場のお話しをうかがっていたはずが、気づいたら「漢の在り方」のお話しになっていて。
でも、ゆったりとした時間のなかだからこそ味わえる感情や感覚もたくさんあった。「味わう」余裕もなく過ぎ去る日々に疲れたときに踊りたい場所が増えた、幸せな1日だった。

すずらんまつりのそばでお野菜を売っていた 超フレンドリーおばちゃん

限界集落(人口の50%以上を65歳以上の高齢者が占め、過疎化・高齢化が進展していく中で、経済的・社会的な共同生活の維持が難しくなり、社会単位としての存続が危ぶまれている集落)まではいかなくても、高齢者の割合が増え、新たな産業が興らず衰退の一途を辿っていく集落は山梨でも少なくないはず。でもそんななかでも、想いをもって毎日を生き、互いを支え合いながら暮らしている方々がたくさんいる。その地域らしさや魅力を探しながら、またその地で生きる人々との出逢いを楽しんでいきたい。

さて次はどこへ行こうかな。




-参考-

◆自己紹介


◆マガジン「やまなしめぐり」


◆山梨県笛吹市行政区別人口統計表(令和4年1月末現在)


◆ASIGAWA LIFEー芦川暮らしのガイド


◆ふえふき観光ナビ


◆やまなし観光推進機構


◆オートキャンプすずらん


◆『郷土歴史大辞典 山梨県の地名』磯貝正義監修 平凡社(書籍)

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