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地域貢献で得られるもの

マンションの七夕まつり

 
マンションの七夕祭りをお手伝いしてきました。
マンションの、といいましても、ご近所、小学校一学区くらいの範囲から人が集まりますので、地域のお祭りといってもいいくらいの規模です。
 スタッフもマンションだけでなく、同じ学区のパパ友さん、ママ友さんたちも参加されています。

 このマンションを購入し、移り住んでから20年ほど経ちますが、お恥ずかしながら、お手伝いするのが初めてだったんです。
今まで仕事だの、子供の塾だの言って参加していませんでしたから、いい機会かなと思い、参加することにしました。

地域の方々



 パパ友さん、ママ友さんから、
「後藤さんお久しぶりです」「こんにちは」
など、声をかけていただきまして、簡単な会話をするのですが、
その時の私は、○○君、○○ちゃんのパパでありまして、コーチでもなければ、マネージャーでもないんですよね。
 会話の内容自体は、ほんとに大したことなくて、社交辞令といってもいいくらいなんですけど、少し距離が縮まったような気がして心地よいです。
 また、近所にいながら初めて会うような人、顔は知っているけど、話したことない人とも挨拶をかわしました。

地域のコミュニケーション


 それがどういうことかというと、なんの評価も判断もされずに、ただ私として認めてもらっているということです。
 もちろんそんなこと誰も説明しませんが、肌で感じられます。
 普段、評価される環境に居続けており、あまりにもそれに慣れすぎています。
 しかし、地域の一人として、他の肩書を外してコミュニティに参加しますと、挨拶をする、会話を交わす。それだけで居場所を作ってもらえます。

 私は子供の頃から、親の転勤、大人になったら自分の転勤、と引っ越しばかりで、ふるさとを持っていないと感じています。
 もしかして、ふるさと持つってこういう感覚かな、とちょっと思いました。何者でもない自分を受け入れてくれる場所です。
 とある先輩が「年をとったら地域だよ」と最近つぶやいていました。
会社や仕事の役割を外した時、自分が生きるコミュニティは地域です。

地域のコミュニケーションで得られたもの

 
 今回、お手伝いに参加して、すごく自己肯定感が高まりました。
 仕事が順調でないと、自分自身の価値が下がるように感じてしまいますが、ここでは自分の人柄を見てくれます。
 なんの成果がなくても、なんの結果をだしていなくても、私を見てくれます。私はワタシのままでいいんですよ、と言われているように感じ、肩の荷を降ろしたような安心感を感じました。 

 今後少しずつ、地域にも参加していきたいと思いました。

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