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私にとって、本質的で「答えることのできない問い」


私にとって、本質的で「答えることのできない問い」は
「生きる目的は何か」である。

「目的」という言葉について、真剣に考えざるを得なくなったのは、会社勤めをしていた時である。ある企画を上層部にプレゼンした際最初に議論になるのは、その目的だからである。その目的が、会社の上位の目的に整合しているかが問われ、その目的を達成するためには何が必要かが次に審議される。この経験から、広く人生においても目的を持たないものには意味がないと考えていた。

しかし、この目的至上主義を揺るがせたのは高齢になった母親である。母は60歳になってから急変した。昨日まで家事をてきぱきこなしていたのに、何もできなくなったのである。その状態が35年間続いている。

今、母はテレビを見ている。朝起きてから寝るまでずっと見ている。はたして母の「生きる目的」はなんだろうか。社会に何か貢献しているのか。答えは否である。では母はもう生きている資格はないのだろうか。これも否である。

私の「生きる目的」は臨終前に「我が人生楽しかった」と言えることである。しかし母は無言で話しかける。「理屈っぽい息子よ、目的を考えるのもよい。しかし、その目的を達成するために必要な気力、体力はやがて衰える。その時にどう生きるか考えておきなさい」。

大相撲中継を無邪気にテレビで観戦している母はそう教えてくれているような気がする。

以上

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