文章組手第14回「誕生日」2000字

 私の誕生日は10月3日。令和元年で38歳になった。

 誕生日に胸踊らなくなったのは31歳の時だ。声優を辞めようと考えていたその年、誕生日が来る時に答えを出そうとしていた。その年は9月から胸騒ぎがしていたのを覚えている。

 誕生日の思い出は油の香ばしい香りだ。私の世代では幼い時はクラスメイトと一緒にマクドナルドや自宅で祝うのが流行していた。
 肉や芋が揚がる香ばしい匂いや、耳を飛び越えて味覚を刺激する油が撥ねる音が喜びを一層引き立てる。集まった友人と「今年一年はどう頑張るか?」の話をしている時も楽しい。ポジティブな話題、前向きな未来が溢れ、クライマックスでは甘くイチゴが乗ったケーキが登場する。もちろん自分の名前が入ったホワイトチョコは独り占めだ。

 誕生日は人生の残り時間が減ることを認識する場でもある。残り時間が減ると人間は焦燥感を感じ、普段はやらないミスなども起こしてしまう。幼い時にそれを感じないのは「時間が減る」よりも「経験を重ねる」にベクトルが向いているからだろう。

 希望満ち溢れる未来を見ていた目線が不意に変わる。終着が手招きする方向に。

 私の場合はそれが31歳の時だった。新卒で仕事をしていた場合は役職につくこともあっただろうし、Facebookを見ると結婚や出産などのイベントが多い。部下や子どもたちにバトンを渡すことができる人間は、人生を「託す」という新たな目標も生まれ、人生の登場人物が増えていく。

 そんな中で私は人生の中で設定した劇場から退出することを考えていた。今から普通の生活をして仕事をして働いて、残りは40年ほど。矢のように過ぎてきた人生にたった9年をプラスすれば死んでもおかしくない年齢だ。「何をやりたい」が「何ができるのか」に変化した時、一日が過ぎていくのが怖くなった。

 結果として声優であることだけでなく、一切の表現を辞めて行きていこうと決めた。18歳から31歳までの間「普通の人がやりたいことをできない間にやりたいことをやった」と考え、そこから先、少なくとも芸能をやっていた13年は懲役と考えることにした。
 そう決めると過ぎていく毎日が心を通り抜けていく風のように質量を無くした。

 しかし、愚かな頭というものは中々に治らない。文章組手を読んでいただけているのならばご存知かと思うが、また表現の道に手を出してしまった。今度は小説だ。倍率は高いし文章的な素養もない。専門的に学習したことも無ければ書き始めたのは34歳だ。当時は働いてはいるが正社員ではない。毎年焦燥感だけが大きくなっていく。

 インターネットの賞に出しては落ち、新作を書いてみては思い切り外し、自分自身の愚かさが人生のあらゆる所に楔を打ち込み、いつしか自我という大陸が崩れ去る恐怖を感じながら毎日を過ごしていた。
 Twitterをはじめてからは毎年フォロワー(家族)が祝ってくれるのもあり、あの頃の喜びに近い感覚も感じることもできていたが、不安は不安だ。パソコンの電源を落とし、携帯を充電器に繋いで暗い部屋で目を閉じると、現実が尾てい骨から這い上がり、喉から口に達し叫んでしまいそうになる。

 この焦燥感は前述した通り将来への不安だ。やれることが少なくなり、周りとは差が付き、世界に取り残されていく感覚だ。ずぶずぶと沈む泥に足元が沈み込んでいるのは見えていた。まだなんとかなる。助かると考えていたが、いつのまにか口元まで沈んでしまっていた。呼吸はあと何回できるのか?後何分生きられるのか?

 しかし、その思いとは相対するように物語が生まれてくる。これ以上ここに立ち止まるのは危険だと脳が信号を発しているのに物語を書きたくてパソコンの前に座ってしまう。

 この行動は表現を欲する欲求なのか。それとも現実からの逃避行動なのか。文章を作り、物語を練っている時だけは焦燥感を感じなくて済む。

 今年の誕生日は絶望の中で迎えた。公募に送った小説が落選したからだ。人前では落ち込んだ所を見せていないが瞼や唇の端がヒクヒクするレベルのダメージを受けた。しかし、あることに気が付いた。口元まで迫っていた汚泥の気配が消えていた。荒い呼吸ではあるが、新鮮な空気を取り込むことができ、体も割と自由に動いていた。

 逃避諦め絶望無謀。多分、全てが油のように体を包み込み、現実という名の沼との間に膜ができた。そして現実は私を異分子と見なして嵐吹きすさぶ地上に吐き出したのか。

 冷静になって見る世界は割と余裕だと感じた。生きていくだけなら、幸せを求めずに生きていくだけなら世界は厳しくはない。拳を振り上げ襲いかかってこない。ただ、私を認識しないだけだ。

 今年の誕生日、私は残り時間ではなく「次の小説賞はどれを狙うか」を考えていた。自分で言うのも格好が付かないが正気の沙汰ではない。夢見がちで20歳そこそこの青年の考えだ。そんな考えを38歳の人間が持ってしまった。確実に逃避だ。

 次の誕生日をどんな気持ちで迎えているのか。逃避を続けているのか。現実に捕まっているのか。それとも逃げ切っているのか。

 不惑は目の前だ。その時までに、迷いは消えていて欲しいと願う。逃げ足の速度を上げながら。

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