期待を押し付けない身軽さ
見返りを期待して贈り物をするのは人間関係や気持ちを重くする。
見返りを求める。
それは相手に対してもだけど
自分に対してやってしまうこともある。
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先日「プロ奢ラレヤー」という人に曲を奢る機会があった。
その名の通り全てを奢られながら生きている人だ。
スルーされること前提で曲を書いたけど反応してもらった。
実はその後少しDMでやり取りをしたのだけど今はストップしている。
忘れていたり飽きたのかもしれない。
でもぜんぜん悪い気はしていない。
それはきっと彼がそういう人だ(と思って僕は関わった)からだ。
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「落ち込むのは期待しすぎているから。」
そういう考え方は少し前から耳にしていたけどこの件で体験、体感として「期待しすぎないこと」に触れられて一気に身体の中に入ってきた。
「期待をしすぎること」は「 押し付けること」と同義なのだと思った。
それから僕の中によく出てくる言葉が増えた。
「勝手に」という言葉である。
自分がやることなすこと全部「勝手に」やっていると思えば
もし反応がなくても必要以上に落ち込まないのだ。
見返りが前提じゃないから。
もし反応が返ってきたら御の字、感謝、うれしい。
そのぐらいの気持ちでいる方が自分も楽だし
相手もプレッシャーにならないから逆に返してくれたりする。
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こんなにがんばったのに。
ここまでしてあげたのに。
あの時こうしてあげたのに。
そう思ってしまうときは危険だ。
プレゼントの箱の中に自分を肯定する心の一部を詰めてしまっているのだ。
だからプレゼントを返してくれないと心に穴が空きっぱなしになってしまう。
自分が勝手にやっただけなのに相手を恨んでしまうと
相手は「え?別に頼んでないじゃん!」となる。
それにも自然と感謝できる人もいるし、できない人もいる。
ここでやってもらったんだから感謝する「べき」と思ったら
その時点でそれは押し付けなのだ。
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チャレンジをするとつい見返りがほしくなる。
うまくいかなければ いかないほど その力は大きくなってくる。
僕はそのスパイラルでいろんなものを失ってきた。
そもそもが「勝手にやってる」という概念が抜け落ちていたからだ。
だけどこの考え方を知って、体験ができて
今少しずつ身につこうとしている。
そもそもが僕が勝手にやっているだけ。
そう思えるようになってきた。
それをどんな時にでもできる人もいるだろうけど、僕がそう思うためには「本気でやりたいと思えること以外やらない生き方」が一番の近道だった。
僕がやりたくないことをやるのは、その場では空気を読んでなかったり駄々をこねてるように見える(実際こねてる)のだけども、結果として1番自分にも相手にもプレッシャーを与えずにいられる方法なのだ。
期待を押し付けるのをやめて身軽になれば
今よりもちょっと遠くへ飛べる。
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