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教員として20年、最後の実習を終えた直後に思ったことの記録

この記事は令和5年12月某日、教員生活最後の実習を終えた直後に書いたものです。

(以下本文)
もしかすると、今日が生涯で最後の授業だったのかもしれないな。

実習助手として学生と対峙していた20年前。
予め予定していた製パン講師の都合が悪くなり、急遽代役として教壇に立つことになった。
自分の担任クラスの実習授業で全て助手を担当したこともあり、「今、この学生たちに何を教授すべきか」を常に考えていました。
そんな折りに、急に舞い込んだ出来事であった。

シラバスにライ麦を扱う製品が全くなかったことから「パン・オ・セーグル」、またレーズンの扱い方や特性が分かっていないことから「レーズンブレッド」を題材に選んだ。
普段助手をする私にとり、たった一度しかないチャンスだったこともあり、私のこの授業に対する思い入れは相当あったし、1秒たりとも無駄にしないという気概だったと思う。

授業を終えた後、
「ごってぃ(私の愛称)、実はすごい先生なんね」
「これまでパンはあんまり興味なかったけど、私パン屋さんになろうかな」→実際になった
という学生たちの言葉は本当によく心に焼き付いている。
思えばあの時のあの授業と学生たちの言葉たちが、この20年間の教員生活に対するモチベーションだったのかもしれない。

改めて振り返ってみると実習では様々なことがあった。
ひと昔前は血の気が多い学生もまだまだたくさんいたので、授業中に胸ぐらをつかみ合うこともあったし、ミキサーのフックが突然折れて、大量の生地を手で仕込むこともあった。

四日市校と名古屋校で、使ってきた実習室は合計9部屋ありますが、どの実習室にも深い思い出があり、思い返すだけでいろんなことが走馬灯のように流れていく(ん?走馬灯?)

これまで関わった学生や生徒は何人いるのか、ちょっと分からないくらいたくさんいますが、その教え子たちに何か生きる糧みたいなものを残せていれば、20年間やってきた甲斐があるのですが。
機会があれば、一度卒業生たちに聞いてみたいものです。

今日、授業の最後に学生に向けて話したことは特に用意していたわけではありませんでしたが(というより、実際に授業が終わるまで「最後の授業」だという感覚がありませんでした)、
最後話したことは
「仕事や人生を楽しくするのは他人ではなく自分自身。人のせいにしたりするのは、人間として甘えがあるから仕方がないがそれに気づけるかどうかで、人生の中で見える景色は全く違う」
ということと、
「生きる力、生き抜く力を身に付ける」
ということでした。

私がこれまで見てきた先生方は、学生に向けて話すことに割と一貫性があります。ある人は「掃除」に拘りをもち、ある人は「コミュニケーション」に拘り話をします。これらは、自分自身がそのことで苦労したり、こっぴどく叱られたりした経験からそうさせていることが多いと思う。

そう考えると、今の私はもしかしたら自分の人生に花を添えて力強く生きていきたいと考えているのかもしれません。

いずれにせよ、20年間教壇に立ち技術、知識、生き方、モチベーションの保ち方、目標を持つことの意義、仕事の楽しさ、、、いろんな話をしてきた私の授業は、今日で一旦おしまいです。

先生という職業は、若者たちの人生に何か成長のきっかけを提供できる素晴らしい仕事だったと思います。
元々は教員を人生の終の生業にするつもりでしたので、今でも何だか不思議な気持ちがしますし、妙な感覚ですが、これまでやってきて本当に良かったと思っています。
最後の授業を終え、感慨深くひっそりと感傷に浸っていますが、今のその気持ち記録としてここに記し残しておこうと思います。

(本文ここまで)

気持ちのまま書き綴っているので、取り留めのない文脈になってしまいましたが、そのときの私の直な気持ちとして、修正せずこのまま残しておこうと思います。

20年間で関わってくれた卒業生や学生たち、本当にありがとう。
いつかまたみんなの前に立っても恥ずかしくないよう、これからも私は走り続ますね。

ではでは。

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