歳を重ねるにつれ自分を偽ってしまう
ありのまま自然な姿を表に出すのは
酷く怖くて難しいのだと思う
歳を重ねるにつれ難しいなと思う
「自分のありのままで関わる」ということに
素の自分を否定されてしまったら
もうそこに「自分が自然に関われる場」はなくなってしまう
何より、自分の自尊心が傷ついて自信を持てなくなるだろう
「自分ってダメなんだ」とね。
だから自分を変えて、偽りのまま関わることになる
スキップとローファーというマンガで
「あなたは周りの評価が気にならないぐらい、周りに愛されてきたんだね」
というセリフがある
これだと思った (言語化能力高すぎ)
子供の頃に「自分を否定されて育ったか否か」が大きい
否定されて育つと
「自分はダメだ。周りに好かれる自分でいないと。」
って意識が強くなって、評価値で生きざる負えない
反対に
「あなたが凄くても周りに劣っていても、あなたで良いんだよ」
と育てられたら、周りの評価関係なく自分らしさを持てるだろう
前者だと
気を遣って嫌われないように振る舞って
そしていつしかそれが「普通」になってしまう
嫌われないからね
でも、やっぱりそれは上手くいかなくて
自分を偽って成り立った人間関係ってのは
その関係自体も偽りになってしまうんだよ
きっと卒業とか距離が離れた時、ほっとしてしまう
もう関わらなくて良いんだってね
ただそれでは、信頼できる人や親しい人はできなくて、結果1人になってしまう
ダメではないけど、損というか、それはとても勿体無い気がする
だから少し勇気がいるけど、人前ではできるだけありのままで関わりたいな
もしそれで嫌われたら、それはそれでいいじゃないか
遅かれ早かれ、その人はいなくなるんだから
自分の経験上ありのままをやるコツは
「否定されようがなんだろうが、貫く」
だと思う
最初は否定されようがウザいと思われようが、続けていれば
「この人はこういう人だ」とカテゴライズされる
そうなったらこっちのもんだ
僕は周りから「人との距離感が近い、ずけずけと入り込んで来る」と言われる
自分で言うのもなんだが、悪意はなく失礼なこともいってしまう
最初に、嫌なやつ、ウザいと思われることも少なくはない
けど案外そういう人に限って、その後も仲良いから面白い
嫌いって思ってくれた人は、興味を持ってくれたってことだろう
ただ「こいつ悪意はないんだ」と分かると、素で関わってるって分かって仲良くしてくれる
相手も「仕方ない。こういう人なんだ。」と割り切るんだろうね
嫌われたって感じた経験は思い当たらない
(嫌われても仕方ないし、あまり相手のことを考えてはないのかもしれない。
ってか、相手のこと考えてたら失礼と捉えられる発言はしないか笑
振り返ると相手のこと考えてないって評価値で生きてないから、自分は無意識に周りに愛されてるのかもしれない。)
こいつは素直に発言するやつと印象を持たれるのが大事なんだ
そうすると「それでも良いよ」って人が寄ってくる
こっちも楽に関われるし、相手もそうだと思う
良い循環が生まれる
千鳥の大吾が不倫しても批判が少ないように
自分を貫いてキャラができると良くも悪くも楽なんだ
大吾に寄っていって抱かれて悲しんでも
「いやそういう人でしょ。あなたが悪い。」となるかもしれない
※大吾さんは実はそういう人ではないかもしれません。偏見。
ただね、大人になると難しいんだよね
自分の性格上、ずけずけと入り込んでいくのは社会人的に難しいんだよな
コンプラだの何だの、会社では素性を話したくない人だの
そういうのは疲れるから割と黙ってる
そして聞かれるのもだるいから意外と楽だったりする
でも心が死んでいく気がするよ
そしてこれを大体の社会人が抱えていると思う
会話が難しい、きをつかう、上になればなる程疲れるだろうね
本当はみんな楽に話したいのにさ
節度はあるけど、ある程度は踏み込んで生きてたい
どう思われてもいいから飛び込んでみよう
ありのままでいこう
そして、それを受け入れてくれる方達に言いたい
ありがとう
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