見出し画像

俺はイワシ

ある番組を見て思った事を書きました。完全に独断と偏見です。ソースもありません。個人の感想です。



イワシと捕食者の攻防


ふとテレビを付けた。何か面白い番組がないかチャンネルを変えていたら、NHKで放送されていた自然系ドキュメンタリー番組に行き着いた。


内容は、海洋生態系について。その中でも目に留まったのは「イワシと捕食者の攻防」を捉えた映像であった。

舞台はオーストラリア、世界遺産にも登録されている「グレートバリアリーフ」。そこの砂浜に、波内際に集まるイワシの大群がありました。彼らは、波の跳ね返りで起こされる砂の中にある餌を食べにやってくる。
そんな彼らを食べようとやってくる捕食者が、アジです。アジはイワシの5~6倍くらいの大きさです。彼らもイワシほどでもないにしろ、群れでやってきて、イワシ達を食べにきます。
しかし、イワシ達は俊敏でアジの猛攻を華麗に捌いています。やはり、集団は強いと感じます。
しかし、そこに更なる刺客が現れます。サメです。
サメも、イワシを求めてやってきたのです。
イワシなんかよりそこに来たアジ食った方が良いだろ?と思っていたのですが、彼らは何とアジと徒党を組んでイワシを砂浜に追い込んで捕食しようとします。サメとアジがタッグを組んでイワシをフルボッコにする絵面、個人的に結構衝撃的でした。
サメは、自身の体ごと砂浜に打ち上げ、そのまま追いやったイワシを食べます。
間一髪、サメの追い込みから逃げ海に戻ったイワシ達は、波の外でラインを形成して待機しているアジに食べられます。
何なら、部外者のカモメまでどさくさに紛れてイワシを掻っ攫っていきます。
地獄絵図です。

そんな大自然の弱肉強食を描いた映像でした。


思った事

その映像を見て、自然界の偉大さとか、弱肉強食の世界でイワシが大変そうだなとか、そういう考えが過りそうですが、私はこう思いました。

「俺は、このイワシの一匹だな」と。

特別、深い洞察が得られたわけではないし、月並みな話ですが、そう思いました。

私達の生きる現代社会も、残念ながら強者と弱者が存在すると思います。弱者か強者という表現は過激なので私もあまり使いたくないですが、一番分かりやすい表現(というより、他に上手な表現が浮かばない)だと思ったのでそうしました。
人間の強弱をどの観点から判断するのかは議論の余地はありますが(肉体、精神、経済力、人間関係の構築etc…)。偏った思考であることをご理解ください。

社会には、上級、中級、下級の区分が不文律で存在する様な気がしています。
例えば

・上級:年収800万以上、妻子持ち、能力スキル多、教育レベルの高い環境、家族知人友人が十分に恵まれている。

・中級:年収500~800万のレンジにいる、能力スキル有り、教育レベルが一般程度、家族知人友人に恵まれている。

・下級:年収500万以下、能力スキル無し、教育レベルが低い環境or 学習に縁遠い生活、家族友人知人は少ないorいない

こんな風に分けたとする。

上級の人達は、その高い能力や恵まれた人脈であらゆるチャンスを掴む。人によっては企業や国を動かす何かしらの機会を与えられる可能性が高い。仕組み、ルール造りに参画する側の人間。

中級は、日本の収入のグラフで見た時、中央値からやや高めに位置している人々という感覚。組織を上から吊り上げて好き放題出来るような立場ではないが、ある程度世の中の自分の位置関係を理解し、上手く乗りこなしている人間だと思っている。

そして、下級の人達は、日本の収入グラフの中央値以下で、今生きることに精一杯で、割とその日暮らしになりがちな人の集まり。ルールに縛られていないと生活水準を保つ事が難しいという人間。

こんな風に分けると、さっきの魚たちの攻防と差して変わらないと感じました。

中級以上は基本捕食者です。イワシを捕食するタイミングを虎視眈々と狙っている。

イワシは群れで行動するのが唯一の生存戦略です。その群れの中からはぐれたイワシは、捕食者の格好の餌食。
人間だってそうです。どの階層の人も基本は群れで行動します。原始時代から残る人間の本能です。
ただ、もし仮に各種族が群れからはぐれたとしてどうでしょう。個体のみで生存出来る確率が高いのは捕食者側でしょう。
ある程度の力を持っている種は、一時的に群れから外れたとしても、新たな群れを見つけたり作るまで耐えうる個体の強さがあります。
その中で、イワシだけが唯一孤独への耐性が無い。群れからはぐれたら食われるかそのまま野垂れ死ます。

私が今、イワシだと思ったのは何ででしょうか?

・現在無職で働く自信もない
・スキルを身につける学習を挫折した事で自己肯定感が下がった
・地元から離れ見知った人が誰もいない土地で一人で生活している

多分こんなところだろうか?

退職前から考えると、実質離職期間が1年弱になっている事実があり、社会復帰が出来るのか不安だし、その期間を投げ打って学習したことを活かせず棒に振ったという気持ちは拭いきれず、パートナーとなる人の為に全ての社会インフラを振り切って全く縁もゆかりもない土地に一人でいるという状態。

まさに、群れからはぐれたイワシのようではないでしょうか?


ここまでの反省

タイトル回収が終わったので番外編。今回の文章を客観的に観察します。

実は、ここに記事を書こうと思った理由は3つあります。

①自分が考えた事をアウトプットする訓練をする
自身の考えや思いを表現する事で思考を整理し、学習した事であれば定着を狙う。インプットに合わせ、更に理解を深めるトレーニングが今の私には必要です。

②他者に適切に伝える為の文章表現を意識する
例え、自分の中で理解した気がする事柄があったとして、その内容を他人に伝える時、どんな言葉を使い、どんな表現で、どのような順序で発信するのが良いのかが分からない。おそらくこの部分で人生を損してきた事が多かったので、修正したい。

③表出した自身の思考に対して客観的に評価する
端的に言うと「頭が固い」。自分の意図に反して、根本にある思考があまりにも凝り固まっていて視野狭窄に陥っていることを感じる。他者からの強制力だけでは足りないと思うので、意識したい。

今日のTVの視聴感想に対して、自分なりの疑問を投げかける。その叩き台が真の役割です。

①の評価

この文章は他人が書いたものだと考えて一通り読んだ。言葉足らずながらも言語化して自分の心情を表している。とはいえ、初めの文章は、番組の内容を説明しているだけなので、自分の表現を生み出したかというとそうでもない。ただの記憶の転記なので。

②の評価

文章の構成としても、起承転結が比較的守られて順序立てて書いているので、読みづらくはない。ただ、中盤以降になってくると文書の精度が落ちてくる。特に、人間をランク付けする例は例えにしても解像度が低い。その後の説明に関しても「イワシの生存戦略」と謳っておきながら、エビデンスもなくつらつら書いているからイマイチ。例えとして分からない訳ではなく、表現の幅が広くないので主張が弱く感じる。
この書き方になったのは、おそらく「長文を書く持久力」がのが原因。書きたくて書いている筈なのに、疲れて面倒くさくなってしまったのかもしれない。頭の中から言葉や物語を捻り出すにも体力が必要ということだろうか。

③の評価

人間のランク付けという個人の思い込みが介在しているので、説明として適切かは怪しい。そもそも、イワシの一生を考えれば、TV映像の中で襲われているのはほんの一部分を切り取ったものなのかもしれない。多分そう。その一瞬を切り取り、自分の納得できない現実に当て嵌めるのは無理があるかもしれない。時間的な長さが違う(なんて表現したら良いんだろう?時間軸ではない。尺度の違い?)。イワシの一瞬を自分の一生に喩えた(しかも思い込み。ネガティブ感情全開)。
最早この記事が、ネガティブバイアスに支配されて周りの見えない状態そのものを表している気がする。
あんまり調べないで物事を思い込みでガツガツ書いていくのはよろしくないと思うので、今後は「調べた内容を前提に自分の考えを表現できるようにしたい。


最後に

独断と偏見って最初に書いたから全然無しではないけど。これから身に付けたい能力は、読書感想文ではなく小論文を書いて他人に適切に伝える力なので。
そしたら、この記事を叩き台として使おうという前提は割と間違ってましたね。プルプル。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?