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その「当たり前」は決して当たり前ではない。

皆さま、こんにちは。
エンジニア専門コーチのごとぅーです。
テレワーク推奨になってから早3週間になりました。
毎日オフィスに出社していた「当たり前」がだいぶ前のことに思えてくるのも、私だけではないと思います。
今回はエンジニア固有の話題ではありませんが、この「当たり前」という感覚とコミュニケーションについて考えたいと思います。

チームにおける「当たり前」という感覚

チームやプロジェクトで活動していると、よく役割を明確にされると思います。
そしてその与えられた役割から、自分の範囲と思っていないことに関しては、誰かが「当たり前」のようにやってくれるであろうと考えがちです。
そして、この思考に陥ると、誰かがやっているから「自分には関係ない」とも考えやすくなりますね。
この感覚の存在は常に認識しておいた方がいいかな、と考えます。

「当たり前」を当たり前にやることの難しさ

ちょっとエンジニアやチームの話題から離れます。
「当たり前」に思っている・思われていることって簡単に思われがちですが、実際そうでしょうか?
学生の頃を思い出してみるとわかりやすいかと思います。
最初のころは「無遅刻・無欠席で通学します!」なんて宣言したけど、実際やりきった人はほんの一握りではないでしょうか。
「無遅刻・無欠席」は当たり前に思えますが、全然当たり前ではないのです。
『自分にとって簡単だから「当たり前(にできるでしょ)」と安易に考えてしまう感覚』を自覚することが大切です。

その「当たり前」は本当に目の前の人にとっても「当たり前」なのか?

そして、もう1つ、大切なことを書いておきます。
あなたが「当たり前」と思えることがあるとします。それは、なぜ「当たり前」なのでしょうか?
その答えが見つかったとして、目の前の人にあてはめられることなんでしょうか?
意外とあてはめられないことが多いと思います。
例えば「5分前精神」。
私の母校ではこう教わりました。なので、私にとっては比較的「当たり前」なことです。
しかし、ほかの学校ではそう教わるかというと、その限りではありません。いや、むしろ少ないと思います。
この場合、私にとって「当たり前」な「5分前精神」も、ほかの人からすると「当たり前」ではないんですね。
「当たり前」と考えなければ、なぜ「5分前精神」が必要なのか説明しなければ通じません。
つまり、誰にとっても納得できる説明が必要になり、その分、丁寧なコミュニケーションになります。
逆に「当たり前」と思っていると、自分の考える「当たり前」感覚を相手に押し付けてしまうことにもなりかねない、と意識しておいた方が良いと思います。

終わりに

ここまで書いてきた内容を、一言で自分なりにまとめるとこうなります。

自分にとっての「当たり前」は他人にとっての「当たり前」にあらず

よくある書き方をすると

自分の「当たり前」を疑え

とも言いますね。
極端に考えると、今メンバーとして仕事してくれている方々が、目の前で一緒に仕事していることだけでもある意味奇跡だと言えます。
その奇跡も踏まえて、開いてに感謝を伝えつつ、「当たり前」というある意味偏見に近いものを取り除いた丁寧なコミュニケーションを心がけるとよいと私自身考えます。
自分もできていないことが多々あるので、自戒の意味ももちろん込めて。

より円滑なストレスのないコミュニケーションができる可能性が高まるので、ぜひヒントとして念頭に置いていただけたら嬉しいです!!

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