「変えなければいけない」という固定概念
皆さま、こんにちは。
最近、Afterコロナ、Withコロナというように、コロナウィルス収束後の世界について議論されることが少しずつ増えてきたように思います。
よくある議論の観点
私自身は医者でもないし、経済学者でもないので、予測などできません。
ただその中でよく
・コロナウィルス収束後に変えなければいけないこと
・コロナウィルス収束後も変わらないこと
という2点の議論をよく聞く印象が強いです。
今一度観点を考えなおしてみる
ただ、そこに少し違和感を持ってしまうわけです。
ホントに議論する内容はこれだけで網羅できているのか?と。
ということで、考えられるパターンを書いてみます。
① 変えなければいけないこと
② 変えた方がいいこと
③ 変わらないこと
④ 変えない方がいいこと
⑤ 変えてはいけないこと
これで、網羅できました。
考え漏れてしまいがちな盲点
今回のコロナのように影響が大きければ大きい事態になるほど、
良く①とそれに対比されるされる形で③が取り上げられる気がします。
しかし、先に書いた通り、それ以外のパターンがあるわけです。
逆に
変えなければいけない、ということが先入観
ということがあり得るわけです。
そう、 変えない方がいいこともたくさんある、ということです。
例えば、今
オンライン教育を広めるべきだ
という論調があります。
これは教育の目的が勉強を教えることとすれば、そうかもしれません。
しかし、「集団生活の経験を積む場」と考えるとどうでしょう。
オンラインよりはオフラインの方が適しているかもしれません。
ここで言いたいのはどちらの結論が良い、ということではなく、
フラットにどちらがよいかを検討することが大切
ということです。
コロナウイルス渦だからって全部が全部「変えなければいえない」ということもないと思います!
故・野村克也監督の言葉
最後に、今年亡くなった野村監督の言葉を1個紹介して、今回の記事を終わりたいと思います。
固定概念は悪、先入観は罪
野村監督は
・選手の印象(固定概念)で決めつけない
・選手の見た目で判断しない
ように心していたそうです。
何事も決めつけることなく、冷静に物事を見つめ、判断していきたいものですね!
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