見出し画像

ドサクサ日記 1/16-22

16日。
上総鶴舞駅で某音源の収録。のんびりとした田園風景ではあるけれど、車の往来は決して少ないと言えない。都会よりは少ないが頻繁に車が走っていて、エンジンの音がマイクに乗ってしまわないか不安だった。帰りは小湊鉄道で五井駅まで帰った。ディーゼル車のモーター音は独特で面白い。ガタゴトと揺られているうちに眠くなってウトウトしてしまった。切符が見たこともないスタイルで素敵だった。

17日。
カズオ・イシグロの小説『私を離さないで』についてのインタビューを受けた。この小説は過去に唯一、読みながら泣いてしまった小説だ。人間の根源的な悲しみに触れた素晴らしい小説だと思う。どれだけ深く愛し合っても、私たちは誰かと一体になったりはできない。むしろその隔たりの前で動けなくなって、隔たったまま、この世を去っていく。だからこそ、一瞬の心の結びつきの美しさが際立つのかも。

18日。
無鉄砲な若さや未熟さの炸裂が、二度と達成できないようなブレイクスルーの源泉だった。しかし、今は今で、未来の自分から見ればいくらか若く、また未熟で、それがゆえの何らかの達成の目前にいる。老いは枯れることと同意ではなく、成熟である可能性を見せてくれる作家は多い。若さに執着すれば変化はネガティブなものだろう。しかし、変わっていくことが前提ならば、変化こそが前進だとも言える。

19日。
何度でも書くが、考えていること、主義や思想といった難しい事柄から洋服の趣味や味覚についてのセンスまで、何から何まで違う私たちに一瞬でも共通項を見せてくれるのが音楽の素晴らしいところだと思う。それはバンドメンバーだって同じこと。大嫌いな誰かと、同じメロディに感動することがある。一緒に踊ることができる。それは私たちが隔たったまま何かをシェアできるという可能性そのもの。

20日。
去年からずっと温めていたスタジオ新設のプランが流れてしまった。静岡の石の蔵を購入して、誰もが安価で使える共有地のような録音スタジオを作りたいと考えていた。取得から改修、リノベーションなどにかかる数千万円の資金の調達についてもいろいろ調べ、スタジオ以外の部分の使用方法などを考えていたところ、石の蔵を取得できない旨の返事をいただいた。大正時代の古い蔵は取り壊されて、宅地になるのだという。音楽スタジオにはうってつけの天井の高さと広さだった。もったいないことだと思う。あと1年早く話をいただいて、準備期間が少しでも長ければ違う結果になったのではないかと思う。しかし、これが縁なのかもしれない。完成には1億円くらいの資金が必要、多額の借り入れをしなければいけない予定がなくなって、ほっとしている自分もいるが、やはり残念だという思いが強い。

大正時代に建てられたという石の蔵。オーナーたちは残したいということだったが(もちろん、購入して残したかったが…)、別の会社が入札し解体して宅地になるとのこと。

21日。
天井が高い物件がどうして録音スタジオに向いているかと言えば、広い空間の音も狭い空間の音も作ることができるからと言える。場所そのものが持つ残響音をプラグインで生成するのは、実測も含めて骨が折れる。場所の特殊性は録音物のユニークさに直結する。ただ、その音楽的な使用価値が、物件そのものの金銭的市場価値とイコールであるとは限らない。耐震や遮音といった構造物の法的問題点や構造的な問題点は、使用価値とは別に、無慈悲に費用として迫ってくる。また、建物には使用目的が定められていて、それを変更するには法的な手続きが必要であることも勉強になった。倉庫買えた、わーい!何に使ったら楽しいだかしん、みたいな気分で購入しても「Aには使えるが、BとCに転用する場合には用途変更の申請が必要です。もっとも地域的にはBとCには使えません」みたいな法の壁があるのだった。

22日。
石の蔵のスタジオ化は法の範疇であった。むしろ、この倉庫は音楽スタジオに転用する以外に存続の方法がないかもしれない、という物件であった。しかし、購入後の耐震工事を考えると、分筆で購入してくれる不動産業者はリスクを算定せねばならず、結果として大きな額を積めないとのことだった。俺がもう少し動かせる金銭を所持していれば、キャッシュで全棟を一括購入できたかもしれない(その後の工費約1億…)。石の蔵には、藤枝のお茶の歴史を語る施設としての文化的価値、使用価値がある。しかし、市場価値のなかでは、負債そのものだと計算されてしまう。ここに今回のプロジェクトの悲しみがあった。クラウドファンディングを立ち上げるにも時間がなさすぎた。あまりに無念なので3回に分けて、その無念さを書いてしまった。購入した会社がこのnoteを読み、せめて大きな蔵だけでも宅地化をやめて譲ってくれないかとも思う。が、無理だろう。石の蔵にまつわるお茶の歴史について話してくれた社長、協力してくれた不動産会社の皆様、支えてくれた仲間たちには本当に感謝している。仲間たちがいるかぎり、また次の面白いプロジェクトに向かって歩み出せる。インディのみならず、録音にまつわる予算が減っているなかで、誰もが最高の環境で安価に録音できるスタジオをこれからも夢想したい。