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ドサクサ日記 9/9-15 2024

9日
藤枝に作るスタジオの設計について、建築家、エンジニアと意見交換。設計図は完成に近づいている。ただ、この設計でいいのかについては、きっちりを悩みたい。考えたい。築100年以上の土蔵を補強、リノベーションするわけだから、100年先の世代に手渡すことだってできるはずだ。そういう射程で考えたい。基本設計がしっかりしているのはもちろんのこと、時代に合わせてカスタマイズできるような柔軟性が必要だと思う。ガチガチの施設や設備は使いにくいのではないかとも思う。バッファや遊びがあることはとても大事。膝だって肘だって、遊びがなければ曲がらない。けれども骨がグニャグニャだったら立ってすらいられない。そういうことをよく考えなければいけない。困ったら、未来の世代に任せてもいいかもしれない。ブランクを面白く使うかもしれない未来の世代に、パスを出すというか。

滞在型レコーディングスタジオのロゴが完成。デザインは友人の告君が申し出てくれた。
彼はTHE FUTURE TIMEや僕のレーベルonly in dreamsのロゴもデザインしてくれた。Apple Vinegarのロゴももちろん。告君は結成時のアジカンのメンバー。結成したころ、誰よりも俺を励ましてくれて、俺の作る楽曲を褒めてくれたのは告君だった。彼がいなかったら、アジカンはおろか音楽を続けられなかったと思う。恩人でもある。そんな彼といまでも一緒に仕事ができることが、とても嬉しい。

10日
丸亀製麺の、秋の新作「粗挽肉チーズ釜玉饂飩」を食べた。濃厚なミートソースパスタ、あるいは給食のソフト麺トマトソースの最上位互換とでも呼ぶべき、悪魔的な食べ物だった。最後にお米を追加するなどすれば、俺でも3ヶ月後には新弟子検査を受けられるかもしれない。しかし、年齢と身長によって新弟子の基準からは外されてしまう。残念だ。なので次からは、普通に冷やかけ饂飩に戻そうと思う。

11日
起床してしばらくたったところで、尻に違和感。トイレに駆け込んだところ、完全にお腹を壊してしまっていた。メンバーにLINEで「リハに行けるかわからない」と伝えて、ソファーに横たわる。そらからしばらくトイレをソファを行き来。やがて菊の門からは消化液しか出なくなる。消化液なので尻がむちゃくちゃ痛い。沁みる感じ。昼前に治まったが、尻を押さえながら電車でスタジオに向かった。断食。

12日。
前日の断食のお陰か、お腹の痛みはほぼ消えた。しかし、腸が動いている様子がない。心配しながらボイトレへ。ボイトレによって腸も活動し始めたような感じがする。しかし、ここで暴食をするとまたOPPに後戻りしてしまう。なので、米などをよく噛んで食べた。米をよく噛めば粥。ツアーのリハーサルは白熱。セットリストのパターンがいろいろ組めるようにみんなで工夫した。潔が審判の格好だった。

日本代表の試合で盛り上がったのかなと思ったが、そういうわけではないらしい。当然、サッカーには疎い。というか、スポーツ全般に興味がないのが潔のいいところで、おそらくイエローカードのことも知らない。何の疑問も持たずに、SECOMのカードを提示している。

13日。
フェスにおける観客の痴漢行為について、細美君の誠実な謝罪文を読んでいろいろ考える。細美君が謝ることなのかという問いはあるけれど、被害に遭った方とファンの双方を守るための真摯な言葉だと思った。観客が密着せざるを得ない公演では、何らかの呼びかけを行う必要があるのではないかとメンバーやスタッフと話す。そうした呼びかけは、音楽のみならず空間の興を削いでしまうかもしれないが、誰かの権利や尊厳を侵害しながら維持される楽しみがあってなるものかとも思う。どんなときでも、俺たちに、あるいは周りの人たちに助けを求めてほしい。知らせてほしい。そして、助けを求められた人たちは、手を差し伸べてあげてほしい。これは子どもたちも同じで、彼らの耳を守ることについても、改めてそれぞれに考えてもらいたい。居心地のいい場所、安全な空間をみんなの力で求めたい。

14日。
豊田の橋の下音楽祭へ。入場ゲートをくぐる前から、なにか得体の知れないエネルギーを感じて胸が躍る。会場内に入ってからはもう、感嘆の「!」だけを全身から発してしまった。ハレの場所。中世の日本の宿場町の匂いを想像するような、不思議な感覚。普段の俺たちは自由なようでいて、全然自由ではなく、人間としての何らかのエネルギーを抑えながら、これが通常運転だと思わされている。それもまた社会を維持するための知恵なのかもしれないけれど、度が過ぎれば、私たちは極端に社会化した動物になってしまう。システムに依存し過ぎてしまう。そこからの解放は野蛮に見えるかもしれないけれど、人間らしさの再定義というか、人間を取り戻すということでもある。とにかく素敵な祭りだと思った。関わっている人たちすべてを尊敬するし、それぞれのエネルギーが編まれて、このような祭りとしてアウトプットされていることのとんでもなさを、俺はどう書いていいかわからない。しかし、この連なりの末席に、せめて魂だけでも繋がらなければいけないなと強く思う。この祭りに来て生き返すような、そういう精神を失いたくない。ずっと生で聴きたかった「この世讃歌」を、この場で聞くというより、居合わせることができてよかった。愛樹君や舞さんと話して泣きそうになった。たくさんの人と再会。

サポートチケットを買って参加。
フラフラしてたら知り合いや友人にもたくさん会って、とても楽しかった。岡崎の街にも寄って、いろいろな人と町づくりについて話した。とにかく素敵な一日だった。勉強になった。

15日。
放心。朝から原稿を書いて、昼寝をして、コーヒー豆を買ったり、散歩をしたりする。どこかの町から出張してきた野菜売りのオジさんから、オクラや米を買う。音楽の本を読みながら、思いついたコンセプトをメモする。自分という一点から見つめれば、牛歩のような人生だと思う。けれども、人と関わると、グリッと景色が変わる。それでこそなんだなと納得する。存在というのは、相対的なものだから。


 現在、ミュージシャン支援を目的とした滞在型スタジオを設立するためのクラウドファンディングに挑戦しています。公開は9月27日ですが、事前のお気に入り登録数が増えると、プロジェクトの成功につながります。ぜひ、お気に入りボタンを押してください。また、情報を拡散してくださると助かります。よろしくお願いします。

 19日の夜にはアジカンのメンバーと、新設を目指しているスタジオについてのインタスタライブを行います。お時間のある方は、アジカンのオフィシャルアカウントから視聴してください!