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ドサクサ日記 3/13-19 2023

13日。
ボーカル録音の予定だったけれど、まったく声が出ないのでスタジオを片付けたり、作りかけだったソロ曲の楽器演奏やエディットを行った。ご飯については引き続きお粥生活。お米系の何かならいけるかなと思って、試しにソフト煎餅のぱりんこを食べてみる。美味しい。表面にかかった塩やらアミノ酸が激しく美味しい。これは悪魔的だなと思っていると、胃腸に重み。からの軽微な腹痛。

14日。
午前中は濃厚な音楽トークを仲間たちとリモートで行う。音楽の相対的な比較というのはとても難しい。どこにフォーカスするのかによって、表面上の魅力も奥行きも変わってくる。私の場所からは見えない側面というのがどの表現にも必ず存在している。誰かの言葉で、突然、その側面が見えたり、表面の凹凸がわかったりする。たかだか数分、一度の体験で判断するには、音楽からの情報は膨大すぎる。

15日。
整体へ行ったり、レコードを買ったりする。ランチタイムの街は美味しそうな匂いに溢れていて、そこらに行列ができている。昼は食べたい気持ちをぐっと抑えた。夜になって久々に暖かい蕎麦をお店で食べた。お腹が空くという感覚もしっかりと戻ってきた。改めて、食べることと生きることの近さを感じる。一方で、生物として生きるため以上の欲望が、食べることに乗せられているのだなと痛感する。

16日。
大阪の堺にあるスタジオへ見学に出かけた。ブースの大きさだけでなく機材の充実ぶり、大阪ンドリームと呼ぶべき素晴らしいスタジオで感動した。約束の時間より早く現地に着いてしまったため、最寄駅の駅前の寂れた喫茶店で食事をした。豚の生姜焼き定食を頼んだのだけれど、正直に言って、キッチンを貸してくれたら俺のほうが美味しい生姜焼きを作れるのではないかというクオリティで驚いた。

17日。
身体が回復を願っているのか、妙に食欲が湧いて料理をブリブリと作った。数日前に買った大量の芋を消費するべく、ポテサラと肉じゃがを作る。芋料理ばかりを食べるのも悪くない。久しぶりに土鍋で米も炊いた。正直に言えば炊飯器のほうがふっくら炊けて、保存のことを考えると便利だ。しかし、土鍋は飯盒で炊いた時のような風味を味わうことができる。そこで少しだけ焦げたお米の香りがたまらない。

18日。
今年は花粉が半端ない。俺の場合、花粉が飛んだことを真っ先に感知するのは尻の穴である。まずはムズムズと菊の門に違和感を覚える。その後、頭皮や皮膚がピリピリとして痒くなる。例年はそこで終わりなのだけれど、今年は目も痒く、時に鼻水も出る。そして鼻水のせいで咳も出るようになってしまった。花粉症は無計画な植林による公害なのではないかと思っている。国策として、なんとかしてほしい。

19日。
久々に歌の録音を試みる。久々に歌ったので声帯がヘロヘロとしていて安定しない。こういう場合は仕方がないのでひたすら歌う。歌っているうちに復活してくるところと、単純に疲れてしまうところがあって面白い。復活と疲労のクロスポイントを過ぎると、もう疲れが勝ってしまって、声はヘロヘロに戻っていく。仕方がないので、それを受け入れる。休めない仕事ぶりのほうが生命体としてはヤバいのだけれど、休まずに働くことが美徳とされている。というか、労働そのものが美徳とされている。これには深刻な倒錯があると思う。働かずとも、食べるものがあれば本来はいいのだ。美しさがあるのは労働そのものではなくて、そこに点在する人間らしい身体技術とか、集中力とか、そういうものではないか。個人事業主である俺は、そんなことを考える。営業マンだったころには持てなかった視点でもある。