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ドサクサ日記 7/18-24 2022

18日。
海の日という祝日。山の日というのも8月にある。海と山は確かに日本にとっては象徴的なもの(風景)のような気がする。しかし、祝日にする割には、大事にされていないようにも思う。日本中の海が埋め立ているし、山は山でゴリゴリに削られたり針葉樹を植林しまくって放置されたりしている。祝日の名に冠されたのは、長年に渡って踏みつけてしまってすみません、ということなのかもしれない。

19日。
なぜかNetflixでTV版の『ガンダム』を見始めてしまった。シャアの裏切りで撃ち落とされて散ったガルマ・ザビ。ザビ家が集まって、ガルマの国葬を父親に迫るシーンが印象的だった。国葬の理由はジオンの国威発揚だという。ガルマを殺した連邦軍とその側の人たちへの憎悪を煽るためでもあるという。恐ろしい。そもそも、少年たちが戦場に駆り出される『ガンダム』はすごい話で、人間や軍隊や組織の醜さや人間の弱さがカリカチュア的に散りばめられているように思う。あとはモビルスーツのデザインがとても美しい。ザク一機でも破壊されるときには信じ難い大爆発するところに想像力を感じる。ガンダムの動きはときどき人間みたいでニヤっとしてしまう。分離するときに四つん這いになるのが間抜けでおかしい。地上戦では特にガンダムのおかしみが増すように思う。重力の力を思い知るというか。

20日。
誰かの書いた文章を揶揄したり、人を傷つけようとして「ポエム」という言葉を使う人がいる。社会的に「ポエム=詩」が悪口の一種のように扱われることには、寂しさや切なさを通り越した感情を持っている。詩は文芸の究極の一形態であり、その国や地域の文化そのものだろう。悪意によって踏んづけているのは、誰よりも自分自身であるという悲しみ。そんな言葉では誰も傷つけられないぜと言いたい。

21日。
私たちは読まなくても良いテキストを読み、知らなくてもいい情報を受け取っている。「知ることは本来、危険なことなのだ」という話をカウンセラーとする。ブラウザのトップに指定してあるニュースサイトには、読まなくてもいいインフルエンサーの言葉が踊る。うっかりクリックしてため息をつくことにも疲れた。机の上は積読本の山。どちらから先に読むべきかは明白なのに、ネットに居着いてしまう。

22日。
Corneliusのサウンドデザインがとても好きだ。収録された音々は20Hzから20KHzの可聴域の間でマスキングし合う。昨今では当たり前のように隙間が多く音数の少ない楽曲が増えた。当然、各楽器やサンプルの音がよく聞こえる。そうした発音の課題を2001年の段階で作品に落とし込んでいたのは、改めて先進的だとしか言いようがない。これからも素敵なサウンドデザインを聴かせてほしい。

23日。
17年ぶりの日比谷野外音楽堂。音楽史的にメモリアルな会場は、音楽以外の思惑が自分たちの意思とは別に膨れ上がるところが少し苦手だ。ユニークな会場だから仕方がないところもある。ゆっくり東京のオフィス街の陽が暮れていく風景を眺めながらの演奏は、その景色の美しさも相まって最高だった。目が回るような暑さだったけれど、コロナ禍にあって、野外コンサートは特別に心が優しく緩む。

24日。
焼肉屋のテーブルに握りこぶし大の人糞を放置して帰ったという立憲の議員の記事を読んで、お店の方には気の毒だが笑ってしまった。全く状況が読めない。人糞のみの記載なら、いろいろな解釈ができたと思う。しかし、「握りこぶし大」というパワーワードによって、想像できる範囲の話ではなくなってしまった。どういう経緯でそのような事件になったのか、詳しく知りたい。気になって仕方ない。

Photo by Tetsuya Yamakawa