ドサクサ日記 11/21-27 2022
21日。
散歩。軟骨そばを食べて空港へ。会いたい人にたくさん会えたし、仲間ともずっと一緒にいたので、なんだか少し疲れてしまった。なので、ひとりモノレールで空港へ。沖縄はゴリゴリに開発が進んでいるのだなと、いろいろな場所で感じたことを思い返す。自然の側に勝手に立って海や珊瑚の立場から語るのは容易いが、同時に卑怯だと思う。自分の場所から負担の不均衡を直視して、引き裂かれたい。
22日。
ジーマーミー豆腐を食べながら、沖縄のことを思い出す。じみじみと海が綺麗だったなと思う。友人の川口君が「沖縄に住んで曲が書けなくなっちゃうひともいるんですよ」と言っていたことを思い出した。俺も多分、そうなる気がする。綺麗な海、美味しい食べ物、仲間たち、みたいな条件で経済的に逼迫していなければ、そんなに曲って世の中にいる?と思うだろう。既に世の中には浜辺に似合う名曲がたくさんある。それをポロポロと弾き語っているだけで、素敵だな、幸せだなと感じるだろう。でも、そのうちになんだか、新しいメロディがふわっと降りてくるかもしれない。ただ、それを記憶に捕まえて、MacBookとProToolsを立ち上げてデモ音源を作り、スタジオを予約して清書録音し、ミックスとマスタリングをしてネット上に公開するまでの時間のどこかで、野心が凪いでしまう気がする。
23日。
Raccoさんに誘ってもらって岡山へ。楽しく歌った。街の再開発は大概にして良い感じの店の入った雑居ビルをぶっ壊してしまう。それが地域文化の拠点であっても。こういうことをしていると、見た目的には栄えている風だけれども、文化的には砂漠化してしまう。というか、少しの邪さや猥雑さを上手に受け止めるバッファ的な力を失ってしまう。そんなことを感じたり考えたりする日だった。
24日。
身体がバキバキでボイトレが辛かった。ボイトレ後は胃腸の調子が妙に悪くなって、しんどい時間がしばらく続いた。この年になると体力の回復に時間がかかる。疲労の蓄積も身体の深部に積み重なっていく感じがする。細かい心身のメンテナンスなくしては、長いツアーを完遂することはできない。そう考えると、60代や70代でギンギンにツアーを行なっている諸先輩方は妖怪ではないかと思う。
25日
大阪中央公会堂でコンサート。桜の保全活動にまつわる公演だった。とにかく雰囲気のある会場が素敵で、それだけで感動してしまった。いとも容易く壊されてしまう歴史的な建物がある一方で、膨大な税金がつぎ込まれたにもかかわらず、巨大な負債そのものに成り果てるハコモノ。俺たちの社会は建てることばかりに注力しすぎていると思う。取り壊すときのことを考えるのは、大事な思考訓練だと思う。
26日。
100円ショップではないが100円ショップ的な雰囲気を醸し出したよく分からない商店で、「目玉がグルグルまわるメガネ」を買うべきか悩んだ。その店は失敗したドンキホーテのような品揃えで、どこかの潰れた倉庫にあった段ボールを片っ端から空けて脈絡もなく並べたみたいな棚作りで、不気味さと切なさと心細さがマーブル状に訪れ、結果的に何も買わずに逃げるように退店したのだった。
27日。
ACIDMANのフェス、SAIに出演。とても楽しい夜だった。埼玉スーパーアリーナを埋め尽くす観客。大きなエネルギーに感動してしまった。フェスを完遂した彼らを尊敬する。TOSHI-LOWさんや細美君に会うといつでも安心する。それとは別の角度で、桜井さんはそこに居るだけでぶわっと何かが何らかの何かで良い感じになる。ミスチル全体にそういう力が宿っているというか、引き受けてくれているんだなと思った。終演後は、バンアパの荒井君と我々の引き返せなさについて話した。この年で再就職もなかなか厳しい。こうして音楽を続け、集う場所があることの有り難さを噛み締める。それは誰かの強固な力が保っているのではなくて、それぞれの生活や活動が複雑に絡み合って成り立っている。もちろん、自分のしていることもその一部だ。そういう大きい意味での場に、恩返ししたいなといつも思う。