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ドサクサ日記 3/20-26 2023

20日。
街中でピンクの薄手のダウンベストを着ている爺さん(以下、桃爺)を見かけて、すっかり春だなと思った。桃爺はステッキも濃いピンク、燕脂色のシューズを履いていて、俺の感性ではギリギリ洒落ているとは思わなかったが、今日のコーディネイトにはそれなりのこだわりを持っている様子だった。お洒落というのはそうしたこだわりのことであって、ブランド物で全身を固めることではないと思った。

21日。
10代のほとんどを野球に捧げたがゆえに、プロ野球やWBCについて語るのが億劫になってしまう。代表に名前を連ねている選手は、細かい地域や地区において十年にひとりどころではない逸材中の逸材で、そうしたスーパーマンの祭典に対して何かを言うのは無粋だという気持ちが少なからずあるからだ。もちろん、ひとりのおっさんとして、野球中継の画面を目の前にすれば、次の球種をぶつくさとつぶやいてしまうくらいの野球狂ではある。しかし、それを世間様に向けて発露するのは恥ずかしいと思ってしまう。もうちょっと知らないことのほうが、臆面なく呟けたりするのだから不思議なものだ。この日のメキシコ戦には心底痺れた。吉田選手の片手で切れないように持っていった技術と集中力にも驚いたが、村上選手の一打には鳥肌が立った。精神と身体と技術が本来の場所で落ち合うようなスイングだった。

22日。
連日の痺れまくり。個人的には戸郷選手が見事に三振を取ったスプリットに痺れた。スプリットでカウントが悪くなる流れのなかで、決め球にスプリットのサインを出せる中村捕手もすごい。ここぞというときに、あそこに投げられる技術と精神。途方もないことだと思う。ふっつうに捌いているように見える6-4-3のゲッツーも、あのような緊迫した場面でふっつうにできるのがすごい。あれがデフォルト、さすがプロだ。こういうプロスポーツの大会では、どうしても「国のために」という精神を見ているほうもやっているほうもブーストしてしまって、その圧を息苦しいと感じることが増えた。誰のためでもなく、自分のために競技を楽しんでもらうための雰囲気作りも大事ではないかと思う。強化に税金が投入されている競技でも、気にする必要はない。競技や選手の存在そのものに価値があるのだから。

23日。
温かくなってきたので、久しぶりにGRAIN-ONのスケートボードに乗る。大した距離ではないけれど、街なかをクルージングするのは楽しい。街の道路の形状やデザインにも詳しくなる。ほんの少しの坂道がいかに怖いか。バリアフリーだと言われているスロープ状の道路だって、ブレーキのないスケートボードで滑り降りたり駆け上がったりすると、段差がないだけでそこまで親切ではないことがわかる。

24日。
四十肩のような症状がキツくて難儀している。腕が上がらないほどではないが、地味な痛みがメンタルを削る。このような症状に悩むのは2回目で、生前に診てもらっていた整体師の「雑に動かして」というアドバイスを思い出して雑に動かしていが、それだけでは完治しなそうなので、接骨院に通ってリハビリもしている。身体はどこか一点だけが悪いわけではなく、複雑に関係しあっているから不思議だ。

25日。
夜にビールを買いに出ると、近所の桜並木の桜がそこそこに咲いていて驚いた。昼間に眺めるよりも、夜桜のほうが花の数が多いように感じる。街灯の明かりを反射して、薄らと浮かび上がる花びらが美しくて見惚れる。春の気まぐれな寒暖や花粉には辟易とするけれど、桜は好きだ。花見は酒宴でなく、ひとりで散歩するに限る。この時期は外で飲むにはまだ寒い。お酒は店で飲んだほうが美味いと感じる。

26日。
本当に美味しいものを食べると顔がニヤニヤしてしまう。先日食べた鰻はまさにそれで、一口目からニヤニヤしてしまった。しかしながら、この鰻という生き物は資源量が減っていると言われていて、そうした生物を捌いて焼き、甘辛いタレをかけたものを食べながらニヤニヤしているのは不謹慎かもしれない。土用の丑、みたいな売り方や食べ方はもうやめたほうがいいのだろう。数年前に入った鰻屋では、壁の一面に鰻や鰻の稚魚がいかに激減しているのかという新聞や雑誌の記事が貼られていて、本当に食べさせる気があるのかと不思議な気持ちになった。鰻屋が自虐的な抗議活動を行うくらいなのだから極めて深刻なのだろう。せめて、年に一度くらいの贅沢として、鰻の貴重さや板前の技術を確かめながらニヤニヤしたいと思う。注文してから焼きあがるまで40分待った。そういう時間も噛みしめた。