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ドサクサ日記 5/22-28 2023

22日。
丸亀饂飩に行き、店の中で食べようかテイクアウトしてシャカシャカ饂飩なるものを食べようか悩んでいたところ、「蛙が混入していた」というニュースを知った。サラダの葉っぱも元々は畑に生えていたわけで、蛙が乗っていたとしても不思議ではない。自宅で自作したシャカシャカ饂飩ならば、蛙を取り除いて葉っぱを洗い直して食べればいいだけの話だが、チェーンの飲食店となるとそうはいかない。不憫だなと思う。もう少し話を広げると、虫食い野菜もそうだろう。虫食うとるやんけという苦情を避けるために、信じられないくらいの農薬を畑にぶち撒いて、虫を撲滅しているだけのことだ。そういう潔癖さの成れの果てに我々の潔癖な食材や食卓があって、その程度について考え込む。ベランダのプランターに植えた大葉は、ものの見事に虫に食われた。仕方ない農薬でもぶち撒くかとは思わなかった。

23日。
一等地とは言い難いが、それなりに地価の高そうな場所で経営している町中華を見つけると、こんな場所で商売が成り立つのだからさぞかし美味しいに違いない、とか思ってうっかり入店してしまう。すると、特段美味しくもなく、朽ち果てそうな外装とリンクしたような、はっきりと不味い店なことが間々ある。コロナ禍などどこ吹く風といった様子の、ああいう不味い店だけを集めた本を作りたいと思った。

24日。
忙しい日が続いている。こういう日はトンカツを食べるのがいいなと思って、トンカツを食べた。元シャムキャッツの夏目君のアルバム『大吉』を電車のなかで聞いていたところ「トンカツ食って過ごそう」という言葉が聞こえて、のけぞってしまった。まったく予期しない文脈で、けれども自然に、この言葉が選ばれていることに驚いて、なんて素敵な言語感覚!と唸ってしまった。傑作アルバムだと思う。

25日。
のんさんと一緒に録音した曲がアップされた。サウンドプロデュースはTurntable Filmsの井上君。彼女の境遇を想像しつつ、これから彼女が届ける様々な思いと、それを受け取るたくさんの人たちのことを思って曲を書いた。演奏はアジカン。この曲に込めたいろいろな思いはアジカンみたいな大きなバンドに乗っかるのがいいと思った。ミュージックビデオは自分の頑張りっぷりを直視できないでいる。

26日。
蒲郡のフェス、森道市場。音楽よりも重心が市場に置かれているところがユニークで素敵だ。中世では浜や坂の入り口、辻(交差点)などに市場が建ったのだという。そういう場所は、あの世とこの世の境界線のような意味合いを持っていたと網野善彦の本で読んだことがある。市場に芸能の民が集うのは自然な流れだと思う。ゆえに、森道市場の賑わいは歴史的な正当性があるように思う。また出たい。

27日。
ツアーの日程が発表になった。ミュージシャンの収入の柱がコンサートに移行しているので、チケット代が高くなっていく流れは理解している。スタッフたちに報酬を支払い、それぞれが生活していくためには仕方のないことだけれど、学生時代にまったく金のなかった自分のことを考えると、10,000円もするようなライブに簡単には行けないだろうという感覚がある。メンバーとも話し合って長らく続けてきた学生キャッシュバック制度を改め、チケット販売の段階で2,000円をサポートする方式に切り替えた。これで5,000円前後でライブハウスの公演を楽しんでもらえたらというのが、今回のチケット価格の趣旨だ。何をもってフェア(公正)だと考えるのかは大変難しいけれど、経済的な自立の途中にある若い人たちから多くの金銭を受け取るのはしのびない。もちろん、大人だっていろいろな経済状況の人はいるだろうし、すべてが自分の選択と努力によるものだとは言えないので、慮るべき格差というのはどこにでも存在している。そういうこともじっくり考えつつ、結局のところ、音楽をはじめたときの自分のことを思い浮かべてしまう癖がある。後藤少年がどんな顔で現在の俺を眺めているのか、ということ。「高っけえ!」と言われたくないなという気持ちがある。「お前も来れる額だよ」と言えるのかどうか。

28日。
友人が謎のカラフル弦を買ってきて、自分のアコギに張っていた。見たこともないような弦の色使いに驚き、なおかつ、鳴らしたときのペラペラな音にびっくりして使用を控えるように進言したが、彼はそのままライブに出かけていった。どうやらライブの本番でもショボい音しか出ず、「段ボールを弾いているような感触だった」というメールが届いて、町なかで爆笑してしまった。だから言ったのに…。