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ドサクサ日記 6/17-23 2024

17日。
リハーサル、そしてボイストレーニング。ミック・ジャガーやポール・マッカートニーはほとんど妖怪に近い。が、あの歳でバリバリと歌っていられるのは、本人の身体能力や才能だけではなく、体型や筋力の維持という努力や、それなりの費用を投じた健康管理とメンテナンスがあってのことだろう。それを80まで続けるのは狂気としか呼びようがないが、そういう継続力こそが才能なのかもしれない。

18日。
早起きして東京都現代美術館へ。まずは「翻訳できないわたしの言葉」展。ステレオタイプな属性にはまとめられたくない、私の人生、身体、言葉。俺たちは、何かをわかりやすく語るために、ひっきりなしに、ひとつひとつの人生を何らかの言葉やイメージに集約している。民族や国家も突き詰めればフィクションで、そうした大きな言葉にはまとめられない人生がどこにだってある。そうした当たり前の視点を示しつつ、ポジティブに参加者/鑑賞者の人生、身体、言葉を、もちろん俺自身の人生、身体、言葉を見つけ直すような、そういう展示だったと思う。それぞれの展示もよかったが、キュレーション、展示の順番がとてもいいと思った。ホー・ツーニェンの展示はじっくり眺めるには時間がなかった。が、アートというのは、時間の経過のなかの、一瞬の断面だというような指摘が響いた。再訪したい。

19日。
どんなに演奏を重ねてきた曲でも、収録されているかと思うと緊張するし、それが映像として残るとなると尚更、身体なのか精神なのか、どこかが固くなってしまう。こうした現象は、失敗したくないとか、よく見せたいとか、虚栄心や自尊心とどこかで繋がっている気がする。本当に美しい瞬間を記録できるだなんて、本来は思い上がりで、だからこそ記録芸術は残酷で、時折、美しいのかもしれない。

20日。
都知事選の掲示板を眺めると、そこには「This is Japan」としか言えない風景が広がっていて、暗澹たる気分で身体中から力が抜けていく。東京に住んでいなくて良かったな、と思いたいけれど、東京は日本の首都で、どこに住もうが関係ないとは言い切れない。私は関係ないと多くの人が政治や社会と距離を取っているうちに、無関心を貫いている間に、ほとんどネタというか、視聴率や再生回数がすべてみたいな考え方にとことん侵食されてしまっているわけだけれど、こういうことを書いたり言ったりする人間を疎ましく思うこともセットで、選挙の掲示板が完成していることを思うと益々暗い。いっそのこと、東京が破滅するような最も劣悪な候補者が当選して、東京にだけは住まなければよかったと皆が後悔したらいいのに、みたいな気持ちも湧いてくるけれど、やっぱりそれは不味い。一生懸命に暮らしている人たちが、そうした選択によって追い込まれてはいけないと思う。面倒だけれど、皆で投票に行き、もっとも悪くない候補に投票するしかない。そして、それで終わりではなく、投票したからこそ、選ばれた首長と自治体の政策やその達成度に関心を持ち、常々、声をあげなければいけない。私たちに選ばれたのだから(自分が投票した人と違っても)、しっかりやってくれと、そういう態度こそが、政治参加。

21日。
TURTLE ISLANDの愛樹君に誘ってもらって、元イスラエルの兵士、ダニーさんとのトークセッションに参加した。パレスチナ側からの、身を切るような訴えを耳にする機会はあって、彼の地ので大量虐殺と呼ぶ以外にない蛮行は一刻も早くやめてほしい。そう願うイスラエル人もちゃんといるのだというダニーさんの言葉は、どうしても偏ってしまうイメージを解きほぐすものだった。イスラエルにもリベラルな人たちは存在する。しかし、ロックフェスに対する攻撃で民間人が殺害されて、そうした人たちも右傾化したという。ハマースのそうした攻撃は戦争犯罪で容認できないけれど、彼らを追い詰めているのはパレスチナの声を無視、あるいは放置し続けた国際社会にもある。ガザの封鎖や、違法な入植という暴力をほとんど是認し、遡るなら西洋社会のユダヤ人に対する差別と暴力の歴史をもパレスチナの地に押し込めてきた歴史の負のエネルギーが、露わになっているとも言える。そんな言葉ではまとめられないくらい、悲惨な現実があって、俺の部屋には匂いも衝撃波も粉塵もないけれど、タイムラインに現れる写真や映像を前にして居た堪れない。「共に生きるか、共に死ぬか。それ以外に選択肢はない」とダニーさんは言う。「共に生きる以外にないだろう」とも。その難しさに、世界は挑むしかない。

22日。
キタサンローリングというフェスに出演。喜多さんはまったくローリングしていなかったけれど、とても楽しく演奏した。アーティストの食事場に生ビールがあるのが嬉しい。BACK HORNの楽屋にもお邪魔して、栄純や光舟と談笑する。このふたりは名前が格好良くて羨ましい。音読みだからなのだと思う。正文は訓読みだ。口にしてみると「ふ」のあたりの唇使いが面倒臭く、まさうみと発音したくなる。

23日。
第4日曜は朝日新聞の連載。ダニーさんと愛樹君と話す前に書いた原稿が掲載された。もちろん、ユダヤ人が「動物」のように扱われてきた歴史への批判も、この原稿は含んでいるとここに記したい。また、特定のバンドを批判するわけではなく、社会全体として、あるいは業界として、人権意識が低いがゆえに起こった騒動だと考えている。俺もその一員だという自戒を込めた文章として読まれてほしい。