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ドサクサ日記 11/7-13

7日。
南相馬でお世話になっている復興浜団のクラウドファンディングがはじまった。小額ながら俺も参加させてもらった。この日記を書いている段階で支援者は9人。なんだか自分ごとのようにヤキモキしてしまう。菜の花で遊ぶたくさんの子どもや童心に返った大人たち。そんな未来を南相馬に作り出すことができると考えると、素敵なお金の使い方だと思う。支援に参加してくれる人が増えることを願う。

8日。
ピノ・パラディーノとブレイク・ミルズのバンドを観にビルボード東京へ。とても素晴らしい時間だった。それぞれのルーツに繋がっているだろうけれど、どこにも所属していないような音楽だと感じた。前半が特に良かった。そう思えることに対する感慨もあった。「この音楽はいいな」と思うには、それぞれの音楽を楽しむための、それなりの訓練が必要だ。それは上位とか下位とかそういうことではなくて、それぞれに様々なコンテクストがあるからだ。洋楽ロックにかぶれて、かつ個人的な嗜好からギャンギャンに歪んだギター以外は糞だと考えていた十代の俺にとっては、世界中の音楽のほとんどは分からないものに分類されていた。あれから随分経って、いろいろな音楽に興味を持つようになった。耳が肥えたのではなく、いろいろな角度を知っただけだけど。その角度には、それぞれ楽しさや発見がある。

10日。
演奏の上手さを世の中の要求に任せて追求していくと、音源の上では「誰でもいい」というような存在になってしまうのではないかと考え込む。誰かの心地よさを埋め合わせるような技術や要素は、将来的にはAIのほうが上手になると想像するからだ。となると、本当に大事なのは記名性、他人が聞いてもわかるような自分らしさということになる。同時に、それは他人にとっては心地よさを妨害する要素になるかもしれない。ゆえに排除されることもあるだろう。もちろん、表現する側にとっては、自分らしくあることはもっとも重要なことだと思う。けれども、自分の自分らしさだけが愛好されるような世界は、ある種の偶像性を引き受けることになるから、それはそれで居心地が悪い。何をどのように演奏しようが、その人がその人であればいいという状況もまたミュージシャンにとっては地獄だと思う。

11日。
ネットニュースやSNSを巡回しなければ、語るべき話題はあまりない。大事件は別として、時間は概ねじっとりと進み、毎日似たようなことを考える。ジャーナリズム精神で目を凝らせば、町中のいたるところに書くべき何かがあるのだと思う。しかし、インフルエンサーがどう言っただとか、ありもしない炎上ネタだとか、そういう記事をクリックさせて日銭を稼ぐ連中が跋扈している。秋なので本を読む。

12日。
鶯谷のダンスホールにて、the chef cooks meのツアーファイナルに参加。とても素晴らしい夜だった。出会ったときと地続きではあるけれど、見違えるバイブスを全身から発しているシモリョーの、たくましさと繊細な優しさに包まれるようなスステージだった。YeYeと世武さんの演奏と歌を聴いていると、言葉やメロディ、楽器への触れ方、そういうのをひっくるめて、私はこの人たちの音楽に用があるんだなと感じる。同じ楽器で同じコードを押さえても、同じようには鳴らせない。言葉選びも然り。そういうところの一つひとつに、何もかもが宿っている。今井君とは久々にいろいろな話をした。彼の狂気と愛のバランスが好きだ。今井君の紹介で話したTen君と友人たちも面白かった。こうした縁を引き寄せたのは場を主宰するシモリョーであり、俺自身でもある。自分が変わると、出会う人が変わる。

13日。
応援歌を担当している藤枝MYFCのJ2昇格が決まりそうで嬉しい。最終節は残しているが、得失点差を考えると大丈夫なのではないかと思う。藤枝ブルックスというチームが出て行ってしまったときのことを思い出す。スタジアムさえ確保できればという状況だったと記憶している。あれから随分経ったが、こうして歴史あるサッカーの街の比較的に新しいチームが躍進していく様は眩しい。応援したい。