ドサクサ日記 3/11-17 2024
11日。
3月11日は多くの人にとって特別な日だと思う。ことさらに時間や日付を目印にせずとも、追悼というのはいつでもどこでもできる。こういう日にいろいろな想いを確認することは大事だけれど、なるべく静かに、常に自分の懐に想いや念を抱きかかえていきたいと思う。復興を旗印に掲げながら、ローカルではない大都市の「東京」や「大阪」がやっていることを考えると腹が立つ。ほとんど収奪だよね。
12日。
静岡の藤枝へ。ミュージシャン支援のためのスタジオづくりは、少しずつ見通しが明るくなってきて嬉しい。知り合った藤枝市の皆さんも好意的で、事業の規模や資金繰りの面でのストレスは尽きないが、背中を押してもらっている。改めて、形はどうあれ起業して従業員を雇い、なおかつ社会貢献している人たちはすごいなと思う。音楽以外のことを考えるとヘトヘトになる。けれども、これも音楽活動。
13日。
リハの後、湊剛さんの「サウンドストリート」イベントへ。出演者は曽我部さん、伊藤銀次さん、内田樹先生。銀次さんの話はいつまでも聞けそうな親密なエピソードで面白かった。内田先生は大ファンならではの分析と説明も興味深く、曽我部さんの至近距離の演奏は豊かで贅沢な時間だった。深夜に参加したa flood of circleのキャンドルソングのビデオが公開。とても格好いい。この曲は佐々木君から送られてきたデモのなかでも特別に輝いているように感じられたので、一緒にやりたいと伝えてアレンジを詰めてもらった。プロデュースというとイコール「楽曲提供」と考える人が多いけれど、そういうわけでもない。作品全体のクオリティに関わるのがPの仕事。ただ、作曲ごと引き受ける仕組みが一時期のポップスやアイドルの文化のなかで主流になっていったので、そういう解釈をされることが多い。小室哲哉さんやつんく♂さん、秋元康さん、みたいな働き方のイメージが強いんだと思う。欧米のロックの場合はリック・ルービンだとか、ナイジェル・ゴドリッジだとか、主にサウンドデザインや作品全体のコンセプトなどを考える存在で、エンジニア的な視点も持った人たちが存在感を放ってきた。俺はというと、ひとりのファンとして、一緒に最適解を考えながら、バンドを励ましているだけなんだけど。
14日。
ホワイトデーをすっかり忘れていた。こういうところがモテなさの源泉だと思う。美味しいクッキー屋の情報などは一切持っておらず、そんなもんはエキュート一択だろ、みたいに捨て鉢な気持ちになってしまう。悲しいことだと思う。バレンタインデーと一緒に滅びないかな、と書くとスイーツ業界に怒られるのだろうか。本やレコードを送るイベントだったらいくらでもあって構わないんだけれども。
15日。
主宰しているインディ・レーベル、only in dreamsのスタッフ会議。レーベル運営はなかなか厳しい時代だと思う。メジャーは膨大なバックカタログがあるので、それを丸っと配信サービスに託せば、その歴史分の収入が恒常的に得られるようになった。バンドは個人レベルで手広くやるみたいな発想ができないし、制作に時間がかかる。トントンにするだけで大変だけど、朗らかに工夫しながらやりたい。
16日。
急に暖かくなってびっくりする。ヒートテックなるものを知ってから、冬は欠かせない肌着のひとつになった。ヒートテックというと格好いいけれど、ようは股引(ももひき)だ。昔、父親が腹巻や股引を巻いたり履いたりしているのを見て、オッサンくさいなと漠然と感じていた。当時は、自分が腹巻や股引を愛用する側に立つ日を想像したことがなかった。格好の良し悪しより冷え対策。ましてや、別に後藤さんは股引を普段から履いてらっしゃるんですね、と確認される機会というのはほぼない。撮影で着替えるときにスタイリストやスタッフから見られるくらいだ。股引の着用によって割り引かれる評価がまったく存在しない。だったら温いほうが良いに決まっている。ステージに上がるときは迷うが、なるべく脱ぐようにしている。ミック・ジャガーやリアム・ギャラガーは股引を履いてステージに上がらないだろう。BECKもトム・ヨークも履いていないと思う。ミスチルの桜井さんも履いていない気がする。ロックスターがステージで股引を履いているなんて考えたくない。なんかもう、冷え、みたいな症状を遥か遠くに吹き飛ばすほど熱狂したい場所で、スターが冷えと戦っていてほしくない。ファンの勝手な妄想かもしれないが、そう考えると、俺も股引だけは脱いでステージに上ろう、そう思ってしまうのだ。
17日。
ロックの街、高崎へ。TAGO MUSIC FES.に出演。このようなイベントが無料というのもすごいが、TAGO STUDIOも素晴らしかった。このようなスタジオが市民からの寄付で造られ、委託ではあるが行政が運営しているというのが素敵だと思う。何かと迷惑物件とされがちな音楽や文化全般に対しての支援。これは行政だけではなくて、市民の理解があってこそ。高崎市民が素敵なのだと思った。感謝。