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ドサクサ日記 6/3-9 2024

3日。
時差ボケ解消とまではいかないが、ある程度の眠気には対処できるようになってきたので、恐る恐る自動車を運転して海辺に出かけた。自動車を運転するときには、それなりに緊張する。ある意味では凶器みたいなもので、誰かの人生のみならず、自分の人生すらも損ねてしまうような運動エネルギーを持っている。急いだとて30分と変わらないのに、そのための速度には破滅的な力が宿るところが怖い。

4日。
都内で取材。若くて新しい友人と食事をキメてから、NPOの打ち合わせ。自分の年齢が相手より上だからと言って、何らかの知識を多く持っているとは限らない。偉そうに言えることはまったくないなといつも思う。ある種の経験は、物理的な時間の長短とは関係がない場合がある。太くて濃厚な一瞬もあれば、何の意味もない、繋がりもなくてバラバラの、永遠みたいな時間をひたすら浪費することもできる。

5日。
改めて消費税の高さに閉口する。10%はいくらなんでも高い。それだけでチクチクと削られていく意欲がある。いや、意欲は減らないが、徒労感が蓄積されていく。5万円の機材を買って、5000円も徴収されるのは重税だろう。その税で多くの人が救われている実感を持てるのなら納得もいくが、困っている人は相変わらず困っている。無駄をなくせというよりは、みんなが未来に希望を持てるような、現在に充足感を持てるような、そういう使い方を、せめてやってる振りくらいはしてくれないかなと思う。少しずつの萎縮というのは降り積もるようにして効いてくる。回転こそが必要なのに、少しのブレーキをかけられながら走り続けるようなものだ。自転車でやってみたらわかるが、すんごい嫌な感じがする。首筋や頭皮をヌガーッと後ろに引っ張られるような不快感があって、もう進むのは止そうと思ってしまう。

6日。
スタジオでフジロックに向けたデモ音源制作を淡々と行った。ベースを演奏するといつも親指にマメができてしまう。ピックで弾けばいいのだけれど、曲によってはピック弾きは休符のコントロールが難しい。かと言って人差し指と中指でベラベラ弾くような技術を持っていない。いろいろ試した結果、細野晴臣さんのようなスタイルの親指弾きがしっくりきた。アンサンブルの肝になる、難しい楽器だと思う。

7日。
アジカンのシングルコレクションのリリースが発表になった。楽曲が最新のリリースから並んでいるのは、これまでのベストと似たような並びで変遷を追うのではなく、遡るようにして最新曲から聞いてほしいという意図によるもの。遥か彼方は、現在の自分たちの身体と経験を使って、できる限りエモーショナルに演奏したつもり。全曲、改めてマスタリングを行なっている。エンジニアはエミリーさん。

8日。
中国の田舎のおじさんが豪快に料理をするYouTube番組にハマっている。料理系のチャンネルはどういうわけか癒される。このチャンネルは本当に豪快で、ヴィーガンにとっては残酷で不快なものかもしれないが、生き物を残さず食べるという意味では、「無闇に生物を殺すな」と訴えることの反対側で、同じ問題と向き合っているようにも感じる。この部位は食べられないと判断するのは、実際にその部位が食に向かいないほど不味かったり臭かったりする場合もあるけれど、宗教上の理由など、観念的な問題によって避けられている場合が多いと思う。舌や内臓は食べないだとか、牛や豚のみならず鰻や駱駝や蛙は食べないだとか、そういう境目なく、おじさんが豪快に料理をして、仲間や家族と食べる。手で、むちゃくちゃ音を立てながら嬉しそうに食べる。人間の逞しい生命力を感じて、思わず笑ってしまう。

9日。
若い頃は誰かの何らかの成功や達成のニュースが、何となく悔しかった。悔しいと認めるのも悔しいので、それを体内というか魂の口内で強引に噛み潰すような拗れ方だったと思う。それは世界をパイのように捉えていたからで、誰かの成功すなわち自分の成功の可能性が目減する、みたいな狭量な感じ方をしていたのだと思う。年を重ねるごとに、そうした執着が減っている。それはどうしてかと考えてみると、相対的な評価よりも個人的な達成を創作活動の中心にしっかり据えたからだと思う。例えば、「海外でヒット!」というのは創作上の達成とは関係がない。時流もあれば、運もある。そうした相対的な状況にこだわれば、誰だって「あいつより私のほうが…」と悔しくなったり、羨ましく思ったりして、ネットに呪詛の言葉を吐いたりしてしまう。けれども、彼や彼女らとまったく同じことをしてみたいのかと問われれば、そんなことはなく、自分は自分なりの達成感を持って何かを作って、それで評価を得たい。この順序の違いというのは結構大事なことだと思う。音楽で売れたいのと、音楽がやりたいのでは、同じ音楽をやっていてもまったく意味が違う。大小の世間と噛み合わないのは、存分に味わいながら育った。そう考えれば、あとは虚栄心や自尊心との戦いで、それこそが難戦。敵は己だよなと思う。