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小説「ノーベル賞を取りなさい」第11話

あの大隈大の留美総長が、無理難題を吹っかけた。




「マイド・デリバリーです。ご注文の品をお届けにあがりました」
 マンションのエントランスで配達員がそう告げると、オートロックが解除され、ドアが開いた。中へ入ろうとする配達員にさささっと走り寄り、その背中にぴったりと張りつくようにしていっしょにドアを通った由香は
「注文した者の家族です。あとは私が運びます。代金はいくら?」
とエレベーターの前で言い
「はい。こちら中華弁当、千二百円になります」
 と答える配達員に金を支払った。そして商品を受けとり、相手が一礼して去っていくのを見届けると、エレベーターに乗り、十階のボタンを押した。
 到着したエレベーターを降りると、内廊下を歩いて角部屋の玄関まで行き、片手で鼻をつまみながらボタンを押して
「マイド・デリバリーです」
 と発声した由香は、すばやく玄関脇に座って身を潜めた。そして
「ご苦労様」
 と言いながら柏田がドアを開けると、即座に立ちあがって
「マイド・ユカバリーです!」
 と大きな声をだした。
「わわわわわ」
 驚く柏田に向かって
「お代はもう頂戴しております」
 と笑みを浮かべて告げ、商品の入った箱を差しだすと
「なななな、なにしにきたっ」
 の問いには
「ゴールデンウィークを利用して、笹塚へ三泊四日の旅に」
 と、平然と答えた。そして自分でスリッパを履き、部屋の中へあがりこんだ。
「困るんだよっ。この連休は論文の執筆に全精力を注ぐと決めてるんだからっ」
 箱をもって後ろからついてくる柏田が、怒りをこめて言うと
「お仕事の邪魔はいたしません。身の回りのお世話をさせていただきます、良い論文が書けますように」
 と由香。
「うぬぬぬぬーっ。おまえの昼飯は無えぞーっ」
 と柏田が声を上げると、彼女はショルダーバッグをポンポンと叩き「お弁当をもってきました。ママが作ってくれたの。先生にしっかりお仕えするのよ、って。パパも頑張れって言ってくれたわ」
 と応じた。
「どういう親子だよ、まったくーっ」
 柏田は呆れ果ててしまった。
 
 結局、ベッドインだ。こしゃくな由香の言動を目の当たりにし、許せん、ひいひい言わせてやるぞと、宅配の弁当にも手をつけずに服を脱がせ、こっちも脱ぎ、ベッドへ引っ張りこんだのだが、相手は、これ幸いとばかり、ひいひい言って喜んでいる。まんまと乗せられてしまった、俺はほんと女にだらしないなーと自嘲する柏田の腕に抱かれて
「お弁当は晩御飯にしようね……私がチンしてあげる……」
 などと由香が甘ったるい声でささやくものだから、ついつい許してしまうのだった。
 こんなことでは論文が……と焦りの気持ちが湧いてきたとき
「先生……」
 と由香の声。
「なに?」
「前に私が図書館で、ノーベル経済学賞を受賞したことのある制度経済学者について調べたことがあったでしょ」
「うん、あった」
「そしたらそれは新制度経済学の人たちで、自分は旧制度経済学の人間なんだって先生は言ったけど、新と旧でどう違うの?」
 由香の質問に、しばし考えたのち、柏田は答えた。
「ヴェブレンが基礎を築いた旧制度経済学は、たとえば政府や法律や市場や企業や社会慣習や家族といった諸制度を使って経済の状況を説明していた。この学派がアメリカで主要な地位を占めたのは、一八八〇年代から一九四〇年代にかけてまで。それ以降は、ケインズ経済学、新古典派総合、マネタリズムなどが経済学における大きな潮流になったんだ。ところが一九八〇年代、ヴェブレンからほぼ百年が経った頃、新しい制度経済学が誕生した。旧い制度経済学がまず『制度ありき』の考え方に基づいていたのに対し、新制度経済学は『人間の合理性』を基本にし、そこから人間社会の諸制度を説明しようとしたんだ」
 柏田の説明に、由香が訊いた。
「じゃあ、新と旧は正反対なのね。どうして旧い制度経済学の人たちは逆転の発想ができなかったのかしら?」
「道具がなかったからね」
「道具?」
「現代経済学は、さまざまな分析手段としての理論を発展させた。情報の経済学、インセンティブの理論、契約理論、ゲーム理論……これらの道具を用いることにより、経済学が分析しうる領域が大きく拡大されることになったんだよ」
「ふうん」
 と由香は納得した様子を見せ
「でも先生は、これからも旧制度経済学で行くんでしょ」
 と言った。
「ああ」
 柏田はそう応じ
「経済学は科学じゃなくて、実学だ。なのに、見栄えの良い数式で論文をコテコテに飾りたてて悦に入っているような昨今の似非学者どもが大嫌いなんだ、俺は」
 と吐き捨てるように言い足した。

 夕食後、二人でバスタブに浸かっていると、アライグマの帽子をかぶったままの柏田に向かって由香が言った。
「あれから『有閑階級の理論』を読み直してみたの」
「ほう」
「先生に教わったように、今度はじっくり時間をかけて文字を追っていったの。そしたら前回より、もっと面白く分かりやすく読めたわ。『カイジュウ』くんは相変わらず健在だったけど」
「そうか、それは感心。もう一回読み返したら、経済学史の講義は『秀』をあげるよ」
「わー、うれしい。でね、あの本が書かれたの、一八九九年でしょ。それを念頭に置いて読んでいったら『顕示的消費』の記述にあった『最高の食べ物、飲み物、麻薬、家、サービス、装飾品、衣装、武器や馬具、娯楽品、魔除け、神像』という内容は、やっぱり百二十年前の古めかしさが漂っているなって感じたの。もしもヴェブレンがいま生きていてあれを書くとしたら、高級車やクルーザー、自家用ジェット、それに宇宙旅行は絶対に外さないと思うな」
「宇宙旅行?」
「そう。去年の暮れに、日本の大富豪が宇宙船に乗って国際宇宙ステーションに旅立ったでしょ、百億円もかけて。あれって、純粋に宇宙に行きたいって気持ちもあったんだろうけど、得意そうに無重力体験を動画配信してるんだから、まさに『顕示的消費』、『見せびらかし消費』の最たるものよね」
 それを聞いた柏田は、顔を紅潮させ、バスタブから立ちあがると
「エウレカ!」
 と叫んだ。そして入浴中に難問を解決して叫び声を上げ、裸のままシラクサの街を駆けぬけた古代ギリシャの数学者アルキメデスのように、裸のまま書斎へ駆けこんでいき、パソコンを起動した。

 格差の肯定に異を唱える「無重力効果」に関する研究(要旨)
 大隈大学政治経済学部特任教授 柏田照夫

 世界の人口約七三億五千万人をピラミッド図で表すと、富裕層の上位八人が保有する資産は、人口の半分にあたる下位三六億七千五百万人のそれとほぼ同額であると、二〇一七年一月、貧困問題に取組む国際的NGO団体・オックスファムが発表した。同NGOはまた、一九八八年から二〇一一年にかけて、下位十%の収入は年平均三ドルも増えていないのに、上位一%のそれは一八二倍にも増加したことを明らかにした。
 世界二十ヵ国以上の税務当局の統計記録を二百年以上前まで遡って収集し、トマ・ピケティが導出した「r>g」すなわち資本収益率は経済成長率よりも大きいという不等式を思いだすまでもなく、経済的な不平等や不公平がもたらす様々な格差の問題は世界中で際限の無い広がりを見せつづけるばかりだ。
 このような報道がなされるたびに不平等の擁護者たちが口にするのが「トリクルダウン効果」だ。「富める者がますます富めば、貧しき者にも自然に富がこぼれ落ち、経済全体が良くなる」という考え方だが、これは経済理論上も歴史経験上も根拠が無い。そればかりか、富める者たちが図らずも自分自身の体験によって間違いであることを明かしてしまったのである。国際宇宙ステーションの中で。
 かのソースタイン・ヴェブレンが「有閑階級の理論」の中で述べた「顕示的消費」を現代社会で例示するならば、その最たるものは宇宙旅行であろう。宇宙船に乗って地球を出発し、高度四百キロの快適空間に到着してふわふわ漂うとき、彼ら富める者は大いなる喜びをもって自分たちの「無重力」を実感するだろう。これは現実の出来事なのだと。
 さよう、それは現実なのだ、彼ら富める者に重力が無いということは。重力が無ければどうなるか。彼らの富は、こぼれ落ちたりしない。器をもって待ちかまえる貧しき者たちへ、富が自然にこぼれ落ちることなど、ニュートン力学が決して許さないのである。
 不平等・不公平・格差擁護派の主張する「トリクルダウン効果」に対して、明らかなる異を唱えるこの理論を、私は「無重力効果」「zero gravity effect」と名づけたい。

 裸のままパソコンに向かい、一気にタイピングを終えた柏田は
「ヘーックショイッ!」
 と大きなくしゃみをした。そこへ
「おつかれさまー」
 と、由香がバスタオルとバスローブをもってきた。

           

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