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小説「ノーベル賞を取りなさい」第28話

あの大隈大の留美総長が、無理難題を吹っかけた。




 由香の家は、大きな三角屋根を戴いた北欧風のたたずまいをしていた。
「オシャレな豪邸だな。さすがは大金持ちだ」
 柏田の言葉に
「スカンジナビアホームって言うの。断熱性や気密性に優れていてとても過ごしやすいのよ。ガガちゃんも喜んでくれるわ、きっと」
 由香がそう応じ、それから車庫を見て
「あ、弟がフェラーリで出かけてるみたい。ちょうど良かったわ、駐車のスペースができて。パパのロールスロイスの隣に駐めて」
 と言った。
 車庫入れを終えて玄関のドアを開けると、由香の両親らしき男女が二人を出迎え
「初めまして。由香の父の花崎幸男と申します。娘がいつもお世話になっております」
「母の安奈です。娘からステキなカレシを連れてくると聞いておりましたが、ほんとうにイケメンでいらっしゃるのね。背も高いし、毛皮の帽子がとてもお似合いですこと」
と、それぞれが挨拶した。自分よりもかなり年下に見える二人の登場に面食らいながらも、柏田は挨拶を返した。
「大隈大学政治経済学部特任教授の柏田照夫と申します。このたびは犬を一匹お預かりいただくことにご快諾をいただき、誠にありがとうございます。これから一週間程度、お世話のほど、どうぞよろしくお願いいたします」
 挨拶が終わると、抱いていたガガを由香が母親に手渡した。母親は犬を優しく抱きとめ
「まあ、可愛い。一昨年に亡くなったベス子ちゃんを思いだすわ。さ、柏田さん、お上がりになって」
 と招いた。
「その前に、バケツと雑巾をお借りできないでしょうか。その犬にちょいとイタズラをされたものですから」
 と、柏田が恐縮した口調で頼んだ。

 リビングルームで紅茶を飲みながら、四人は談笑していた。ガガは母親に抱かれたまま、いつの間にか寝入っている。
「それにしても素晴らしいお宅ですね。天井が高くて部屋も広々としているのに、暖房を付けなくてもこんなに暖かいなんて」
 柏田が感に堪えないという面持ちで言うと
「この家を買えたのも、将棋のおかげですよ。タイトル戦で、ずいぶんと賞金を稼がせてもらいましたから」
 と、父親が応じた。
「は? 将棋? タイトル戦?」
 柏田の不思議そうな表情を見て、由香が説明した。
「パパはプロの棋士なの。これまでに獲得したタイトルの総数は、ちょうど百。永世竜将、永世名将、永世強将、永世猛将、永世覇王、永世神王、永世聖王と、七つの永世称号を持ってるし、現在も竜将位を五期連続して保持しているのよ」
「あっ、もしかすると、史上最強棋士と謳われる花崎幸男先生ですか? 将棋は初心者レベルの私でさえ、先生のご高名は存じ上げております」
 柏田の言葉に、父親は
「たしかに最強でした。ただし、四年前までは」
 と答えた。
「四年前まで?」
「そう、あの超天才棋士が出現するまでは、私は七つのタイトルをすべて手にしていました。ところがこの四年間で、私はその超天才坊やに、次々とタイトルをむしり取られていったのです。その坊やの名は……」
「富士見藤太!」
 思わず柏田が声を上げ
「あ。失礼しました……」
 と詫びた。
「いえいえ、いいんです。勝負の世界とは厳しいものですからね。来年に行われる第三十五期竜将戦で、私は最後のタイトルも富士見くんに奪われ、無冠となることでしょう」
 父親がそう話すと
「だからこそ、早く跡継ぎが欲しいのよ。富士見藤太からタイトルをすべて奪い返せるような跡継ぎが」
 母親が口を開き
「由香。早く柏田先生と結婚して子どもを産みなさい。大隈大の教授と最強棋士の娘の子なら、きっと雪辱を果たしてくれるはずよ」
 と、娘に命じた。
「私は別に構わないけど、先生はどう思っているのかしら?」
「先生、父親の私からもお願いします。ぜひ由香と、新しい命を」
「あのう。私とお嬢さんは歳が三十も離れています。親子ほどの差です。お話があまり現実的でないように思われるのですが……」
 柏田がそう応じると
「先生、佐藤茶を見習いなさい。四十五も若い奥さんですよっ」
 母親の言葉を聞き、イカレてるなこの親子、と柏田は思った。

     

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