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小説「サムエルソンと居酒屋で」第10話

 実花子は小さな花柄のフレアスカートに、白いブラウス。英也はブルージーンズに白いポロシャツ。初めてのデートにのぞむ二人の装いは、お似合いのカップルにふさわしいものとなった。
 新宿通りを並んで歩きながら、英也が訊いた。
「お昼、なに食べようか。映画は二時半からだから、時間はたっぷりあるよ」
「えーと、なにがいいかなあ」
 と、実花子。
「ピザとか、どう? すぐそこにシェーキーズがある。ピザ食べ放題」
「あ、ピザ食べたい。東京に来て、食べるの初めて。でも食べ放題じゃなくてもいいわ。このスカート、久しぶりにはいたんだけど、実はウエストがちょっときつくて。すこし減量しなくちゃ」
 入店した二人はシーフードミックスとスペシャルミートを注文し、半分ずつ分けあって食べた。
「去年、上京したばかりの頃さ、タバスコというものを初めて目にし、ケチャップと思いこんでスパゲッティにいっぱいかけて食べたら、口から火が出そうになっちゃった。それほどの田舎者だったの、僕」
「あはははは」
 実花子が愉快そうに笑った。

 食事を終え歌舞伎町へ向かった二人は、新宿プラザ劇場に到着した。超話題作であり、しかも封切日とあって、当日券を求める人たちが窓口に長蛇の列を作っている。前売りを買っておいてほんとうに良かったと思いながら、英也は実花子の手を引いて入館し、エレベーターで上映フロアへ。係の女性からチケットの半券を受けとって入場し、指定番号の席を探した。それが見つかると、実花子を座らせ、訊いた。
「ポップコーンと、飲み物はなにがいい?」
「えーと、オレンジジュース」
 その返答を聞いて彼は売店へ行き、二人分を買い求め、合計四つのカップを両手に戻ってきた。そして実花子の隣に座ると、やがて場内が暗くなり、映画の予告編がスクリーン
に映しだされた。さあ、いよいよ始まるぞ! 二人の胸の高鳴りが大きくなった。

「スター・ウォーズ、最初から最後まで、ぜーんぶおもしろかった!」
「いきなりの戦闘シーン、でっかい宇宙戦艦が画面いっぱいに現れて、その迫力に圧倒されちゃったよ!」
 映画が終わり、歌舞伎町を出て伊勢丹の向かい側にある喫茶店に入った二人は、興奮の冷めやらぬまま感想会を行なっていた。
「それに、あの音楽がすごく良かったわ。いまもずっと耳に残っているもの」
「そうそう。ちゃっちゃーん、ちゃちゃちゃちゃっちゃーん、ちゃちゃちゃちゃっちゃーん、ちゃちゃちゃちゃー。まさにスペースオペラを奏でる曲だよね」
「レイア姫が無事に助かって、ホッとした」
「あのお姫様、かなりオテンバだよね。それにC‐3POとR2‐D2のドロイド・コンビがまた良かった」
「R2‐D2の、めんけーごどなー」
「え?」
「あ、思わず秋田弁が。翻訳します。R2‐D2って可愛いなー」
「ライトセーバー、僕もほしいなあ。実花子ちゃんも、痴漢撃退用に一本どう?」
「じゃあ私もジェダイの騎士になるのね。でもダース・ベイダーとは怖くて戦いたくないわ。オビ=ワン、消えちゃったけど、死んではいないよね」
「ああ。あの対決のあともルークの心に励ましの言葉を語り続けたもの。それと、おもしろかったのは、宇宙港の酒場。いろんな生き物がうじゃうじゃ登場して」
「私はちょっと気味悪かったけど。とくにジャバとはお近づきになりたくないわ」
「圧巻は、宇宙要塞デス・スターを擁する帝国軍対反乱軍の目まぐるしい空中戦だよね。あの迫力あふれる戦闘シーンは、類いまれな特撮技術、CG技術の賜物なんだろうな。これからの映画製作は、技術の進歩に伴ってどんどん進化していくと思う」
「反乱軍の戦闘機がどんどんやられて最後はルークの一機だけになって、それもダース・ベイダーの操縦する戦闘機に攻撃されてたそのとき、ハン・ソロとチューバッカの貨物船が現れてダース・ベイダー機をふっとばしたのは、スカッとしたわ。ハリソン・フォード、かっこいい! でもダース・ベイダー、生き残ったから、続編の映画ができるんじゃないかしら」
「SF雑誌によると、どうやらそのようだよ。きょうの映画はアメリカに一年遅れて公開されたけど、第二作は日米ともに八十年の公開予定だって。再来年、また一緒に観にいこうね」
「うん!」
 うれしそうに返事をすると、実花子はバッグの中からスター・ウォーズのプログラムを取りだし、パラパラとめくり始めた。それは上映が終わったあとの売店で、英也が買ってプレゼントしたものだった。初めてのデートの記念として。

 時刻は五時半過ぎ。通りへ出た二人は、酒の飲める場所へ行くことにした。新宿駅から阿佐ヶ谷駅まで電車で十分足らずなので、時間を気にせずに過ごせるのがいい。
「どんな店がいい? 洋風? 和風?」
「日本酒が飲めるお店だったら、どこでもいい」
「じゃあ、お好み焼き屋は?」   
「うん、賛成」
 すると先ほどの喫茶店の近くの雑居ビルに「広島風」と書いてあるのをさっそく見つけたので入店し、座敷に上がり、座布団にくつろいだ。
 それから、いろいろ並んだメニューの中から「山盛りキャベツにミンチの入った、府中焼き」と「砂肝とイカ天入りの、尾道焼き」を、ビールといっしょに注文した。ビールが来るとグラスに注いで乾杯し、お好み焼きの具材の入ったカップが来ると二人でそれぞれ混ぜた。
 焼くのは、英也だ。
「こう見えても器用でね」
 と言いながら、熱くなった鉄板に油を引き、まずは「府中焼き」のほうをその上に載せると、二本のヘラを使って形を整えたりひっくり返したり、楽しそうに焼いている。
 そして
「おい、そこのフォースを取っておくれ」
 などと言い
「ソースでしょ」
 と、実花子に指摘されたりしながら悦に入っている。
 かつお節や青のりを振りかけ、やがて完成した「府中焼き」をヘラで八等分し、二枚の皿に分けて載せた。
「さあ、召し上がれ」
 その言葉に誘われ、箸で一切れをつまんで口に入れた実花子は
「おいしい! 瀬川さん、料理人になれるかも」
 と、うれしい感想を述べ、近くを通りかかった店員に
「お酒、冷やでください」
 すばやく注文した。
「お酒、ほんとに好きなんだね。ほそぼそでも冷やでぐいぐい飲んでるし」
 焼きたてを味わいながら英也が言うと
「秋田の女はお酒が好きなの。おいしいお酒の産地だし。でも瀬川さんはいつもビールをグラス二杯くらいしか飲まないのね。九州男児ってお酒が強そうなイメージがあるけど、大分の人は違うの?」
 と実花子。
「僕は、アルコール、ほんと弱いの。一年生のとき、大隈大の男は酒が強くなくてはならないって言われて、カッコつけて無理して飲んで、吐いてばかりいた。ある友人の下宿は新築したばかりのきれいな部屋だったんだけど、そこで吐いて、大家さんに『出て行ってもらおうかしら』って友人が怒られて迷惑かけたし、またある友人の下宿では窓から吐いて、それが一階の部屋の小屋根に載っかっちゃって、『気にするな、雨が降ればすぐに流れるさ』って友人は言ってくれたんだけど、降っても降っても流れはしなかった。ようやく流れたのは台風が来たときだった。さらにある友人の自宅では、もっとひどい吐き方をしてしまった」
「ど、どんな吐き方?」
「実花子ちゃんに嫌われるから、これだけは話せない」
「話して話して。嫌いにならないから、お願い、話して」
「絶対に話せない」
「絶対に嫌いにならないから、お願いお願い、話して」
「じゃあ、話すよ」
「うん」
「友人の妹さんに向かって吐いた」
 それを聞いた実花子は驚きの表情になり、それから英也の顔をじっと見つめ、なんとも情けなさそうな顔をした。

 午後八時になって店を出た二人は、新宿駅に向かい、中央線に乗り、阿佐ヶ谷駅で降りた。駅から通りへ出ると、いつの間にか雨が降っていた。
 しまった、と英也は思った。今年は空梅雨なので、きょうは傘を持っていない。自分は濡れても構わないが、実花子を雨に濡らすわけにはいかない。そう判断した彼がタクシー乗り場に向かおうとしたとき、実花子がバッグの中から折りたたみ傘を取りだし
「これを差して行きましょ。すこし小さいけど」
 そう言って傘を開いた。
 スヌーピーのイラストの入った水色のその傘を、英也が左手で持ち、実花子は体を彼に寄せて、二人は夜道を歩き始めた。
 雨はしだいに強くなり、英也は傘を美花子の頭上へ移し、実花子は英也の右腕に自分の左腕をからませ、体を密着させた。
 それでも彼は、彼女を雨から守ろうと、自分が濡れるのも厭わずに、傘をさらに彼女に近づけた。その心づかいに、頼もしい人だなと実花子は思った。
 雨はいっそう強くなり、英也はずぶ濡れになって歩いた。寮まで、あとどれくらいか。たとえこの雨で自分が風邪を引こうが、実花子だけは無事に送り届けなければならない。英也はそう心に決めていた。
 そのとき、前方に寮の明かりが見えてきた。
 あと少しだ。英也は雨の冷たさに耐えた。
 寮が目の前に迫ってきた。
 実花子がハンカチを取りだし、濡れそぼった英也の顔を拭いた。
 ハンカチがすぐにぐっしょりとなったが、それでも彼女は彼の顔を拭き続けた。
 英也の足が止まり、実花子も歩くのをやめた。
 英也が顔を実花子に近づけ、実花子もその顔を見つめ返した。
 英也の顔がさらに近づいてきた。実花子は目を閉じた。
 英也の唇が実花子の唇と重なった。
 英也の唇は温かかった。雨にずっと濡れていたのに、どうしてこの人の唇は温かいのだろう、キスとはこんなに温かいものなのかと、実花子は不思議に思った。
 二人の唇が離れた。実花子は寮に向かって駆けていった。
 


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