見出し画像

将棋小説「三と三」・第28話

阪田三吉と升田幸三。昭和の棋界の、鬼才と鬼才の物語。




 昭和二十年五月二十五日。
 三日連続となる大空襲を受けた東京の街々では、四百七十機ものB29が投下する焼夷弾によって、無数の建造物が炎につつまれていた。小石川区に移転した将棋大成会本部にも火が燃え移り、たちまち燃え広がっていった。
 もうもうたる火煙の中、人々が叫びながら逃げ惑う道を、一台の大八車を引いてくる者がいる。
 それは木村だった。
 盤、駒、駒台などの用具や掛け軸などの備品を、燃える本部から運び出し、車に積んで引いているのである。
「守らねば、守らねば、将棋を守らねば……。名人たる者、日本の将棋を守らねば……」
 そう呟きながら重い車を一人で懸命に引くその顔は、業火に照らされた幽鬼のようだった。

 六月一日。
 午前九時半から十一時にかけて大阪を襲ったB29の数は、五百機を超えていた。
 敵機が飛び去ったのち、防空壕を出て、被害状況を確認するため谷ヶ崎が会社の方へ歩いていくと、社員の一人と出くわした。彼はこう言った。
「社長、会社はもう無うなりました。辺り一帯が焼野原になってもうて、焼け残った市電の線路に沿うて歩いていったんだすが、あちこちに火に巻かれた死体がごろごろ転がってて、それがみんな真っ黒に焦げて、まるで消し炭みたいに小そうなってますねん。防火用水に並んで首を突っこんだまま、黒うなってる死体も見ました。可哀相に……よっぽど熱かったんでっしゃろなあ……苦しかったんでっしゃろなあ……。社長は、幸いご無事で、ほんまによろしおましたなあ……」
 谷ヶ崎は、返す言葉を持たなかった。

 八月十五日。
 阪田は「天皇陛下のお声」なるものを聴こうと、近所の後援者宅を訪ねた。彼には天皇陛下ともあろう御方が、ラジオで国民に話しかけられるなど、なかなか信じることができなかった。
「ほんまに天皇陛下が放送しはりまんのんか?」
「さあ、分かりまへんけど、陛下が御自ら重大放送をされるんで、ぜひ聴くようにとのことですよってに、やっぱりほんまに放送しはるんでしょう」
「そうでっか。まことに勿体無いこってすなあ」
 そして、詔勅の放送が始まり、終わった。後援者の家人が悲しそうにしているのを見て、阪田は訊いた。
「陛下は、何て言いはりましてん? わてには、よう聴きとれまへんでしたわ」
「日本は負けました。負けたんです」
「ええ……? 日本が負けたんだすって……?」
 阪田は腕を組み、じっと考えこんでいたが、しばらくして、また口を開いた。
「切ないなあ。しんどいなあ。こないなとき、お酒飲める人は得やなあ。わては辛うても、ヤケ酒も飲まれへん。煙草も嫌いやしな。ところで、マスやんは今ごろ元気にしてるやろか。七月十日の堺の大空襲で、お乳の家も焼けてしもたよってに、マスやんが帰国しても、いっしょに並んで座る縁側も無うなったけど、マスやん、どうか無事に帰ってきておくれやす……」

 八月十六日。
 ポナペ島では、玉音放送の内容が、一日遅れで全隊員に伝えられた。それを聞き、隊のあちこちで、どよめきが起きた。
「日本が負けた……」
「まさか……信じられん……」
「本当に負けたのか……」
「神州は不滅ではなかったのか……」
 絶望や憤怒や悲嘆や安堵などが入り混じった複雑な感情の中に兵たちが佇んでいたそのとき、爆音とともに機影が現れ、二、三百メートルの低空を飛びながら、飛行服も飛行帽も着けず白いシャツだけのアメリカ兵が窓から手を振っているのが見えた。そうして機から何かを投下し、飛び去っていった。
「何だ、あれは?」
「爆弾ではなさそうだ」
 隊員たちが駆け寄って、見ると、そこには煙草やチョコレートやドロップ類などが、四、五十個ほども転がっていた。皆は、我先に拾い集めた。
「小隊長、こんな物を落としていきました。食べてもいいですか」
 軍曹が報告すると、
「よし。食え、吸え。皆で公平に分けろ」
 との返事。
 幸三もチョコレートを少し食べた。それは口の中でとろけるように甘く、自由と希望の味がした。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?