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将棋小説「三と三」・第3話

阪田三吉と升田幸三。昭和の棋界の、鬼才と鬼才の物語。




 車窓ごしに広がる空が、青く明るく輝いている。大阪へきて三度目の夏。八月初旬の午後を走る路面電車の座席で、升田幸三は胸の高鳴りを覚えていた。また、阪田三吉翁に会える。将棋の時をともにできる。そう思うだけで、彼の瞳は陽光のように輝いた。
 初めての出会いは、六月の第二水曜日だった。午後六時頃、いつものように交遊社へ行き、将棋サロンの棋客たちに稽古をつけていると、知らぬ間に一人の小柄な老人が部屋の後方に立って、こちらへじっと視線を注いでいる。小一時間もすると、その姿は消えていたが、そこにいた人物が、あの阪田三吉関西名人であることをサロンの客から教えられたのだ。
 二度目の出会いは、第三木曜日のことだ。こんどは稽古が終わるまでずっと阪田名人は立っていて、自分が帰ろうとしたところへ近づいてきて、顔を見つめながらこう言ったのだった。
「ええ目をしてはる。鳳眼や」
 サイヅチのような異形の頭部から響き出てくる、カン高い声には驚いたが、阪田翁の顔は優しく微笑んでいた。それだけ言い残すと翁は去った。「鳳眼」とは人相学で鳳凰の眼のようにまなじりの深い眼、英雄の眼のことを言うのだよと、やはりサロンの常連客が教えてくれた。
 三度目に会ったのは第四火曜日で、どうやら自分が交遊社で将棋の指導を行なう日を阪田翁があらかじめ知っており、自分に会うことを目的にこのサロンへやってきているのだということが、だんだん分かってきた。稽古が終わると、翁は言った。
「飯塚六段との将棋、並べて見せておくれやす」
 初陣のことまでご存じなのかと、嬉しいのと照れくさいのが半々の気持ちで、六月九日に勝った将棋を最初から最後まで盤上に再現してみせた。
「独創のある将棋や。本の真似をしない、大けな将棋や」
 翁の言葉の通り、この角落戦では五十六手目から自分で創案した攻撃を仕掛け、それが成功した。六年前に東京の木村義雄八段が著し、今や駒落将棋の教科書と呼ばれている「将棋大観」の中の定跡とは異なる手法に、相手の飯塚六段も戸惑っていた。それを、独創性のある大きな将棋だと棋神・阪田三吉が褒めてくれ、幸三は天にも昇る思いがした。
 そして四度目の交流は、七月に入って最初の水曜日。公式戦の第二戦目である近藤孝二段との対局を翌日に控えた幸三に、阪田翁はこんな話をしたのだった。
「平安時代の中頃に、平将門ちゅう奴が、朝廷に反旗を翻して関東一円を手中に収めるという謀反を起こしたんは知ってるかいな? この将門の家来になりたいなあ思うたんが藤原秀郷ちゅう武将で、近江の国の三上山の大ムカデを弓矢で退治した伝説でも知られる、俵藤太ちゅう別名もあるさかいに、こっちの名前で話しまひょか。その俵藤太が将門んとこへ訪ねていって、家来にしてくれへんかと用向きを告げたところ、将門が出てきて、何か手柄をしたら家来にしてやろうと言う。初めて会うというのに、何と髪を結いっ放しにしたまま櫛を手にして将門の奴、現れた。兜はおろか頭に手拭い鉢巻も着けずに現れたんやな。それを見て、藤太は思うた。こいつ、首が討てるなと。こんな隙だらけの奴なら、きっと首が討てるわいと。そして後日、藤太は見事に将門を討ち、朝廷のために手柄を立てて出世をしましたんや」
 阪田翁のこの話が妙に頭の中に留まったまま、幸三は翌日、近藤二段との平手戦の対局に臨んだ。そして戦いも中盤戦を迎えた四十七手目、相手の歩突きを「これぞ隙!」と看破し、一気に相手陣に襲いかかり、そのまま攻めきって勝利したのだ。
 相手に隙あらば攻め倒すべしと、平安時代の故事を持ち出して、この自分に分かりやすく阪田翁は勝負術の指南をしてくれたのではないだろうか。幸三は、そう思った。
 その思いに、間違いはなかった。七月十三日に行われた公式戦第三戦目、松下力四段との香落戦の対局を前にして、やはり交遊社の将棋サロンの一室で、
「心というもんは、コロコロ転がるからココロと言いますのやで。わては長い勝負人生を通じて、天国から地獄へ、地獄から天国へ、またまた天国から地獄へと、おのれのココロがコロコロ転がり回って、あたふたしながらも、ようやく落ち着くようになって、本当の心というもんが自分のもんになりましてん。ええでっか、落ち着くようになって、初めて、ココロが心になりますのやで」
 という話を阪田翁はしてくれた。
 そして松下四段との対局中、相手の猛攻を浴びて自陣がガタガタになり、ああもはや玉が詰まされてしまうのではないかと、自分のココロが敗北へとコロコロ転がっていった。そのときだ、阪田翁の話を思い出したのは。そうだ、ここで落ち着かねばと、盤の前を離れ、戸外へ出て、夜の空気の中で大きく深呼吸をした。息を吸ったり吐いたりを繰り返しているうちに、焦りや悲観の気持ちがだんだんと薄れていき、盤の前に戻ったときには、すっかりココロが心になっていた。そして落ち着いて局面を眺め直し、手を読んでいるうちに、相手の玉に詰みがあるのを発見し、逆転勝ちすることができたのだ。
 それだけではない。七月二十三日の公式戦第四戦目、寺田梅吉六段との角落戦の前日もそうだった。
「無理攻めではのうて、本筋に乗ったときの自然な攻めというものは、次から次へと強い力が湧いてくるものだす。カンテキの強い火の上に鍋をかけとくと、ブツブツと泡を噴いて、えらい勢いで煮えてきよりますやろ。アッと思うて鍋の蓋を取って、中を見ると、もうちゃんと飯がでけてる。そんな具合にやな、新しい力がひとりでに下から下からと噴き上がってくる。本物の攻めとは、そういうもんなんだす」
 阪田翁が話してくれた通り、翌日の対局で盤面の中央から攻めを敢行したところ、銀の力、角の力、飛車の力というふうに、駒の力が次から次へと湧いてきて、そのまま相手を攻め倒してしまったのには我ながら驚いた。
 そしてさらに八月に入って、最初の日曜日、公式戦第五戦目での出来事だ。松田政雄四段との香落戦に先立って、阪田翁が授けてくれた教えはこういうものだった。
「蓮根をポキンと二つに折ると、蜘蛛の糸よりも細い線が出ますやろ。その細い線の上に、人間が立っているとしたら、どうでっか。立とうとしても立てるものではおまへんが、ある勝負のとき、わては確かに蓮の線の上に立ったのだす。敵の攻撃に対して受けに回って指しているうちに、いつしかいっさいの力が身体から抜け出して駒に吸いこまれてしまうと同時に、細い線の上にも立って歩ける。そういうふうになりましたのや。相手の攻めを静かに吸いこんで、己を守りの駒の中へ静かに吸いこんで、わてはじっと細い線の上に立っている。そんなとき、打つ駒には音の出ようはずもなく、響きのするはずもない。攻めの力を吸いこんで静かに受ける。そういうときには、知らず知らずのうちに細い線の上に立って、次なる局面へと線の上を歩いている己がいてるのだす。受けの極意とは、つまり、そういうことだっせ」
 阪田翁が語ってくれた将棋の受けの境地なるものを、一週間前の対局中に、この自分は確かに体験したのである。松田四段の飛車と金の連携攻撃に狙われて、にわかに玉が危うくなった。すると、どうだろう。自陣の桂馬の駒から、すーっと出てきた細い守りの線の上に、玉がじっと立った。そうして相手の攻めを静かに吸いこみ、自分自身の存在さえも静かに吸いこんで、玉は攻めを受けきった。玉を細い線の上に立たせた八十八手目の自分の駒音は、不思議なことにまったく音がなく、響きもしなかった。
それから、細い線の上を歩きつつ反撃の局面へ移り、百十手目を指してついに勝ちきったときにも、やはり最後に自分が打った銀の駒は少しも音を立てなかったではないか。見事なまでに、先を見越した阪田翁の言葉の通りの将棋となったではないか。これが棋神と
いうものか、棋神の慧眼というものか。
振り返れば、六月の初戦に勝ち、七月八月と勝ち続けて、公式戦五連勝だ。専門棋士の道を、いまだに負け知らずのまま歩み進んで早くも二段に昇った。この青空のように、自分の前途はどこまでも明るく、大きく広がっている。盛夏の輝きを、電車の窓外に眺めながら、己の充実ぶりを幸三は全身で感じていた。
 棋士人生を快調に歩き出すことができたのも、阪田三吉翁のおかげであると、もちろん幸三は強く思っている。梅雨の間もずっと、中之島の将棋サロンへ足を運んでくれ、将棋の教えを授けてくれた阪田翁に心から感謝の気持ちを伝えたい。指導のあった先週の木曜日、棋客たちに稽古をつけながら、幸三は翁が姿を見せるのを楽しみに待っていた。
 だが、阪田翁は来なかった。代わりに現れたのは、広告取次会社の谷ヶ崎社長。以前にいちど対局をしたことのある、大柄な六十男だった。稽古が終わると、谷ヶ崎はサロンの奥へ幸三を招き、こう語りかけてきた。
「升田君、そろそろ場所を変えようと阪田先生がおっしゃってな」
「場所を変える……?」
 幸三が問い返すと、
「そうや。阪田先生とお近づきになったとは言え、君はあくまでも木見八段門下の人間や。派閥も異なり交流もない阪田先生と、自分の弟子が親しくしてるのを、もしも木見はんに知られたら、お互いにマズいやろ」
「…………」
「そこでやな。先生と僕とで、一軒の空き家を用意した」
「空き家を……?」
「そうや。堺にある空き家や」
「堺に……?」
「その名も、お乳の家」
 と、谷ヶ崎。
「お乳の家? 何ですか、それは。私は赤ん坊ではありませんよ」
 語気を強めて幸三が言うと、
「そう名づけたんは、阪田先生ご自身でな。行って、先生に訊ねたら、命名の所以なども教えてくれはるやろ」
 谷ヶ崎はそう応じ、
「こんどの日曜日、午後は空いてるかな?」
 と訊いてきた。
「空いています」
「よっしゃ。では、阪堺電車に乗り、御陵前の停留場に午後三時に着いとくなはれ。先生が直々にお出迎えされるよってに」
 そういうやり取りがあったので、八月十二日の日曜日の今、こうして幸三は、路面電車の乗客となっているのである。
 阪田翁と八日ぶりに会えるのは嬉しいが、お乳の家とはいったい何だろう、まさか牛小屋ではあるまいな、などと思案するうちにも電車は目的地に到着した。
 ホームに降り立った幸三は、停留場の時計の針が午後二時五十分を指し示しているのを確認した。それから路上に出て、降り注ぐ夏の日差しの中で思いっきり伸びをした。
 もう、五尺と八寸くらいになった。紺絣の着物に短い袴を着けた丸刈り頭の十六歳は、背丈も将棋もぐんぐん育ち盛りである。
「おーい」
 手を振り、キンキン声を発しながら、将棋の神様がやってきたのは、そのときだ。でっかい頭には麦藁のカンカン帽をかぶり、絽の羽織に仙台平の袴を短躯にまとって、利休下駄で小走りに駆け寄ってきた。そして、
「堺へようこそ、升田二段」
 嬉しそうな顔で阪田は言った。
 自分の昇段をちゃんと知っていたのに感じ入り、
「これからよろしくご指導願います、阪田名人」
 深々と礼をしながら幸三が返事をすると、
「ところで、算数はでけるかな?」
 いきなり翁が訊いてきた。
「算数……?」
「せや、算数や。三吉の三と、幸三の三。その三と三を足し合わせると、いくつになるんかいな?」
「六ですが」
「せやせや、六や」
 ますます嬉しそうに顔をほころばせ、
「三吉と幸三で、六なんや。わてらが一緒なら、ロクなものにはなるやろなあ」
 そう言って、阪田はカン高く笑った。
 

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