地伝#21 ◾️1998年 悩み始める
実は98年のことは余り覚えていない。テープを作るのに忙しかった。渋谷で働きレコードを買い、時間と金があればニューヨークに行く。あっという間だった。
グロープの山中さん、BABAとよく遊んでた。早朝5時からBABAの車でどっか行こうとなって思いつきで行くには遠すぎる新潟の海にいたこともあった。
グロープで走馬党のスキップと知り合う。これはまた後々ゆっくり書きたい。この頃はまだ少し話した程度だが、今後のストーリーを語るうえで外せない親友の1人だ。
Big PunのStill Not a Player がリリースされた頃。僕はマンハッタンからブルックリンまで移動するため地下鉄に乗っていた。
日中なのでそこそこ空いている車内。ラジカセを持ち大音量でこの曲を流しながら車両を歩く黒人の少年2人組が僕の前を通りすぎた。
白髪の50代くらい、紳士的な見た目の白人男性がこの少年2人の進行方向に立ちはだかり、車内に緊張が走った。白人男性は身構える少年達に「その曲いいね!なんて曲?」と声をかけて少年にテープのジャケットを見せてもらったりしていた。良い話だ。
こんな風に日本もなれば良いなとは一瞬思ったけど、別にそうでもなかった。ニューヨークに行った時のお楽しみでいい気がした。
NORE、DMX、CANIBUSが出てきた頃でラップがカッコイイ不良の兄ちゃん達に憧れていた。
空がオレンジ色の夕方、ブルックリンで人の気配がないレンガ倉庫を歩いていた。ラジオからDMXのSlippin'が流れてきて全てがハマった。曲の中に自分が居るような感覚だった。
日本でこういった音楽体験をするためにはどうしたらいいんだろうと悩んでいた。ニューヨークの音楽を日本に伝えるだけでは物足りなくなっていた。なぜなら、ニューヨークでそれを聴くことよりもハマらないからだ。
いろいろと単純に楽しめなくなり始めていた。
23歳ぽい悩みである。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?