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地伝#5 ◾️1994年 新京極ストリート

ウォーキンストアはサーフ・スケートブランドの取り扱いに力を入れ始めていた。雑誌Fineが一般的なストリートファッションの指針になっている時代だ。ブロンズエイジやビッチのTシャツがアホみたいに売れていた。

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なぜこんなロゴが流行るのか…変な時代。

店舗を拡張したのもこの頃だ。メインは2Fで、1Fにある10坪程度の小さい区画もウォーキンストアになった。

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写真:1Fの店舗。僕のドレッドが最も長かった時だ。右はアシベ君。走馬党のARKに似てると思ってる。

京都の新京極とは原宿の竹下通りのような通りである。修学旅行では必ずコースに入っていたはずだ。

行き交う大勢の人混みの中、肩で風を切り、ただならぬオーラを放ちながら歩いていた青年がRYUZOだ。

店が1Fで路面なので何度か顔を合わせるうちに話すようになった。僕はサウスポールというブランドのデニムパンツを「これは今ニューヨークのラッパー達の間で流行っている」と言ってリュウゾウに売ろうとしたがウソがバレて怒られた。1994年はまだその程度の関係だったが翌年には同じグループとして活動することになる。デニムパンツの件はその先まで何かと引き合いに出されてイジられた。

今や有名歌手となったジュンちゃん、木屋町の顔役となったカブがウォーキンストアに来たのも確かこの頃だろう。

京都のレゲエクルーMAD MEDIAの大井くんや滋賀のモンキーケンさんともこの新京極ストリートでの出会いだ。FAT MELODYというレゲエシンガーの方も一緒だった。レコード以外で「生のレゲエ」に触れたのはこの瞬間だ。キャップの被り方や握手の仕方、堂々とした振る舞いなど今まで見てきた人達とは違っていたのだ。この時の「レゲエ体験」は僕の音楽の幅を押し広げるきっかけになった。クラブメトロで開催されていた「スカッとレゲエ」や三条木屋町の「ラバダブ」にも行くようになった。

1994年19歳。日本語ラップ史としては93年にライムスターの「俺に言わせりゃ」が既に発売されているが全く聴いていなかった。まだ見たことがないくせにニューヨークのストリート感がなければアンテナに引っかからないガキだった。

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