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  • ご先祖さまの墓探し

    ご先祖さまの墓探し

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戦時中の火葬の記録が見つかる(ご先祖さまの墓探し(9))

前回に続き、ひいじいちゃんのお墓を探し中。 霊園・斎場・市役所に聞き取りしたら、戦時中にひいじいちゃんが火葬された場所がわかりました。 前回、ひいじいちゃんのお墓を探しに大阪に行ってきたけど、結局見つからず。 ただ、最後に住んでいた場所の近所のお寺で聞き込みして、豊中市にある服部霊園にお墓が移設された可能性があると聞いて、後日電話してみた。 ありがたいことに職員さんにデータを調べていただけたんだけど、記録としては残っていない。ただ古いお墓だと記録のものもあるとのこと。

    • 大阪のお寺で聞き込み(ご先祖さまの墓探し(8))

      ひいじいちゃんのお墓を探しに大阪まで行ってきた。 前回喫茶店で教えていただいたお寺で住職に聞き込みをしたら、戦前の大阪と徳島の関係が見えてきました。 お寺に行く途中、せっかくなので築港地区をぐるっと回ってみた。 海遊館は、いろんな国から観光客でかなり混雑。 すぐそばに天保山公園。 ちょろっと階段を登ったら、もう頂上。 達成感はない。 橋を渡ればUSJ。(写真はホテル) 歩いてみると、戦時中に空襲で焼け野原になったけどその面影は全然ないですね。 ということで、喫茶店で

      • 大阪の喫茶店で聞き込み(ご先祖さまの墓探し(7))

        ひいじいちゃんのお墓を探しに、大阪まで行ってきました。 亡くなった時に住んでいた場所は喫茶店となっていたので、ミックスサンドを食べながらウェイトレスさんに聞き込みをした話です。 私のひいじいちゃん(曽祖父)について、これまでに入手した戸籍からわかっている範囲で時系列で書いていくと、 慶應3年(1867) 出生(場所不明) 明治22年(1888) 妻と結婚(場所不明) 明治35年(1902) 五男(祖父)が誕生(台湾) 明治37年(1904) 六男が誕生(台湾) 明治44年

        • 台湾総督府のそばで生まれたじいちゃん(ご先祖さまの墓探し(6))

          ということで、大阪から戸籍を入手! これ以前はまだ曽祖父が生きていたので、戸主は曽祖父になってる。 これで、いろいろわかってきた。 まず祖父は7人兄弟(全部男)の5男。 で、なんで5男の祖父が家督相続をしたのかというと、まず長男と3男はまだこの戸籍には出てきていないので不明。 次男は途中で戸籍を離れてるんだけど、その理由が『戸主の同意を得ずしてて○○と婚姻』。 なんだそれ!と思ったら、当時の民法では結婚するのに戸主の同意が必要らしい。 どうしても結婚したいなら、その戸

        戦時中の火葬の記録が見つかる(ご先祖さまの墓探し(9))

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        • ご先祖さまの墓探し
          9本

        記事

          五男だけど全財産を相続したじいちゃん(ご先祖さまの墓探し(5))

          じいちゃんが台湾生まれだったのは驚いたけど、さらに詳しく祖父の戸籍を見ていくと、、、 昭和19年(1944)に曽祖父(第8代)が亡くなって、祖父(第9代)が家督を相続したと。 ちなみに、家督相続とは戦前まであった制度で、全財産を相続する代わりに家族全員を扶養する義務があるそう。 でも長男が相続するのが普通みたいなんだけど、祖父は五男。 うーん、長男から四男までは一体どこに。。。 で、その同じ年に大阪から尾道に移ってきたらしい。 それ以外の記載も含め、祖父(第9代)につ

          五男だけど全財産を相続したじいちゃん(ご先祖さまの墓探し(5))

          じいちゃん、台湾生まれと判明(ご先祖さまの墓探し(4))

          ということで、祖父の戸籍をとりに地元の尾道市役所へ。 さっそく入手した戸籍を見てみると。。。 …ん? えっ! ちょっ、ちょっと待って…! じいちゃん台湾で生まれたの!? えーと。 明治35年生まれってことは、日清戦争後に台湾が日本領になったのが明治28年でしょ。 だから、それからわずか7年の間に曽祖父が台湾に移住したってこと??? ちょっと調べてみたけど、当時の台湾の人口は約300万人(現在は2500万人)。 で、当時の台北の人口は約12万人(現在は260万人)。

          じいちゃん、台湾生まれと判明(ご先祖さまの墓探し(4))

          自分が11代目とわかったが(ご先祖さまの墓探し(3))

          とりあえず今わかっていることをまとめると、 ・地元(尾道)のお墓に入っているのは父方の祖父母まで ・それ以前のご先祖さまのお墓は不明 ・過去帳と仏壇の板にご先祖さまの名前・戒名などが書いてある ・過去帳に11名、板に18名 ・初代が亡くなったのが宝暦5年(1753)で、自分が第11代 ・これ以外の手掛かり(先祖伝来のなんとか、みたいなの)はない ・祖父は父が1歳くらいの時に亡くなったため、祖父の詳細は不明 ・父方の親戚で話を聞ける人はいない ・苗字がめずらしい(同じ苗字の人

          自分が11代目とわかったが(ご先祖さまの墓探し(3))

          初代は十兵衛時善(ご先祖さまの墓探し(2))

          あと、仏壇の中から『過去帳』も。 これによると初代の十太兵衛時喜さんが亡くなったのが宝暦5年。 西暦だと1753年で江戸時代中期。 そこから数えて自分が11代目らしい。 今まで自分の先祖のことなんて意識しなかったから、なんか不思議。 これもいい機会だし、ご先祖さまのお墓を探してみるか! と思ったものの、先祖代々伝わる何かみたいなのもないし、近所に同じ苗字の人もいない。 (というか、今まで同じ苗字の人と会ったことがない) 父もあまり祖父(父の父)より前のご先祖さまのこ

          初代は十兵衛時善(ご先祖さまの墓探し(2))

          仏壇からご先祖さまの名前の板が(ご先祖さまの墓探し(1))

          「ほうよ、それがわからんのよ」 と、尾道(広島)に帰省した時の父の一言。 先祖の墓がどこにあるのか知らないと。 確かに、地元にあるのは私の祖父(父の父)のお墓まで。 まぁどうせ名もなき農民でしょ。 と思ってたら、仏壇から先祖の名前を書いた板が何枚も。 これは...? #ご先祖さまの墓探し

          仏壇からご先祖さまの名前の板が(ご先祖さまの墓探し(1))