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大阪のお寺で聞き込み(ご先祖さまの墓探し(8))

ひいじいちゃんのお墓を探しに大阪まで行ってきた。
前回喫茶店で教えていただいたお寺で住職に聞き込みをしたら、戦前の大阪と徳島の関係が見えてきました。

世界最大級の水族館 海遊館

お寺に行く途中、せっかくなので築港地区をぐるっと回ってみた。
海遊館は、いろんな国から観光客でかなり混雑。

日本一低い山 天保山

すぐそばに天保山公園。

この階段の上が天保山の頂上

ちょろっと階段を登ったら、もう頂上。
達成感はない。

USJ

橋を渡ればUSJ。(写真はホテル)
歩いてみると、戦時中に空襲で焼け野原になったけどその面影は全然ないですね。

高野山釈迦院

ということで、喫茶店で教えていただいたお寺に到着。
(戸籍上では)ひいじいちゃんが亡くなった時に住んでいた場所から、一番近いお寺がここ。
ここに、ひいじいちゃんのお墓があるのかも。

ただ、境内を歩いてみてもお墓の数が少ししかない。
これは一体。。。

立派な本堂

事前のアポイントなしで突然の訪問でしたが、ご住職に会い丁寧にお話を聞くことができました。(ありがとうございます!)

まずご先祖さまのお墓を探しており、この近くで曽祖父が亡くなったことを伝えると、奥から過去帳を取り出してきていただきました。

2人で過去帳を1年ずつ見ていっても、昭和19年に亡くなった方の中にひいじいちゃんの名前はない。
しかしご住職の話によると、もともと記載がなかった可能性も高いが、途中で遺失した可能性もあるとのこと。

前回書いたとおり、築港地区は昭和20年の大阪大空襲で焼け野原となった。
その後このお寺も少し離れた場所から今の場所に移ってきたというのだ。

昭和2年(1927)の地図 卍マークが当時のお寺の場所
現在の地図 ピンの位置が現在のお寺の場所

昭和27年に現在の位置に移ってきたのが、戦争中のどさくさやお寺が移った際に記録が遺失したかもしれない。
ちなみに当時のお寺があった場所は、現在は海の下になったらしい。

境内にあった看板 大阪大空襲で焼失する前の様子

また住職によれば、戦前は徳島県や淡路島からかなりの人が労働者として移住してきたとのこと。
そういった人たちは海に潜るのが得意だったので、海底に石を並べてはしけ(雁木:船から陸に荷物を上げるための階段状の構造物)を建設する作業をしていたという。

ひいじいちゃんが、昭和3年に徳島から大阪に移ってきたことが戸籍でわかっているので、その話とつながる可能性も…

そしてお墓も全てお寺に建てられたわけではなく、集落で管理する墓地に建てた可能性もある。(その場合、過去帳に記載されない)
それら集落のお墓は、多くが戦後に服部霊園(大阪府豊中市)に移されたとのこと。

ひょっとしたら、ひいじいちゃんのお墓は服部霊園にあるのかも。
じゃあ行ってみるか…!

#ご先祖さまの墓探し

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